上村悦子の暮らしのつづり

日々の生活のあれやこれやを思いつくままに。

1月 書き始め

2021-01-10 19:52:54 | エッセイ
私は、もう数十年来の宮本輝、村上春樹ファンである。
女性作家ならば、小池真理子の文章も好きだ。

その小池さんが、昨年より朝日新聞に連載されているエッセイに心惹かれている。
タイトルは、「月夜の森の梟(ふくろう)」。
昨年がんで亡くされた夫・藤田宣永氏への直向きな愛と、大切な人を喪失した「悲嘆」が、
文章の行間からも切々と読み手の心に迫ってくるのである。

共に暮らした日々で使った1枚のお皿から、庭に咲く一輪の花から、木々でさえずる小鳥、そよぐ風まで……、
つまり共に暮らした身の回りのものすべてが、夫の思い出につながり、夫への愛おしさに結びついていく。
これほどを人を愛せるものなのだなあと思い知らされた。

世間では、
長年暮らした夫婦は空気のような存在になるという人もいれば、
「亭主、元気で留守がいい」と笑い飛ばす人もいる。
もう会話をすることもないという人も。

同じ小説家を目指して一緒に暮らし始めた2人にとって、
それぞれの机で向かう原稿用紙やパソコンは、きっと戦場のような場ではなかったのか。
その格闘の場で闘い抜いて共に直木賞作家となり、
切磋琢磨する関係の中で育まれた愛は、人には想像ができないものかもしれない。

一つ屋根の下で、お互いを尊重し、同時に顔色を伺いながら同じ道を歩むことは、
とてつもなくしんどいことだと思われるが、2人にはそうではなかったのだろう。
いえ、そうだったから育まれた深い愛なのかもしれない。

書くことは、大きな癒しになる。
小池さんとは比べものにならないが、私も同じような体験がある。
30年ほど前のこと。
人生にとって最大の困難に遭遇した。

二女が、難病を発症したのだ。
「一生治らない病気です」
「これから毎日数回の注射が必要になります」
「食事制限が必要ですが、普通の生活はできますからね」

初めて行った混雑する大学病院の診察室で、
担当医が取り繕うような笑顔で語りかけてくれた、3つの言葉。
一時すべての脳の機能が停止し、真っ白になってしまった私の頭の中で、これらのフレーズが渦巻いた。
急遽、入院することになった二女を残し、やっとたどり着いた家で、残された家族3人、下を向いて泣くしかなかった。

それから数ヶ月間、なかなか前を向けず、不安の衣を着せられたように恐怖心がつき回った。
でも、私はちょうどラジオの仕事をしていて、取り敢えず書かなければいけなかった。
同時に、二女は小さな子どもだというのに、不思議なくらい病気を受け入れたのだ。

振り返れば、その2つに救われた。
そして私は、あまりに認知度の低い病気について社会に知ってもらわなければと、自分の体験を書き始めたのだ。

同じ病気になり、困難を抱えて生きる子どもたちの現状を綴った。
それが私が初めて出版した本となった。
何度も何度も書き直す中で、徐々に正常心を取り戻していけたような気がする。
辛い体験を文字にすること、つまり外に向けて表現することは、心を回復させることだと知った。

その間に出会った同じ病気の子や家族、信頼できる医師たちとにも感謝する機会となった。
「書くこと」には大きな力があり、これまでどれだけ助けられたことかと思う。
お陰さまで成人した二女は、自分の仕事を持ち、普通の人と変わらなく明るく暮らしている。

さあ、新年を迎えて、また書かなければ。
コロナ感染は拡大する一方だが、書かなければ思う。
今、娘たちに向けた介護遺言状(note「母から娘へ。」)をまとめている。

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