クラシック好きです

交通事故でC3.C4の四肢麻痺になって
障害者施設から在宅生活に戻れた日々の出来事

県立N総合病院5西其の8

2011-02-26 07:24:12 | 日記
脊髄損傷C3・4四肢麻痺障害者が人工呼吸器外せるまでに

一昨日面会に来たライダー仲間と会話してたら
バイク乗りが骨折で同じ病院に来たのは11月の末らしい
呼吸器外して車イスに乗り始めるのに5か月かかったということですね
それから完全にはずせるまでに一ヶ月

慣れ始めると早いらしい


もっと早かったのが
夜間人工呼吸器が外せたその日に

おばあちゃんN主任

「この501号の個室部屋は特別重症の人しか入られません、重症でなくなったのでどこか出ていってください!」

y「??うん?」


どうも
今の部屋はナースステーションに近いので死にそうな人が入る部屋であって
人工呼吸器外せるような元気な人は入ってはいけないらしい

「絶対はずせない」発言してたNの(ばっば~が・・・・あん!)

ということで
今までは個室でも料金掛からなかったらしいが
翌日からは全く同じ間取りの個室ですが料金はとられたようです。


そうして
3月に行った尿検査まで
リハビリに行く以外は無言の脅しで(膀胱魯)
部屋の空気がやけに重く感じたことは覚えています


担当のいなかっぺ
Hちゃんも

「呼吸器はずせるとは思わなかった」

言ってましたが
アナタ全くお手伝いしてくれなかったでしょうが!

この子の場合自分で考える能力がないことは明白で
膀胱魯発言の後押しは健康優良児の影響だし
呼吸器はナースセンター全体の影響であることは明白ですね
(思考能力ないやつは黙ってろっちゅうねん!)



困った3バカでした


リハビリに関しては
OTのOさんはやたら元気で
病院には珍しくポジティブ思考で助かりました

ただこの頃のわたしは本当に肩の上っ面から首から上しか動かせないので
何やっても辛かったですね
すわったまま肘をつけて頭を起こす訓練が
動かせる筋肉を最大限動かす訓練でしたがかなりきつかったことを思い出します

健康な自分だったら
愛する人を背中にのせてスクワット100回くらいの感覚ですね
何するにしても少ない筋肉をどうやって増やすか


毎日意識してました。

PTのKさんは
可愛い顔して大人しそうに見えるのですが
仕事は仕事と割りきるタイプらしく淡々とこなしてくれました

春までは起立制低血圧克服のため車イスで散歩が多かったですね
病院のまわりにちょこっと咲いている桜を眺めにいったりしました。

随分おちなくなってからは起立台に立たされることが多くなりますが
あっという間に意識が落ちます

あはは

ただもうすぐ病院追い出される7月頃には
起立台70度位の角度で一時間くらいたたせてもらえるようになりました
最後の2回だけでしたが・・・

その時の血圧の動き残ってると楽しいのですが
血圧が36くらいに下がっても落ちなくなっているわたしがいました。

なんでも
なれなのかな♪


ちなみに2011年2月現在はどうかと言いますと
週2回80度で17分の訓練をやってもらってます
調子悪いと前傾して倒れてしまいますが

厳しい訓練は大好きです。


yozame
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脊髄損傷患者の作り笑顔

2011-02-25 20:12:51 | ふと感じること
四肢麻痺だと


一人では何もできません!

本当に何もできないのです。


顔が痒くとも
鼻がむずむずしようとも
寝返りも



そんな私を
介護してくれるのが

看護士であり
介護士であり
ヘルパーであります



そんな人たちに嫌われたら
自分はどうしようもない


なので嫌われないように・・・・・・笑顔?





そんなつまらない笑顔はいらない!

作り笑いがないと生きていけない世の中なんてなくともよい!




違うでしょうか?


