昨晩、月1回行われているある勉強会に出席しました。
講師は、薩摩琵琶奏者・井村右水さんで、自作による薩摩琵琶の演奏とともに、木曽三川の宝暦治水や薩摩人の精神性についてのお話を聞きました。
心打たれる薩摩琵琶の演奏と同時に、薩摩の兵児(へご)教育についてが心に残りました。
兵児教育の一端として、「嘘をつくな」・「弱い者をいじめるな」・「悪口は本人に言え」・「不幸を人のせいにするな」・「自分の嫌なことを人にやらせるな」・「真偽を確かめよ」・「貧しさを恥じず、金銭で人を図るな」などの多くの「生き方を教える」教育を青少年に行っていたそうです。
その素晴らしさは、特定の先生がいるわけでもなく、伝統として、青少年で引き継がれていくことではないかと思いました。つまりこうした教育は、頭で覚えるものではなく、体で覚えていくということでしょう。学校で本を読み授業で覚えるのではなく、平生の生活の中で実践教育として身につける道徳といってもよいかと思います。
先に述べた平易な当たり前の教訓として理解はできても、我が身を振り返ってもどれだけ実践しているかと問われれば、かなりかけ離れたところにいるのではないかと自省せざるをえません。また、他者のせいにする又は他者を批判することは、天に唾する行為にもなりかねません。
政治が漂流し、混乱が続いています。理念や精神性の乱れがよく指摘されていますが、そうした実態は、政治家自身ではなく国民一人一人の乱れを映す鏡ではないかとも思うのです。私自身も大いに反省すべきです。
マイケル・サンデルが言っていたように思いますが、「政治哲学は道徳に収れんする」のかもしれません。物質的な考えにとらわれず、道徳的な理念の裏付けを持ち、自立心と情熱をもって、事に当たることを再確認しました。
以上