Yoshikoのお部屋

水彩や水泳など水が大好き。
仕事や映画や読書や日常のコトなど
なんでも思いついた日に思いついたコトを書いています。

自分の器

2008-12-09 20:43:48 | 日常の事
今日は実家に書道の検定の課題を提出しに行ってきました 仕事をしていて、それも何ヶ所か持っていて、それでいて、書道や空手をやったり水泳もしているし、絵の研究も自分なりにしています 後他の興味もいろいろ・・・ 家の事をするのも好きで・・・・なんでこんなに自ら忙しくしているんだろう??
 
子供の頃から、これは何故なんだろう? どうして?・・・と好奇心旺盛で、考えて調べてみる事が好きでした 今もすぐ・・・なせ?どうして? とよく考える事があります。

人には自分だけの器というものがあって、その中でなんか一生懸命やっていると、外からの縁が出来て、それが自分の器に入ってきて少し大きくなるんじゃないかな? そんなイメージです。 例えば書道は、ずっと前からお父さんがやっていたのですが、Yoshikoもイラストの仕事をし出して、和風の文字を仕事に取り入れたい思いが出てきて、お父さんには習わずよそで習っていました。でも2年程前からお父さんに習い始めたのも、一つの縁のように思います ずっと前は、お父さんの書道は近くても、きっと遠い存在だったような気がします 空手もそうです。たまたま自分が絵を教えているカルチャーセンターにあったので習い始めたのですが、それがなかったらきっとやっていなかったと思います。その点、水は子供の頃からとても好きで、水泳などはずっと自分の器にあったような気がします 水彩も水ですね 
もう少し前は、背伸びしたら背が伸びると思い、仕事などやりたい事を無理をしてやった事がありますが、やはりそれは自分の器の外の部分だと今は思います
今やれる事を、その中で精一杯やって、後は縁を待つという、「人事を尽くして天命を待つ」というような事が、結局一番遠いようで、近道だという気がします 例えばこの不景気の中、この先収入がグンと減ってしまえば、当然お稽古事なんてやってられないだろうし、そんな時に前のままの生活を続けるなんて、それは可笑しな話で、転落まっしぐらだと思います。それは自分の器がザルになったような感じだと思います。自分の出来る範囲で、やれる事を精一杯やる事が、結局は幸せになれる近道だと思います 今日は書道の検定も提出したし、空手も試験が終わったので、なんだかとてもホッとして、そんな事を考えていました

     

今日は実家で「↑これ描いたのYoshiko?」とお母さんがYoshikoに見せて言いました。・・・そうそう私が小学生の頃、比叡山の展望台の辺りの焼き物屋さんのお店で、お皿に描いて焼いて貰ったのを思い出しました 大切な思い出ですね。

                


小学生の夏休みのYoshiko。こんなのが目を輝かせて、一生懸命描いていたんでしょうねぇ