プロなら
やるべきことをしっかりこなして欲しい。


貴方が気がつかないお陰で
わたしは苦痛に見舞われているのだから


あなた方が能力ない為に
どれだけの患者が我慢を強いられてるか



なぜ?

その程度のことがわからないのですか?





無意味な笑顔

私はやめました。




yozame
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出遅れピアニストの独り言1

2011-02-25 11:01:09 | 音楽
高校入学から習い始めたピアノで東京音楽大学に入学できたが
実力の違いをまざまざ見せられた一年目

何とかしなければと担当の先生を変えます。
当時大学で一番怖いと噂されていた岩津先生のレッスン受け始めたのが2年に進学してからでした。
とにかく他の人より数段テクニックが劣っていたので
盛んに練習曲を自分で取り上げていたのを思い出します

はじめてのレッスンはオールショパン練習曲
特に革命とop10-4はよく練習して持っていきました

初めてのレッスンで岩津先生は

岩津「おもったより上手じゃない!ピアノを高校から始めたわりに。」

y「はい」

岩津「とにかく指は弱そうだからハノン1~10覚えてきなさい」

y「はい?」


そうやって
しばらくハノンをやらされるyozameであった。
事実yozameは一度も止まらずに弾けるようになるのに
一ヶ月もかかってしまいました。

弾けて当たり前のハノン
弾くときのコツをお話しします


○鍵盤に指を押し付けて音がなると同時に脱力出来ること
○次の音を弾く指を押し付けることより、弾き終わった指を素早く引き上げることに意識を

この言葉で理解できれば
貴方も音大レベル?

え?

わたしが知らなさすぎですか
あは

ピアニストが腕を大きく振り上げたりするのは
今のと同じ原理かも

日本太鼓も叩いた後のひきてが大切そうですし
走るときは腕を前に突きだすより後ろに引く方を意識すると反対側の腕は自然と前に出る

次に
いかに綺麗な音を出すか

これは出したい綺麗な音を知っていることが大切です
後はハーモニーにはバランスがあること

次に
いかに素敵な演奏出来るようになるか

これも正しい表現方法を知ってることが大切です


【正しいタイミングで正しい音が弾ければ音楽は流れます】
の様なことをルビンシュタインが発言していたような気がします



わたしが自信持って言えることは

「ピアノが弾けるようになりたいと思ってる間は弾けるようになります」

年取っても大丈夫かな?
などと思ったとたん弾けないでしょう。

どんなことでも
年は関係ありません前向きに挑戦したら良いと思います



yozame
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身体障害者の生き方2

2011-02-25 08:05:52 | 日記
わたしは事故で脊髄損傷で四肢麻痺になりました。
現在KY障害者施設でミエナイイワナイカンジナイの人間捨てた状態で日々暮らしてます。

施設に住んでみるとわかりますが
利用者はストレスの塊です。

とにかくナンセンスな規則や決まりでがんじがらめ
わたしの一日は食堂に出掛けるとき以外は自室でテレビ見てるだけ
あと出掛けるのは週二回のリハビリとお風呂だけ
一日100メートルも移動してないと思います。

そんな決まりも施設の中だけ
自分の生命保険が降りていたので
中古アルファードリアスロープの福祉車両を購入しました
購入してから気がつきましたが
電動車イスだと多少リクライニングしないと入られません

