喜べば喜びごとがやってくる

不器用で要領の悪いわたしだけど
御礼でお道の御用に明け暮れてます。
生涯にをいがけおたすけで通りたいな。

私だって若かった

2023-05-31 18:34:18 | ジブン

子供たちが小さかった頃のブログの記事を
読み返すと、なつかしさよりも生きていた自分を感じる。

確かに母をやっていた。

ご飯を楽しみにされていた。

子育てをやっている自分を思い出して
「私だって若かったんだ」ってことを今、
私の周りにいる子育て中の若いママさんたちに
教えてあげたい。

私だって、ずっとこの見た目なわけじゃない!!
若さは最大の財産ですよねーーー。

 

 

若かった。

髪の毛も生えていた。

しわもしみもあまりなかった。

足だって細くって長くってきれいな足だった。

それはさておき、、、、
これから先よりも今日が一番若いんだよ。

年寄りになったことをみとめて、これから先が
どうなりたいかを想像して今やるべきことを!!

 


もしお道を聞いてなかったら

2023-05-23 08:56:20 | おみち

寒い朝を迎えています。
なかなか仕舞えなかったフリースを着てて
ちょうどいいぬくぬくさ。
出してて良かった。今日は外歩きもこれだね。

 

このごろ、歳をとっていく自分が惨めな気がして
ほんと、そこは嫌だなって思うことが多かった。

けど、そんなのみんなそうじゃないですか、でも、
そう思えなかった自分がいまして、、、、

今の子育て中のママさんたちや40代位の婦人会を
みてても、私はちょっと年限的にも長めだったので
早く歳をとるわけで、、、、、なんだかなぁ

私よりも年限長くって、同じくらいの歳の人は
道専務だったり教会の奥様だったり、、とにかく肩書きがある。
(肩書きがほしいわけじゃない、、、)
しっかり親一条でお道を通って、おたすけの相手も作って、
ようぼくにして。

 

 

 

その方々よりもちょっとだけ頑張って来たことと言えば
主人が反対してて通りにくい中だけど、お道を切ることなく
続けてきたこと、、、、、くらいでしょうか。
もし、お道がなかったらという想定の光景が想像できません。

 

 

この間、長女が言っていたんだけど、、

もし、天理教をやっていなくっても、自分の人生はあると思うから
それはそれで、自分の人生として受け入れて生きていける、と。

 

一理あるけど、、私も考えたことはあるけど、
人間的にもっともっと未熟で喜べないと思ってばかりの
人生、、、日常を生きているだろう。身上にもなってて
因縁通り、何も知らないで通っているだろうか。

 

 

けど、もっと思うんだけど、神様がお声をかけて下さって
細々だけど信仰を続けていられるのって、選ばれているってことだから、
「もしお道がなかったら」なんてこと、考えてもしょうがないのかもね。
正確なことは分からない。想像でしかないけど、、、けど
やっぱり大体の想像はできてくるものですね。(どっち?)

 

 

お道を聞くまで、きっと何度でも神様は誰かを使って
身上にもして、お声をかけて下さるんだろうなって思います。
平等に自分の言う事を聞いてくれって
親神様は言って下さっても、聞くようになるのは、、、、、
一部の方々なんでしょう。

 

 

話がそれたけど、歳をとって、あちらこちらガタがきても
痛みが伴うようになっても自分なんだなって
今日になって思えるようになった。


「メンチ」と「にをいがけ」

2023-05-04 20:26:22 | にをいがけおたすけ

自分はメンチカツが好き。

テレビで(どこ区なのか知らないけど)谷中に
旨いメンチで有名な店があると聞いた。

てか、街全体にメンチが美味しいらしい。

 

こういうところににをいがけに行きたい。

メンチの前に戸別してみたい。

どういうお断りの仕方をしてくださるんだろう。

数日前から、そんなことを考えてて、、、

コロナが落ち着いてきている今だから、
一軒から一人から「こんにちは。天理教です」と言ってみたい。

 

 

兵庫にもあこがれているのだけど、
そっちは遠すぎるので、もうちょっと行きやすい谷中で。
行けるといいな。