おさづけの理拝戴のことでは、すごいショックでした。
母が身上のため、おつとめのお手とお唄を唄うことが
なかなかできなかったんです。
教養係の先生も毎日母のこと見てくださり。。
なんとかお手振りはちょっとずつできる様になったのね。
けど、言葉が出しにくい母なんで、
唄いにくく聞き取りにくく・・・・最終テストを受ける前に教養ががりの先生に
言って頂きました。もし、お母さんがおさづけの理を戴けなくても
それを受け容れて欲しい、と。
今はカンタンにはようぼくになれない、きびしいとのことだ。
本人さえその気になったら今回ダメでもまたチャレンジできるから、と。
母には、『次』はありません。これが、最後のチャンスだと思って修養科を志願したんだモノ。
・・・・・・・
おたすけをする気持ちのないものには、おさづけの理は渡せない、
おさづけを取り次ぐ気持ちのないものには必要がない、、とまで言われ・・
ようぼくになるために修養科にきた、、、とまではいかないけど、
少なくとも、3か月休まずがんばって伏せこんできたご褒美にいただけるものと
思ってましたもん。卒業証書のように・・・・・
・・・・・・
・・・・教養係の先生の言葉はものすごい冷たく聞こえた。号泣してましたよ、自分。。
はっきり分っていないのに何で今、言い渡されなきゃいけないんだろうって。
また、別にりっぱなようぼくになんてならなくてもいいし・・・
使われてすぐに捨てられるような木材でも、使われなくても転がったままの
木材でもいいから私は、母をようぼくにしたかったです!!と・・・
先生は、ようぼくにならなくったって良いと思う、と言うんです。
そのときは、・・・・・仕方ないですよね、、といい、・・・・分りました、、と言い、終りましたが。。
ですが、、、、私のすごい所は、切り替えの早いところでしょう。
そのあと、ひとりで神殿に向かったんです。
歩きながら、、
「あ・・・きっと理の親だったら、ダメならだめでいいわよ。
3か月おぢばで頑張って通ったことに意味があるんだから、そのときは受け容れようよ。
子供たちの先々のために、おばあちゃんの伏せこみはすごい意味があるんだからね。」
そうおっしゃるに決まってる!!確信ないけどそんな気がしてきて、
ようぼくになれなくてもいいや!!って思えたんですよね。
そう思ったら、気持ちが明るくなりました。
・・・・・・・・
そして、神様はちゃんと母をようぼくにしてくださいました。
母にも神様の御用ができるのですよね。だから、母をようぼくにして下さったんです。
感謝の気持ちでいっぱいになって、
親神様、おやさまに御礼に行かせていただきました。。
毎日行っているんですけどね。。。。。改まった気持ちでおつとめをさせて頂きました。
そして、あのときの教養係の先生のきびしい言葉は
神様が私に、しっかりにをいがけおたすけをしていくようにと、
仕込んで下さったんだって思うようになりました。母にではなくて、
私に頑張れって言って下さったんだなって思うんです。
ありがたいじゃないですか~~~~~(*^。^*)