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インド亜大陸旅行記(中部、北部、南部)中部編③

2017-08-17 08:42:02 | 海外旅行

12月13日。快晴。結局乾季だから毎日快晴。タジ・マハールのあるアグラから首都デリー間はブーゲンビリア咲き乱れる立派な中央分離帯を持つ主要道路。金が掛かっている。それでも有料道路ではない。途中でドライブスルーのマクドを始めてみた。 

新旧デリーは大都会である。特にニューデリーは都市計画に基づいた近代都市。しかしながら歴史のある都ゆえそこかしこに世界遺産がある。 

まづ73mのクトウブの塔へ。コレはイスラム寺院の付属建築物の一部とか。ここは自由行動だったが、例の二人、集合時間になっても戻らない。自分勝手な方々はほんとに困る。でもケロリとしていた。 

フマユーン廟、インド門、官庁街、ガンジーメモリアル等を訪ね今日の日程をほぼ終わる。最後に連れて行かれた土産店に入らず、小一時間散策したオールドデリーの街角の喧騒にやっと普通のインドをチョッピリ実感した。夕食はインドで日本料理という事でしたが、何故か狐うどんと太巻きが出た。 

デリー フマユーン廟

デリー イーサハーン廟

 

デリー 高級住宅も多かった

ニューデリー クートーブ・ミーナール尖塔

翌14日は最後の訪問地ムンバイ(旧ボンベイ)へ移動。デリーが政治都市なら、ここはまさに商業都市。インド経済発展の最先端とかで高層商業ビルや高級マンションが増えガイドも鼻が高そう。 

16世紀ポルトガル領として開け、やがて英国統治下に。市街地には古い建物が立ち並び一見英国風。でもそこここにヒンズーやイスラム寺院がキリスト寺院よりも目立つ。 

海岸線には立派なハイウエーが走るが、鉄道は郊外から鈴なりの人々を乗せて近づく。手洗いの大洗濯場があったりするが、路上に牛もいないし、歩道は綺麗に掃除されていた。でも一歩郊外へ出れば一部は物凄い貧民窟も現存するらしい。 

インド門、プリンス・オブ・ウエールズ博物館、マハトマガンジー記念館等を訪れ、昼食は老舗ホテルのタジ・マハールで豪華なインド料理。夕景を見ながら空港へ着くと何だかヤレヤレと感じるのは何時ものこと。夜行便で翌朝15日早朝無事帰国しました。 10数年後このタジ・マハールホテルはテロの標的となり、TVでこのレストランが惨劇の場になったことを知り愕然としました。

ムンバイの海岸から見た市街

ハイウエーも既にあった

ムンバイの露天大洗濯場

何しろ10億の人口と、日本の9倍の国土。加えて数学に強いお国柄とか。今後の発展しだいでは、中国と並んで日本の脅威かも。国内に貧困格差の問題を抱えながら原爆保持国でもある点等似ているね。 

帰ってからフイットネスクラブで知り合ったインド人達に会って、正直な感想を述べると以前は一枚紙を隔てて接していた彼らが急に親しみをもって接してくれたのも大きな収穫でした。 

短期間でしたがソコソコインドを見られた楽しい旅でした。今回残念だったのはガンジス川を見ることが出来なかったこと。ヒンズーの寺院訪問が全然なかったこと。次回は南部やフンザ地方。或いはカルカッタ方面なんかに行ってみたい。

 

 

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