クラシック好きです

交通事故でC3.C4の四肢麻痺になって
障害者施設から在宅生活に戻れた日々の出来事

心に響く音楽『パブロ・カザルス ベートーヴェンチェロソナタ』

2017-02-16 12:03:38 | 脊髄損傷
ベートーヴェン チェロソナタ
カザルス&ゼルキン



1951年と1953年にペルピニャンおよびプラードのカザルス音楽祭で収録された、パブロ・カザルスとルドルフ・ゼルキンによるモノラル時代の名盤「ベートーヴェン:チェロ・ソナタ全集」の、ひさびさの新規リマスタリングによる復活です。
 パブロ・カザルスは、バッハの無伴奏チェロ組曲を蘇演したことでも有名ですが、彼の偉大さはその生き方にあると言っても過言ではありません。祖国カタロニアを愛しつつもスペインのフランコ独裁政権を激しく批判し、「スペインに自由と人民の意志を尊重する政権が樹立されないうちは一切の公演演奏を行わない」と宣言して、二度と祖国の土を踏むことはありませんでした。ゼルキンと組んで録音したこの録音では、これぞベートーヴェン! というよりも、これぞ人間の手になる音楽だというメッセージが刻まれています。決して媚もせず、しかし決して意地を張らず、ひたすらに音楽を奏でるカザルスの感動的な記録です。(SONY)

【収録情報】
ベートーヴェン:
・チェロ・ソナタ第1番ヘ長調 Op.5-1
・チェロ・ソナタ第2番ト短調 Op.5-2
・チェロ・ソナタ第3番イ長調 Op.69
・チェロ・ソナタ第4番ハ長調 Op.102-1
・チェロ・ソナタ第5番ニ長調 Op.102-2
・『魔笛』の主題による7つの変奏曲変ホ長調 WoO46
・『魔笛』の主題による12の変奏曲ヘ長調 Op.66

 パブロ・カザルス(チェロ)
 ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)

 録音時期:1951年、1953年
 録音方式:モノラル
 リマスタリング:ベルリン・b-sharpスタジオ

この録音ではパブロ・カザルスの唸り声がグールド並に聞こえてきます
人間が芸術してるのが生々しく伝わってきます
目の前で繰り広げられてる演奏姿まで見えるかのごとき演奏

ムスティスラフ・ロストロポーヴィチとスビャトスラフ・リヒテルの演奏では
異次元の世界へ引き込まれるような緊張感が感じられたかと思いますが

カザルスは本当に自由に羽ばたき歌ってるように感じられます
ちなみにルドルフ・ゼルキンの歌声もしっかり聞こえてきたりして
これぞ音楽という演奏かと思われます。

柿島秀吉
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脊椎損傷障害者『心のつぶやき04』

2017-02-14 15:03:23 | 脊髄損傷


脊椎損傷障害者『心のつぶやき05』

日本が平和だと感じるのは取り上げられてるニュースを見てると感じる

松本伊代さんの線路の話
近所に時価二千円の下着が盗まれて本名が挙げられてる地方紙
不倫の話


私は日本から出たことありませんから
よその国ではどう扱ってるか知りませんが
もっと日本が大人になれるような話題を取り上げてほしいものです

駅構内で線路で横たわってる間抜けはさらされても仕方ないが
たかが記念写真程度

こんな発言をして
「それらの何が違うんだ?」

なんて言ってくる間抜けが増えているんだろうか?

