知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

リバタリアン的思考と福祉主義。

2011年01月29日 | 国家論
チン氏(43歳)。中国の大富豪。 
台湾に14億円寄付。

宣伝目的だ。
慈善活動に基づいた統一工作だ。
中国が台湾を取り込もうとしているいう意見もあります。

派手なパフォーマンスを行うからです。
ただ、寄付をするという行為自体は、貧しい人には助かる行為です。


この事例を題材に、国家論について、検討してみます。

まず、中国は、日本よりも税金が安い。
そのため、貧富の差が拡大しています。
貧富の差をなくすには、国家が重税を課し、福祉予算を組み、貧しい世帯に配分する方法があります。

ただ、この方法をとると、重税により、企業や働く個人のモチベーションが下がります。
その結果、これから成長していこうという国家の戦略としては、望ましくないわけです。
そうなると、たくさん税金を課すことができない。

他方で、生活ができない貧しい人を国家が支える必要がある。
国家の目的は、すべての国民を幸せに生きられるようにすることだからです。
そのために、税を徴収する権限や、法律で国民の行動を規制する強制権(刑法など)が認められているわけです(社会契約論)。

リバタリアン的思考は、国家の権限はできるだけ少なくした方がよいというもの。
それは、国家に対する不信が背景にあると考えられます。

 国家は、無駄なことばかりする。信用できない。
福祉名目でお金を持っていっても、実際に配分に回るお金は少なくて、
役人の給与や退職金や豪華な施設を作るためにピンはねしているんだろ(年金基金のお金が少なくなっているのも、グリーンピアなど無駄な施設を作り廃墟としたり、労働をしない天下りの職員の給与や退職金をたくさん渡しているため。そのほかには、投資の失敗。)。

競争原理が、イノベーションを生み出す最良の方法であることからすると、
 国家は小さくして、原則として国民の自由にさせたほうがよい。

この帰結は、リバタリアン的思考から生み出されるものです。
これが、小さな国家です。

大きな国家は、財政破綻を招きます。
今の民主党政権を見ていると分かると思いますが、ばらまきの財源が必要だからです。

その財源のためには、
 税率を上げたり、新税を作ったりして税収を上げる
か、
 将来のつけで国債を発行する
か、
 いままで、払っていたものをやめる
かしかありません。

ただ、いままで払っていたものをやめるというのは、非常に難しい。

 来月から、住宅手当なくすよ
と言われたと思えばイメージできると思いますが、
 抵抗が大きいからです。

人は、得られている利益を当たり前のものとしてとらえ、それがなくなる場合は、
 自分の権利が不当に侵害された
ととらえるからです。

 既得権益を得ている人の抵抗が大きいのは、そういう思考だから
です。

それを断行するには、強いリーダーシップが必要です。
最近それをやり遂げたのが、小泉元首相です。
抵抗勢力は、権限を手放さないように必死でしたが、剛腕でやり遂げました。
その後、戻されつつありますが、一定の変化が起きてはいます。
(公共事業削減により、地方の疲弊につながったという見方もありますが、
地方分権による財源移譲が遅れているからが原因であって、
地方の無駄な公共事業を止められたというのは功績だと思います。)


民主党は、ねじれのため、既得権の削減は難しい。
そうなると、増税か国債発行。
増税は限度があるため、今後も、安易な国債発行ですませる。

日本は自国民が保有しているから大丈夫と豪語するエコノミストがいますが、
この大丈夫というのは、デフォルトにはならないという意味で、
将来の大増税や、インフレによる資産の値ベリについては、否定はしていない。

大増税やインフレも、国民の資産の奪取には変わりはありません。
しかも、
 親が飲み食いした費用を、子供や孫の資産で補う
ということになり、世代間の不平等が深刻な問題となってしまう。



プライマリーバランス(収支)を保つためには、
 小さな国家
の方がよいということです。
大きな国家は、その分の財源を見つけなければならないからです。

でも、そうなると、福祉はどうするの?

それが、名誉。ここでチン氏。

まず、成功した人は、そんなにお金がなくても生活はできます。
前に述べた限界効用逓減の法則。
大富豪が寄付をするのも、お金を持つこと自体にはあまりどきどきしないからだと思います。
ありすぎても別に面白くはない。

カードを集めている人なら、いくら希少価値が高いカードでも何枚もいらないと思うはず。
いくら希少価値があるとはいえ、自分の持っていないカードと交換してくれる人がいれば、
交換して、コレクションを完成させたいと思うはず。

大富豪が寄付をするのは、おそらく、人が喜んでくれる笑顔や、自分が社会の役に立ったのだという自己実現のためだと思います。
これが、お金とエネルギーの交換です。

こういったお金とエネルギーの交換は、大富豪でなくても、余裕がある人なら行えます。

国家が介在させなくても、地方自治体やNPOへ寄付できるようにする。
そのため、その場合の、寄付控除を大幅に認めたり、
地方自治体は名誉市民として表彰したり、
NPOは特別功労者として感謝状を送ったりする。
別に、減税目的や、表彰されるために、寄付をするわけではないでしょうが、感謝されれば誰でもうれしいと思います。
今は、国や地方のためと思って税金をたくさん払っても、感謝されるどころか攻撃の対象にされてしまう世の中です。


