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[CD34]
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.61~
ヴォルフガング・シュナイダーハン(Vn)
オイゲン・ヨッフム(指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団[録音:1962年],
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.219~
ヴォルフガング・シュナイダーハン(Vn&指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団[録音:1967年]
ヴォルフガング・シュナイダーハン
Wikipediaでは
【略歴 編集
1915年、ウィーンで生まれ、最初はウィーン音楽院ヴァイオリン科の主任教授であったオタカール・シェフチークに、ついで Julius Winklerに学んだ。10歳の時に公開演奏会でバッハのシャコンヌを弾いた。翌年の1926年にコペンハーゲンでメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏してデビューした。
1933年から1937年までウィーン交響楽団のコンサートマスターを務めたが、1937年からは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団にコンサートマスターとなる。ナチスによって、第1コンサートマスターであったアルノルト・ロゼがロンドンへ亡命せざるを得なくなったため、1938年に第1コンサートマスターに就任した。
1938年3月、ウィーン・フィルの首席奏者らと弦楽四重奏団を結成し(シュナイダーハン四重奏団)、1951年8月2日まで活動を続けた。
1949年にソリストとして独立するためにウィーン・フィルを退団。
また、ザルツブルク、ウィーン、ルツェルンでヴァイオリンの教職にもあった。1956年、ルドルフ・バウムガルトナーとともにルツェルン音楽祭弦楽合奏団を創設した。
室内楽の分野でも、前述のシュナイダーハン四重奏団での活動の他、カール・ゼーマンとデュオを組んだりした。当時から「クーレンカンプの後継者といえたのはウィーン出身のヴォルフガング・シュナイダーハンだけだろう」(ハンス・ハインリッヒ エッゲブレヒト)と言われており、エドウィン・フィッシャー、ゲオルク・クーレンカンプ、エンリコ・マイナルディとのトリオは、ゲオルク・クーレンカンプ没後にシュナイダーハンに交代した。
2002年、ウィーンで没。
兄はウィーン交響楽団のコンサートマスターを務めたヴァルター・シュナイダーハン。妻のソプラノ歌手、イルムガルト・ゼーフリート(en)とは1988年に死別。妻との間に3人の娘がおり、うち一人は女優のモナ・ゼーフリート(de)。甥にドイツ連邦軍総監を務めた同名のヴォルフガング・シュナイダーハンがいる。】
若い時はベートーヴェンのヴァイオリンコンチェルトの良さがいまいちわかりませんでしたが、今では大好きな曲のうちの一つになっています。
モーツァルトのトルコ風コンチェルトは事故後病院でリハビリしてる頃何度も聴いていて力を与えてくれたので大好きになった曲です。
ヴォルフガング・シュナイダーハンという人の演奏は初めてですが思わず聞き込んでしまう魔力がある様でこのCDはヴァイオリン111から順番に聴いてるところですがどれも標準以上でどれ聴いても良い演奏ですがシュナイダーハンは私の好きなヴァイオリニストの1人になるかも。
この一枚ずっと聴いていられるかも
柿島秀吉
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