8月15日、日本の歴史上の大きな節目にあたり、遺族の一員として、「歴史認識」を考えてみた。
現代につながる近現代史の流れの中で、対立を生む歴史認識を理解することは極めて重要である。
大沢保昭著中央公論新社の「歴史認識とは何か」を読んでみた。
外交政治では、主観的にならざるを得ない歴史認識において、所詮、平行線で交わることのない所をどのように理解して着地点を見つけるかに尽きるのだろう。
歴史的事実や歴史的理解という言葉はあっても、歴史認識と同じことがいえるということである。
事実ではないという歴史であっても、政治外交上では、歴史認識とせざるを得ない。
国益だけを考えれば、永遠にその認識が近づくことはないだろう。ただしお互いの約束は尊重し、守らなければならないのだが。
現代につながる近現代史の流れの中で、対立を生む歴史認識を理解することは極めて重要である。
大沢保昭著中央公論新社の「歴史認識とは何か」を読んでみた。
外交政治では、主観的にならざるを得ない歴史認識において、所詮、平行線で交わることのない所をどのように理解して着地点を見つけるかに尽きるのだろう。
歴史的事実や歴史的理解という言葉はあっても、歴史認識と同じことがいえるということである。
事実ではないという歴史であっても、政治外交上では、歴史認識とせざるを得ない。
国益だけを考えれば、永遠にその認識が近づくことはないだろう。ただしお互いの約束は尊重し、守らなければならないのだが。