魔物と人間の契約


魔物と人間の契約
山口敏太郎
@過去の記事の蔵出し
人間社会のすぐ側には、異界や他界と呼ばれる世界が存在するという。つまり、我々が生活する傍らには、現世とは違う世界が口を開けていると考えられてきたのだ。
異界と現世は隣接しており、二つの世界は境界という通路でつながれている。そして、異人(まれびと)や妖怪たちが境界を通過してやってくるのだ。また、他界とは、俗に言うあの世の事で、死者が旅立つ世界だと言われている。こちらの世界は異界よりも現世に来訪する事が難しいらしく、お盆など限られた機会に絞られる。
つまり、常に我々人間は、妖怪や幽霊たちに見つめられ、その来訪を受けながら、共存してきたのだ。それ故に、人間と魔物たちとの間で結ばれた契約が存在する。勿論、具体的に契約文書が実在するわけではないが、長い年月をかけて我々人類と魔物たちは、お互いに共存する為に、数々の決め事を行ってきたのだ。
まずは、魔物たちが活躍する期間には、海や山に人間は立ち入らないという暗黙の了解があった。その代表的な例は、夏祭り(お盆)という時期である。夏祭り、特にお盆前後に開催される夏祭りは、他界から舞い戻る死者を供養する祭りである。この時期に俗に近寄ってはならない場所(禁足地)に踏み込んではならないとされてきた。
読者の皆さんもお爺さんやお婆さんに、「この時期に海や川に近づいてはいけない」と言われたことはないだろうか。お盆前後の水遊びや水泳は、死者に足を引かれるといって禁止されたものである。
事実、お盆に水泳した為に、水中の死者にしがみつかれ、溺死しかかった事例は多数ある。しかも、この現象はプールの中でも起きているから、事態は深刻である。夏祭り時期の水中には、黄泉の世界への入り口がぽっかりと口を開けているのかもしれない。
このように、人間と魔物の中には、お互いに共存するために様々な取り決めがある。例えばお盆の時期には、遊泳だけでなく船も出してはいけないと言われているし、地域によって日程は違うものの12月は、山に入ってはいけない日があると言われている。
また、平安時代には、百鬼夜行が徘徊する日があるとされ、その日の夜は外出が厳しく制限された。
しかしながら、いつの時代も無鉄砲な人物はいるわけで、お盆に船を出して海坊主に襲われたり、12月の禁足日に山に入り、妖怪に遭遇した話は枚挙に暇がない。
百鬼夜行にいたっては、その日に外出した貴族が、群れを成す妖怪たちに出くわし、お経の書かれた札によって助かった事件も発生している。魔界の住民どもとの約束を破った者は、必ず強力なしっぺ返しを受けるのだ。
さらに人間と魔物は、場所によって住みわけも行ってきた。例えば、山はかつて魔物の棲む領域とされた時代もあった。平安時代まで、遺体は埋葬されるわけでもなく、山中に遺棄されてきた。つまり、山そのものが異界、他界とみなされたのである。その名残であろうか、人は死にたくなると樹海や山に向かっていくし、恐山や熊野信仰も山へ畏怖の名残である。であるからして、一般の人間は山に気安く入れなかった。平安時代に存在した山守(やまもり)という役職は、異界への侵入者を阻止する為にあったのだ。勿論、山中で生活した山の民や、高山で修行した山伏なども実在したが、彼ら山男や天狗など妖怪としてみなされたのだ。
他にも人間が入ってはいけない場所がある。赤子や幼児が流された水辺である。日本が貧しかった時代、貧窮した一家の中には、生きていくために生まれてきた子供や乳飲み子を始末せねばならないこともあった。俗に間引きと呼ばれる、因果な風習が日本にはあったのだ。この悪しき蛮行によって、大勢の子供たちが殺されてきた。飢饉もなく、子供が死ななくなったのは、ほんの最近の出来事である。
その子供たちの遺体は、大抵山や川に遺棄された。その場所は、赤子、童、稚児、子などの文字の入った地名で呼ばれている事が多い。筆者が取材で訪問したのは、東京都青梅市の赤子橋と、福岡県久留米の赤子川である。二つとも、(間引き、或いは飢饉で)死亡した赤子が遺棄された伝説のある場所であった。