そして、そのため、教育が不可欠です。
人格者を育てていく教育です。

僕の周りは、比較的生活に余裕がある人が多いので、自分のお金を使って、
まちのために行動するなどボランティアに積極的な人が大勢います。
寄付をする人も多い。

仕事も一生懸命にやり、いっぱい稼いで、周りに感謝し、ボランティアや寄付をする。
自利と利他のバランスが上手です。そういう人は、やはり幸せそうです。

自利と他利のバランスは、感謝されるという経験がないと行動に反映されないようで、
お金持ちの人でも、自分さえよければよいという考えのもと、非常にケチな人もいます。
そういう人は、周りから人が減っていき、あまり幸せそうではありません。

その差は、幸せに生きるということを、
 考えたことがあるかないかの差
だと思います。

 お金だけあれば、幸せに生きられる
と考えているため、
 お金以外の喜びや自己実現といったエネルギーの部分
を増やす方法を知らないわけです。



これからの子供には、教育により、知的に成長して、稼ぐスキルを身につけてもらう。
それと同時に、どう生きたら幸せだと自分が考えるか、どのように生きたいのかという哲学を学んでもらう。

その結果、助け合いの精神を身につけ、
尊敬されるべき人間、なりたい人格者のモデルを自分で描いて、
そのために努力するという人生設計を立ててもらう。


かつて、貴族の子供は、家庭教師をつけて旅をし、
 人間性を養っていました。
知的に成長することが、名家を維持するのに不可欠だからです。



 周りを見ても、あまり人間的に尊敬できる先輩はいないな
という場合、自分で本を読んで学んでいく必要があると思います。

おそらく、人格者と呼ばれる国民がたくさん増えていったときに、
 国家のスタイルは大きく変わる
と思います。

犯罪率は下がり、警察官の人員を減らせる。
生活できない人が少なくなり、福祉予算を減らせる。
寄付などで収支が楽になる福祉施設が増える。
たばこのポイ捨てなどが減り、清掃費が抑えられる。
子育てをきちんとする親が増え、児童福祉施設が楽になる。
電車でのマナーが改善され、マナーを呼び掛ける広告予算が減る。
図書館の寄贈図書が増え、本を買う予算が減る。
近所の自治会が活発になり、孤独死老人が減る。
話合いでの解決が増え、訴訟が減る。

今は、この反対のことが起きています。



最終的には、教育へ行きつきます。

そのため、もしもお金をたくさん使うのであれば、
 教育にお金をつぎ込むべきです。

教育は、未来の国家への投資だからです。
国民が知的に成長しつづければ、国家は何もしなくてもよくなります。

社員が自分たちで考え、利益を生み出し、サービスを提供できれば、
 経営者の負担が少なくなる
のと同じです。

高い税金を巻き上げて、分配したり、強制力を発揮して、思うように統制したりする必要がなくなるわけです。

小さな国家は、福祉が十分でない冷たい国家。
大きな国家は、福祉が十分な温かい国家。
とは、必ずしも言えません。

日本はいま、大きな国家で福祉が十分でない国家へと向かっています。
税金をたくさん取り上げて、国債の償還に回すことになるので、社会保障へ回らないからです。

日本が目指すべきは、
 小さな国家で、福祉が十分な温かい国家
です。

多くの国民が努力して、知的に成長し、
 自分の生活、
 自分の子供の生活、
 自分の親の生活
を何とかできるようにするのが理想です。

そして、不幸にも努力できない人に対しては、
 人格者である国民が助け合いの精神から手を差し伸べる。

仮に、そんな国家であれば、多くの人が幸せに生きられるだろうと思います。

ただ、現実は、教育の失敗から別の方向へ向かっています。
人のせいにし、国家のせいにし、自分では何もしない人が増えています。
そういう人を養うために、努力して仕事にありついて、毎日働いている人の負担は重くなっていきます。
仕事を手にするために、大学に行き、就職活動をし、プレッシャーに耐えて面接を受けるなど努力をした。
嫌な上司にも嫌われないようにと、行きたくもない飲み会についていき、説教を受けても我慢して聞いている。
お客の不当なクレームにも、妻と子供のためだと笑顔で耐える。
こういう人から、源泉徴収で、ざっくり税を持っていって、何もしていない人へ配る。
子供がいるからというただそれだけの理由で配る。

自助努力の原則が失われた国家は、財政破綻によって崩壊する。
理由は、国民の質が下がり、予算が増えるからです。

一番大事なのは、人です。
人は資本にも負債にもなる。

そのため、資本になるように、国家は教育に力を入れる。
僕が国家再生のプランとして、一つ上げろといわれたら、間違いなく教育の再建を上げます。
世の中を知らない教師に任せるのではなく、
 あらゆる専門職が将来の後輩とみなして、教育に参加する。

特に、高齢者は、きちんと後継者に現場の実権を渡して、自分は教育現場に携わるとよいと思います。
これが、役割分担の発想です。

コンサルタント、経営者、医師、弁護士、修理工、エンジニア、研究者、俳優、タレント、政治家、美容師、エステティシャン、
書道家、画家、・・・・

今は、この研究をしています。科学の教科書の何ページを開いてください。
この元素をうまく組み合わせて、年間何億円もの売上を誇る化粧品を開発しました。
開発の過程では・・・・・

科学も楽しくなりそうです。


若い世代が、親や祖父たちが残した負の遺産を何とかするために、知的に成長して、再建を図る。
そのためには、リバタリアン的思考が重要だと思います。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 知的な人物とは? | トップ | 地方財源の充実こそが、生活... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

国家論」カテゴリの最新記事