柿島秀吉
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心に響く音楽『ハイメ・ラレード』

2017-02-13 11:57:30 | クラシック音楽
心に響く音楽『ハイメ・ラレード』


Disc20
1) ヴィヴァルディ:ソナタ第2番イ長調Op.2-2
2) ファリャ:『スペイン民謡組曲』より『ナナ』『ホタ』
3) マリア・テレジア・フォン・パラディス(ドゥ シュキン編):シチリエンヌ
4) ヴィエニャフスキ:スケルツォ=タランテッラ Op.16
5) J.S.バッハ:『管弦楽組曲第3番』よりアリア
6) パガニーニ:カ プリース第13番変ロ長調
7) ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女
8) サラサーテ(ジンバリスト編):カルメン幻想曲

ハイメ・ラレード(ヴァイオリン)
ウラディーミル・ソコロフ(ピアノ)

録音:1959年《★世界初CD化》

Wikipediaでは



『Jaime Laredo (2014)
ハイメ・ラレード(Jaime Laredo, 1941年6月7日 - )はアメリカ合衆国のヴァイオリニスト・指揮者。ハイメ・ラレードという表記はスペイン語の発音に準ずるものだが、英語読みに従って、ジェイミー・ラレードと呼ばれる場合もある。

経歴 編集

ボリビアのコチャバンバ出身。5歳で音楽を始め、1948年に北米入りしてアントニオ・デグラスに学ぶ。フランク・ハウザーにも入門した後クリーブランドに移り、1953年にジョーゼフ・ギンゴールドに師事した後、カーティス音楽院でイヴァン・ガラミアンの薫陶を受ける。

1960年10月にカーネギーホールで開いたリサイタルは高く評価され、その後の経歴を築く上で手助けとなった。翌1961年にはロンドンのロイヤル・アルバート・ホールに出演。その後は欧米の多くの主要なオーケストラ(ボストン交響楽団、シカゴ交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団、クリーヴランド管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団、ロンドン交響楽団、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、シラキューズ交響楽団)と共演を重ねる。

ヴィオラ奏者や室内楽奏者としても活躍し、アイザック・スターンやヨーヨー・マ、エマニュエル・アックスらとのコンビでピアノ四重奏団として録音を残した。カリクシュタイン=ラレード=ロビンソン・トリオとしても活動している。グレン・グールドと共演した録音も名高い。1999年よりヴァーモント交響楽団の指揮者を務めている。現在、インディアナ大学音楽学部(ジェイコブズ音楽院)の教授を務める。』

このボックスは録音が良いのか演奏が良いのか
惹きつける録音が大変多いような気がします。

ハイメ・ラレードの小品集ですが聴いたことのないヴァイオリニストかと思いきや
昨年私が聴いたCDでベストと思われるグレン・グールドのJ.S.バッハヴァイオリンソナタ
で相手をしていたヴァイオリニストでした。

このCDも大げさにこれまで聴いたどのリサイタルより感動できたと言って良いほど
録音状態も良いと思います。

GENELEC 1038Bで音楽聴き始めてからいろんな音楽が聴きやすくなってきてます。
このスピーカーは絶対お勧めできます
ただし防音設備ができてる箱に限ります。

柿島秀吉
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心に響く音楽『アントニオ・ヤニグロ』

2017-02-12 08:32:12 | クラシック音楽
心に響く音楽『アントニオ・ヤニグロ』



Disc19
1) ボッケリーニ:チェロ協奏曲 変ロ長調G.482
2) ヴィヴァルディ:チェロ協奏曲 ニ長調 R.230
3) J.S.バッハ(原曲:エルンスト公):協奏曲ト 長調BWV.592

アントニオ・ヤニグロ(チェロ)
ザグレブ・ソロイスツ(ザグレブ室内合奏団)

ボッケリーニもヴィヴァルディも初めて聴く曲かどうかさえわかりませんが
アントニオ・ヤニグロの音色の何と自然で素直で伸びやかな事
アントニオ・ヤニグロという名さえ初めて聴くが小さいときカザルスに習い?