買うならハイエースかキャラバンのほうが良いかも
ただディーゼルではないので動きはスムースです

アルファードの福祉車両のおかげで随分ストレス解消になったか

まず施設は個人的な理由で車は貸し出してくれません
たとえ親の葬式であろうが個人的に出掛けたい病院であろうが貸してくれません

ではタクシーは?
県内で電動車イス乗れるタクシーは一台しかなく予約で埋まっています
レンタカーも見つからず
障害者専門のタクシーは予約で埋まっている状態です。

そう
出掛ける自由なんて
車に乗られる人だけです

車を購入したお陰で随分助かりました
一番はライダー主催のBBQに参加できること

あは♪

年に数度程度ですが
ストレス解消栄養補給にバッチリです

将来の自分の家をたてる為の土地を選ぶのにも
その車で出掛けて確認してきました。

ただ
わたしは独り者で自宅に誰もいないので
身体障害者の得点を使えていません
税金は毎年払っています

自宅に住めると自動車税も払わなくともよくなるらしいのですが。


施設に世話になっているなら
車で出掛けられるということはかなりストレス解消になりますね。



yozame
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県立N総合病院5西其の7

2011-02-25 07:48:28 | 日記
脊髄損傷3番4番の場合
呼吸困難さらに排泄排便も困難になります

事故からずっと尿パックと陰部がカテーテルで繋がっていて
常時垂れ流し状態だと言うことですね
尿が詰まらないように薬を服用していたと思います

便に関しても
ピンクの薬とテキベンで対処してました



ここで
健康優良児のTさんがしゃしゃり出てきて命令します

T「四肢麻痺は自分で処理できないんだから膀胱魯?にしましょう」

yozame「なぜですか?わたしはこのままでよいです・・良くなるかもしれませんし」

T「よくなるわけがありません!特にyさんの尿は汚れやすいらしく尿パックが10日も持ちません点数に会わないし勿体ないから手術です」

yozame「良くなるかもしれないので手術は断ります」

T「とにかく排尿検査受けてみましょう」

yozame「この糞女メが!」


(心の叫びです)

こんな感じでむりやり検査を受けさせられました
最初はなんの知識もなかったのでなにがどうやら?

その後
天使のKさんが前もって色々調べてくれて対処してくれるようになります。
とくに【森 照子さんのリハビリ記録】の関係者から
絶対膀胱魯はやめましょうとのアドバイス頂いていたようです

深感謝



それでも横暴でバカな看護士は手に負えません
やたら無理難題好き勝手していきます。


健康優良児Tの場合
泌尿器科の先生が好きだったのが強引な理由だったらしいが・・

最初の検査の結果がどうだったかは聞かされませんでしたが
検査はカテーテルで200cc直接膀胱に入れどれだけ排尿するか調べるだけです

皆さん
普通の人なら人前でおしっこは我慢するのが当然ですが
検査なら思いっきり復圧かけておしっこを押し出しましょう
それやらないと家族に導尿できる人がいないと膀胱魯にされてしまいます

さいわい一回目は様子を見ると言う結果でしたが
追い出されそうな頃の話でしたので12月頃ですね
その後3月にも検査受けて尿は自力で出せると言う判断が出るまで


健康優良児T
いなかっぺH
おばあちゃんN

入れ替わり立ち替わり脅迫めいた感じで膀胱魯を勧めてくるのでした

おばあちゃんN「膀胱魯は嫌だったらいつでも戻せるから手術しなさい」

(ぼけくさ!何時でも戻せるって無責任なこというんじゃね~!)

健康優良児T「yさんの尿は汚れやすいし汚いから膀胱魯にしなきゃ!」

(それを交換するのがあなたの仕事でしょうが!)

健康優良児T「臭いのはしたくない」

(あんだ~?○▼×■あ◇~~・・!)


その間泌尿器科の先生は一言もなにもいいません!
この状態は犯罪ではないのかと今でも思ってしまう


復活したら
この三人どうにかする!





結局わたしは現在
普通のオムツ状態です
導尿はしてません

排便排泄用の薬は事故から1年で止めました。

ばあちゃんN「膀胱魯は楽でいいよ~」
なんのことはない
楽なのは看護士がなにもしなくてよいだけで
月に一回から二回病院で洗浄交換しないといけないので
余計面倒かと思います

わたしはオムツにかわって
息子にカテーテル突っ込まなくてよくなり
いままでへたな看護士が突っ込んで傷だらけの血だらけの息子が
綺麗に元通りになれてほっとした記憶が残ってます。


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yozame
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