久しぶりに「百名城」を巡る旅に出た。
今回は「岩村城」(岐阜県恵那市)と「岐阜城」(岐阜市)を観て周る。
一日目、岩村城へのアクセスは、名古屋まで新幹線、名古屋からJR恵那までは中央線となる。
そして、恵那で「明知鉄道」に乗り換え岩村へと向かう。
岩村駅で降りて、脚に自信のある人は登城口まで歩くが、我々はタクシーを利用。
登城口と本丸の間は、ほぼ登り30分、下り15分と聞いていた。
岩村城は高取城(奈良)、松山城(岡山)と並び、日本三大山城に数えられるだけあって、ちょっとした「登山」である。
平成2年に再建された藩主邸「太鼓櫓」と表御門。
岩村城第二の門、「土岐門」の跡。
城主遠山氏が土岐氏を破り、その居城の門を奪ってきたという伝承があるとのこと。
畳橋跡。
追手門の手前にあり、かって、ここの空堀には木の橋が掛かっていた。
右手には三重櫓があって、天守に当たるものだったという。
岩村城にはいくつもの井戸があり、籠城しても水に不自由することはなかったようである。
この井戸は、秘蔵の蛇の骨を放り込むと霧が城全体に立ち込め、敵の攻撃から城を守ったといわれる。
六段壁。
この城跡一番の見どころといえよう。
最初に積まれたのが一番上で、順次補強のため下の方が積まれ、この形になったという。
さらに登ったところが、いよいよ本丸になる。
天守は無く、門や櫓があったようだが、今は、原っぱになっている。
見下ろすと広場が見えるが、出丸だったところ。
当時の建物が現存するものは何もないが、石垣が見事である。
戦国時代、織田信長の叔母「おつや」が実質的な城主を務めており「女城主」と言われた。
その女城主は、やがて夫とともに刑に処せられてしまう。
この城にも、戦国の世ならではの厳しい物語がある。
「岩村城」は明治維新まで存続したといわれる。