特に青梅の赤子橋(何故か地図上では、稚子橋と記述されているが、地元の古い住民は口を揃えて赤子橋と呼んでいる)は、最近まで畏怖の対象であったらしく、昭和初期までは子供たちはこの橋を渡る時は、息を止めて渡ったという。そうしないと、赤子の霊に魂を抜かれると言われていたのだ。
また、欄干の間から川を眺めると、水面に浮かび上がる赤子の悲しげな顔が見えると言われていたらしい。
このような赤子たちの怨念の残る場所が全国には多数あるが、このような場所には迂闊に近づくべきではない。興味本位で近づくと間違いなく、障りを受けてしまうであろう。つまり、赤子や幼児が流された水辺は、異界・他界の入り口であり、近づいてはいけない場所なのだ。
他にも俗に境界と呼ばれる場所は多い。これらの場所に、夜間に興味本位で行く事など、もっての他である。境界は、山や子殺しの水辺だけでなく、川や橋、坂道、村はずれ、辻なども境界(異界との出入り口)と呼ばれ、人々から回避されてきたのだ。
このように、過去には人と魔物が互いに、譲り合う社会が実現されていた。つまり、人間と魔物は、時期や場所をうまく使って、お互いに上手に棲み分けてきたのだ。だが、昨今、そのバランスが崩壊しようとしている。
私たち人間は、先祖が心に抱いた死者や妖怪に対する恐れを忘れ、横暴の限りを尽くしている。両親に感謝せず、敬愛すべき老人を蔑ろにし、仏壇や墓石に手すら合わせない。またIT企業の引き起こす一連の事件を見ても、金や名誉が、信仰心や道徳観を越えてしまう異常な価値観がみてとれる。
また、妖怪や幽霊などの存在を認めず、科学で説明できない不思議な事は何もないと断言する科学至上主義が横行したり、本来恐れ敬うべき怪談や都市伝説を捏造する罰当たりな輩さえも出現する状態である。
このままでは、人間は異界・他界の住民たちに契約違反を理由に呪われてしまう。かつて、源頼光が持参した毒入りの酒でだまし討ちにあった鬼神・酒呑童子は最後にこう言った。「鬼神に横道無きものを」裏切るのはいつも人間のほうなのだ。
山口敏太郎
@過去の記事の蔵出し
人間社会のすぐ側には、異界や他界と呼ばれる世界が存在するという。つまり、我々が生活する傍らには、現世とは違う世界が口を開けていると考えられてきたのだ。
異界と現世は隣接しており、二つの世界は境界という通路でつながれている。そして、異人(まれびと)や妖怪たちが境界を通過してやってくるのだ。また、他界とは、俗に言うあの世の事で、死者が旅立つ世界だと言われている。こちらの世界は異界よりも現世に来訪する事が難しいらしく、お盆など限られた機会に絞られる。
つまり、常に我々人間は、妖怪や幽霊たちに見つめられ、その来訪を受けながら、共存してきたのだ。それ故に、人間と魔物たちとの間で結ばれた契約が存在する。勿論、具体的に契約文書が実在するわけではないが、長い年月をかけて我々人類と魔物たちは、お互いに共存する為に、数々の決め事を行ってきたのだ。
まずは、魔物たちが活躍する期間には、海や山に人間は立ち入らないという暗黙の了解があった。その代表的な例は、夏祭り(お盆)という時期である。夏祭り、特にお盆前後に開催される夏祭りは、他界から舞い戻る死者を供養する祭りである。この時期に俗に近寄ってはならない場所(禁足地)に踏み込んではならないとされてきた。
読者の皆さんもお爺さんやお婆さんに、「この時期に海や川に近づいてはいけない」と言われたことはないだろうか。お盆前後の水遊びや水泳は、死者に足を引かれるといって禁止されたものである。
事実、お盆に水泳した為に、水中の死者にしがみつかれ、溺死しかかった事例は多数ある。しかも、この現象はプールの中でも起きているから、事態は深刻である。夏祭り時期の水中には、黄泉の世界への入り口がぽっかりと口を開けているのかもしれない。
このように、人間と魔物の中には、お互いに共存するために様々な取り決めがある。例えばお盆の時期には、遊泳だけでなく船も出してはいけないと言われているし、地域によって日程は違うものの12月は、山に入ってはいけない日があると言われている。
