このブログの性格上、コメントは公開していないのですが、
よい質問だったので、特別にふれておきます。
・・・・・
森本氏の素性を知るほど、彼を文民と扱っていいのか疑問です。
退役(退職?)軍人を文民と呼ぶのはどうなのか。
「集団的自衛権は行使すべきであり、そのためには憲法改正までしなければならない」とまで発言しているようです。
・・・・・
某国会議員より、ずっと説得的です。
ポイントは、
過去、自衛官であったものが、文民と言えるか。
軍国主義思想を有するものが、文民と言えるか。
この2点。
この点は、憲法論になります。
現に、
過去に軍人であったものは文民ではない。
という説があります。
さらに、
軍人に、自衛官が含まれる。
という説に立てば、
森本氏は、自衛官の経歴があるので、文民ではない。
よって、大臣にはなれない。
こういった構成になります。
ただ、家庭の事情から、自衛官になる人もおり、
そのような人が、退職後も一生、すべての大臣ポストにつけないというのは、酷ではないか。
(自衛官経験者の職業選択の自由の問題)
そもそも、文民統制の趣旨は、軍に対する強い影響力を行使して、
内閣をコントロールすることを防止することにあるとすれば、
退職したものまで、文民に含める必要はない。
そのような考えから、
過去に自衛官であったものでも、現在自衛官でないのであれば、文民に含める
という考え方が一般的です。
次に、軍国思想の持ち主は、文民ではないという説もあります。
ただ、思想は、内面の問題であり、不明確です。
過去にどんな思想を持っていても、現在も維持しているのか不明。
また、『文民』という言葉の解釈として、
思想を持ち込むのは、一般的な感覚とは言えない。
職業、身分、経歴など、人の客観的な属性をいうと考えるのが自然。
(こういうのを文理解釈と言います。)
そのため、文民に思想を持ち込む説は、少数にとどまっています。
憲法解釈上、
過去に自衛官であった、軍国主義の思想を有する者
を、
文民ではない
とするのは、ハードルが高いということになります。
ちなみに、思想を持ち込む説には、「軍国主義の思想」の解釈においても、
どういう思想が当てはまるのかといった難しい問題がまた出てきます。
(さらに、森本氏の思想が軍国主義の思想とまでは言えないことを補足。)
そのため、文民統制から批判するのは、
憲法的には、難しいということです。
*****
ただ、
個人的に、こういう人は、どうなの?
という疑問について。
物事を考える際に、
法的にどうか
という点と、
道義的(感情的)にどうか
という点を分けて考えるとよいと思います。
今回の場合、法的な論拠は乏しい。
それを、法的な問題のように発言する国会議員は、勉強不足か、煽動型。
では、道義的、感情的にはどうか?
賛否については、いろいろな考え方があると思います。
賛成 民間を積極的に登用すべき。行政刷新。
専門家だから無知な国会議員よりまし。実利。
反対 やはり国会議員は国民の代表だから、法的に問題はなくても、大事なポストはそういう人がよい。
森本氏個人のかつての言動が心配だ。
このレベルは、法的なものではなく、好き嫌いも含め、
内心の問題
なので、どう思おうが個人の自由です(思想良心の自由 憲法19条)。
表現するのも、名誉侵害にあたらない方法によれば自由(表現の自由 憲法21条)。
メディアにおいても、
森本氏の思想に賛成するメディアもあれば、
反対するメディアもある。
では、森本氏に対する評価はどうしたらいいの?
最終的には、
総理の任命が相当だったか
という、
内閣支持率が一つのファクター
となります。
支持できない人を大臣にすれば、内閣支持率が下がるということ。
これが、民主主義というもの。
それと、もうひとつ、
今後は、責任の追及が可能になる
場合があります。
例えば、集団的自衛権は、非常に重要な問題です。
政府見解は、行使できない。
また、大臣(行政)としては、
憲法改正論議に加わるべきではない
と思われます。
そこで、
防衛大臣として、「憲法改正を行い集団的自衛権を認めるべきだ」という発言をすれば、
政府見解と異なるので、閣内不一致となる
おそれがあります。
その際には、
大臣としての資質
が問題となるということです。
過去の発言がどういうものか
を切り口にするのではなく、
防衛大臣として、今後、どのような言動をするのか
を中心に議論した方が、国益にかなうということです。
さらに、個人の過去の発言と大臣としての発言が異なった場合、
国民は、個人の信条と職務とは異なる
ということを認めるべきです。
大臣の資質は、憲法に従い、国民のために職務を全うすることです。
そのため、どんなに死刑が反対であったとしても、
法務大臣の職務である以上、執行しなければならない
わけです。
これが、職責を全うするということです。
もし、それができないのであれば、
初めから職務につくべきではない
わけです。
今後、メディアや野党によって、
大臣の過去の言動から、資質を問う
という動きも起こる可能性があります。
(法的根拠は弱いので、資質を攻撃するより方法がないため。
こういうことをしているから、国家存続にかかわる大事な法案の議論が不十分になる)。
その際に、
言っていることが変わった。変節だ。
という批判もあるはずです(主張を変えないと大臣を下ろされ、総理の任命責任まで追及されるリスク)。
ただ、大臣になるということは、
そういうもんなんだな
と、考えておくとよいと思います。
最終的には、
国民に資するように、行政を運営してもらう
ことが、
内閣の仕事
なので、
大臣として、国民の利益になるように働いてくれる
ことが重要なわけです。
最悪なのは、
操り人形のような無知な大臣(ペーパーを読んでいるだけ)
です。
税金の無駄だからです。
質問に対する答えは、
憲法上は、一般的には、文民といえます。
かつての言動について、懸念されるのは、もっともなことです。
今後の言動は、責任追及の対象となるため、注目していくとよいでしょう。