Wikipediaによると

『アントニオ・ヤニグロの父はピアニストを目指していたが、戦争で腕を撃たれキャリアを断念していた。アントニオ・ヤニグロは6歳でピアノ、8歳でジョバンニ・ベルティ(Giovanni Berti)からチェロを習う。ヤニグロはすぐさまこの楽器の虜になり、数年後にはミラノ音楽院に入学が認められ、ジルベルト・クレパック(Gilberto Crepax)に師事した。 ヤニグロが11歳の時、母ニコラの努力で、巨匠パブロ・カザルスのレッスンを受ける。カザルスはパリのエコールノルマル音楽院でカザルスのクラスのアシスタントをしていたアレクサニアン(e:Diran Alexanian)に、「ヤニグロ少年は細やかな情感を持った、輝かしい器楽奏者・・・」との推薦状を書いた。

パリ留学時代 編集

ヤニグロは16歳までミラノに留まり、1934年からパリのエコールノルマルに留学して、カザルスとアレクサニアンに師事する。パリではポール・デュカス、イーゴリ・ストラヴィンスキー、ジャック・ティボー、アルフレッド・コルトーといったといった才能と交わる。またディヌ・リパッティは親友であった。

1937年エコール・ノルマルを卒業。ディヌ・リパッティやパウル・バドゥラ=スコダと共に、ソロ活動を始める。当時、しばしばミラノ〜パリ間の夜行列車を利用していたが、空の客室を見つけては練習していた。あるとき客室のドアが開くと、一人の紳士が入ってきて、それがきっかけでフランスでのリサイタルになったこともあった。

ザグレブ時代 編集

ザグレブ(クロアチア)はヤニグロにとって第二の故郷とも言える。第二次世界大戦中、ヤニグロはユーゴスラヴィアのザグレブ音楽アカデミーのチェロと室内楽の教授としてザグレブに留まった。ヤニグロはユーゴスラヴィアのチェロ界の近代化につとめるとともに、ザグレブ放送交響楽団を指揮、また1953年にザグレブ室内合奏団(I Solisti di Zagreb)を設立、自ら指揮をした。ザグレブ室内合奏団は世界的な室内合奏団としての地位を確立して、数々の演奏会と録音を残している。

ヤニグロは晩年を思い出の地ザグレブで過ごした。当地ではヤニグロの没後、その功績を讃え「アントニオ・ヤニグロ・国際チェロコンクール」が開催されている。』

とにかく聴いていて心がスーッと持っていかれるような演奏をする人のようだ。
今度もっと知ってる曲を聴いてみようと思う。

柿島秀吉
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脊椎損傷障害者『心のつぶやき03』

2017-02-11 08:42:15 | 脊髄損傷


脊椎損傷障害者『心のつぶやき03』



脊椎損傷四肢麻痺障害者に向って生きていられることに感謝しろと抜かす間抜けな介護士が結構いるようですが、私自身日本に生まれて本当に良かったと心から感謝しています。

自分が健康な頃いざという時は延命処置はしないでいいと言う話をしてはあったがいつの間にか人工呼吸器が取りつけられガッチャンガッチャンいう機械とともに管で栄養を胃に送ってる状態にさせられていました。

今現在四肢麻痺でそれほど楽しみもないので事故当時命がなくなっていても後悔のない人生を送っていたかと感じたりします。
なんせ事故ってから病院で目覚めるまで何の苦痛もなかったのだからあのまま息を引き取っても何の苦痛もなかったことは間違いない。

反対に四肢麻痺として生きながらえたので病院の間抜けな看護師との闘いや障害者施設等での地獄の生活を味わされてしまう羽目に陥ったのだと感じます。

あっさり死んでいたらここまで間抜けな福祉の社会に関して興味も持たなかったことでしょう。
そんな地獄のような生活を送っている中でも、ここが日本でなかったら四肢麻痺の私が肥溜めに放置されても文句の言えない生活に陥ったかもしれません。

間抜けな介護士や職員なんてどこにでも履いて捨てるくらい存在してるのだからある程度は我慢しますが、間抜けな介護士の間違った労働には感謝することはありません。

障害者というだけで低く見てくる間抜けな介護士は近寄って欲しくありませんし、私が五体満足なら近寄って話すことすらなかったと思います。

日常生活で間抜けなサービスしてる店員に感謝してるアフォにはなるつもりは一切ありません。
とにかく日本人で生まれたことには感謝しております。

柿島秀吉
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