また、平安時代には、百鬼夜行が徘徊する日があるとされ、その日の夜は外出が厳しく制限された。
しかしながら、いつの時代も無鉄砲な人物はいるわけで、お盆に船を出して海坊主に襲われたり、12月の禁足日に山に入り、妖怪に遭遇した話は枚挙に暇がない。
百鬼夜行にいたっては、その日に外出した貴族が、群れを成す妖怪たちに出くわし、お経の書かれた札によって助かった事件も発生している。魔界の住民どもとの約束を破った者は、必ず強力なしっぺ返しを受けるのだ。
さらに人間と魔物は、場所によって住みわけも行ってきた。例えば、山はかつて魔物の棲む領域とされた時代もあった。平安時代まで、遺体は埋葬されるわけでもなく、山中に遺棄されてきた。つまり、山そのものが異界、他界とみなされたのである。その名残であろうか、人は死にたくなると樹海や山に向かっていくし、恐山や熊野信仰も山へ畏怖の名残である。であるからして、一般の人間は山に気安く入れなかった。平安時代に存在した山守(やまもり)という役職は、異界への侵入者を阻止する為にあったのだ。勿論、山中で生活した山の民や、高山で修行した山伏なども実在したが、彼ら山男や天狗など妖怪としてみなされたのだ。
他にも人間が入ってはいけない場所がある。赤子や幼児が流された水辺である。日本が貧しかった時代、貧窮した一家の中には、生きていくために生まれてきた子供や乳飲み子を始末せねばならないこともあった。俗に間引きと呼ばれる、因果な風習が日本にはあったのだ。この悪しき蛮行によって、大勢の子供たちが殺されてきた。飢饉もなく、子供が死ななくなったのは、ほんの最近の出来事である。
その子供たちの遺体は、大抵山や川に遺棄された。その場所は、赤子、童、稚児、子などの文字の入った地名で呼ばれている事が多い。筆者が取材で訪問したのは、東京都青梅市の赤子橋と、福岡県久留米の赤子川である。二つとも、(間引き、或いは飢饉で)死亡した赤子が遺棄された伝説のある場所であった。
特に青梅の赤子橋(何故か地図上では、稚子橋と記述されているが、地元の古い住民は口を揃えて赤子橋と呼んでいる)は、最近まで畏怖の対象であったらしく、昭和初期までは子供たちはこの橋を渡る時は、息を止めて渡ったという。そうしないと、赤子の霊に魂を抜かれると言われていたのだ。
また、欄干の間から川を眺めると、水面に浮かび上がる赤子の悲しげな顔が見えると言われていたらしい。
このような赤子たちの怨念の残る場所が全国には多数あるが、このような場所には迂闊に近づくべきではない。興味本位で近づくと間違いなく、障りを受けてしまうであろう。つまり、赤子や幼児が流された水辺は、異界・他界の入り口であり、近づいてはいけない場所なのだ。
他にも俗に境界と呼ばれる場所は多い。これらの場所に、夜間に興味本位で行く事など、もっての他である。境界は、山や子殺しの水辺だけでなく、川や橋、坂道、村はずれ、辻なども境界(異界との出入り口)と呼ばれ、人々から回避されてきたのだ。
このように、過去には人と魔物が互いに、譲り合う社会が実現されていた。つまり、人間と魔物は、時期や場所をうまく使って、お互いに上手に棲み分けてきたのだ。だが、昨今、そのバランスが崩壊しようとしている。
私たち人間は、先祖が心に抱いた死者や妖怪に対する恐れを忘れ、横暴の限りを尽くしている。両親に感謝せず、敬愛すべき老人を蔑ろにし、仏壇や墓石に手すら合わせない。またIT企業の引き起こす一連の事件を見ても、金や名誉が、信仰心や道徳観を越えてしまう異常な価値観がみてとれる。
また、妖怪や幽霊などの存在を認めず、科学で説明できない不思議な事は何もないと断言する科学至上主義が横行したり、本来恐れ敬うべき怪談や都市伝説を捏造する罰当たりな輩さえも出現する状態である。
このままでは、人間は異界・他界の住民たちに契約違反を理由に呪われてしまう。かつて、源頼光が持参した毒入りの酒でだまし討ちにあった鬼神・酒呑童子は最後にこう言った。「鬼神に横道無きものを」裏切るのはいつも人間のほうなのだ。