となります。
よい質問だったので、特別にふれておきます。
・・・・・
森本氏の素性を知るほど、彼を文民と扱っていいのか疑問です。
退役(退職?)軍人を文民と呼ぶのはどうなのか。
「集団的自衛権は行使すべきであり、そのためには憲法改正までしなければならない」とまで発言しているようです。
・・・・・
某国会議員より、ずっと説得的です。
ポイントは、
過去、自衛官であったものが、文民と言えるか。
軍国主義思想を有するものが、文民と言えるか。
この2点。
この点は、憲法論になります。
現に、
過去に軍人であったものは文民ではない。
という説があります。
さらに、
軍人に、自衛官が含まれる。
という説に立てば、
森本氏は、自衛官の経歴があるので、文民ではない。
よって、大臣にはなれない。
こういった構成になります。
ただ、家庭の事情から、自衛官になる人もおり、
そのような人が、退職後も一生、すべての大臣ポストにつけないというのは、酷ではないか。
(自衛官経験者の職業選択の自由の問題)
そもそも、文民統制の趣旨は、軍に対する強い影響力を行使して、
内閣をコントロールすることを防止することにあるとすれば、
退職したものまで、文民に含める必要はない。
そのような考えから、
過去に自衛官であったものでも、現在自衛官でないのであれば、文民に含める
という考え方が一般的です。
次に、軍国思想の持ち主は、文民ではないという説もあります。
ただ、思想は、内面の問題であり、不明確です。
過去にどんな思想を持っていても、現在も維持しているのか不明。
また、『文民』という言葉の解釈として、
思想を持ち込むのは、一般的な感覚とは言えない。
職業、身分、経歴など、人の客観的な属性をいうと考えるのが自然。
(こういうのを文理解釈と言います。)
そのため、文民に思想を持ち込む説は、少数にとどまっています。
憲法解釈上、
過去に自衛官であった、軍国主義の思想を有する者
を、
文民ではない
とするのは、ハードルが高いということになります。
ちなみに、思想を持ち込む説には、「軍国主義の思想」の解釈においても、
どういう思想が当てはまるのかといった難しい問題がまた出てきます。
(さらに、森本氏の思想が軍国主義の思想とまでは言えないことを補足。)
そのため、文民統制から批判するのは、
憲法的には、難しいということです。
*****
ただ、
個人的に、こういう人は、どうなの?
という疑問について。
物事を考える際に、
法的にどうか
という点と、
道義的(感情的)にどうか
という点を分けて考えるとよいと思います。
今回の場合、法的な論拠は乏しい。
それを、法的な問題のように発言する国会議員は、勉強不足か、煽動型。
では、道義的、感情的にはどうか?
賛否については、いろいろな考え方があると思います。
賛成 民間を積極的に登用すべき。行政刷新。
専門家だから無知な国会議員よりまし。実利。
反対 やはり国会議員は国民の代表だから、法的に問題はなくても、大事なポストはそういう人がよい。
森本氏個人のかつての言動が心配だ。
このレベルは、法的なものではなく、好き嫌いも含め、
内心の問題
なので、どう思おうが個人の自由です(思想良心の自由 憲法19条)。
表現するのも、名誉侵害にあたらない方法によれば自由(表現の自由 憲法21条)。
メディアにおいても、
森本氏の思想に賛成するメディアもあれば、
反対するメディアもある。
では、森本氏に対する評価はどうしたらいいの?
最終的には、
総理の任命が相当だったか
という、
内閣支持率が一つのファクター
となります。
支持できない人を大臣にすれば、内閣支持率が下がるということ。
これが、民主主義というもの。
それと、もうひとつ、
今後は、責任の追及が可能になる
場合があります。
例えば、集団的自衛権は、非常に重要な問題です。
政府見解は、行使できない。
また、大臣(行政)としては、
憲法改正論議に加わるべきではない
と思われます。
そこで、
防衛大臣として、「憲法改正を行い集団的自衛権を認めるべきだ」という発言をすれば、
政府見解と異なるので、閣内不一致となる
おそれがあります。
その際には、
大臣としての資質
が問題となるということです。
過去の発言がどういうものか
を切り口にするのではなく、
防衛大臣として、今後、どのような言動をするのか
を中心に議論した方が、国益にかなうということです。
さらに、個人の過去の発言と大臣としての発言が異なった場合、
国民は、個人の信条と職務とは異なる
ということを認めるべきです。
大臣の資質は、憲法に従い、国民のために職務を全うすることです。
そのため、どんなに死刑が反対であったとしても、
法務大臣の職務である以上、執行しなければならない
わけです。
これが、職責を全うするということです。
もし、それができないのであれば、
初めから職務につくべきではない
わけです。
今後、メディアや野党によって、
大臣の過去の言動から、資質を問う
という動きも起こる可能性があります。
(法的根拠は弱いので、資質を攻撃するより方法がないため。
こういうことをしているから、国家存続にかかわる大事な法案の議論が不十分になる)。
その際に、
言っていることが変わった。変節だ。
という批判もあるはずです(主張を変えないと大臣を下ろされ、総理の任命責任まで追及されるリスク)。
ただ、大臣になるということは、
そういうもんなんだな
と、考えておくとよいと思います。
最終的には、
国民に資するように、行政を運営してもらう
ことが、
内閣の仕事
なので、
大臣として、国民の利益になるように働いてくれる
ことが重要なわけです。
最悪なのは、
操り人形のような無知な大臣(ペーパーを読んでいるだけ)
です。
税金の無駄だからです。
質問に対する答えは、
憲法上は、一般的には、文民といえます。
かつての言動について、懸念されるのは、もっともなことです。
今後の言動は、責任追及の対象となるため、注目していくとよいでしょう。
となります。