城の記 2.0

気の向くままにふらふらと、
投稿日と記事との時系列は一致していません、あしからず。

松平城(長野県大鹿村)

2013年10月25日 | 長野県大鹿村の城址
現状:神社地
遺構:
状態:
表示等:なし
駐車場:なし

南の青木城と共に大河原城を守る為に築かれたと考えられているようです。
現在は松平神社の社地となり遺構は不明確です。

国道152号線沿いの保育所前から見上げた城跡。
門の左側を奥へ進みます。

保育所の裏側を通って神社へ登る小道がありました。
右手に登っていきます。

途中、出郭と思われる平場がありました。

数分で松平神社です。二段になっており奥が本殿となります。

西側、土塁状の土盛が見られました。

拝殿脇より。



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大河原城(長野県大鹿村)

2013年10月23日 | 長野県大鹿村の城址
現状:耕作地、等
遺構:空堀、郭
状態:わずかに遺構が残る
表示等:あり
駐車場:なし

城跡は上蔵(わぞ)集落南側の耕作地、小渋川に侵食された段丘端に僅かに空堀と
郭の一部を残すのみです。

南北朝の時代、南朝方の香坂高宗の館跡と伝えられています。

大河原から小渋川に沿って南東へ、鳥倉山との分岐を過ぎて段丘上に上がると上蔵の集落です。
福徳寺の向かいの鳶ヶ巣大崩壊地の見える広場に車を停めて城跡へ向かいます。
右側の看板が見える所に広場、城跡は左側方向。
正面に鳶ヶ巣大崩壊地。

行き止まりの細道を入って行くと、作業小屋の手前に耕作地を左に入る小道が。
行く手に獣除けのネットが張られていますが支柱の操作で開けられます。

墓所の間を抜けると空堀とその向こうに郭が見えます。

郭内には大河原城址の石碑と説明板が建てられています。

段丘端、小渋川の侵食により崩落が進んでいます。


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大島城(長野県大鹿村)

2013年07月17日 | 長野県大鹿村の城址
別名:城山
現状:山林
状態:遺構が残ります
表示等:なし
駐車場:なし

鹿塩川に塩川が合流した南、中央構造線の断層に因って尾根上に取り残された
丘陵(断層丘陵)が大島城址になります。
規模は小さく見張り所の役割ではと思われます。

堀田城の北、中尾峠から北に古道を辿ると、東側に登って入谷から梨原、駿木城へと
向かう道と、北側の塩河へ下る道に別れます。その手前に西側に伸びる尾根があり
車一台がやっと置ける程のスペースがありましたのでここから城址に登りました。

尾根を西側に登って行きます。

少し登ると平場がありました。
奥から登って来ました。
南側(右手)に土塁状の土盛が見られます。

丘陵頂上西側の平場、右側から巻くように登って来ました。
正面に一段高く頂上。

僅かに堀切跡。

頂上部から滑り易い尾根を西側に下った所にも平場があります。

狭いですが南側に土塁状の土盛も見られます。

樹木に邪魔されてあまり視界は開けませんが少し北側が望めました。


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堀田城(長野県大鹿村)

2013年07月10日 | 長野県大鹿村の城址
別名:中尾城、追手城
現状:神社地、宅地、等
遺構:郭、土塁
状態:
表示等:あり
駐車場:なし

城址に建てられた案内板に拠れば、南北朝時代に宗良親王が住む大河原城を
守るために建てられた城で、従臣堀田正重の居城と伝えられる、とあります。
城址の東側の中尾峠は大河原と鹿塩を結ぶ古街道の要衝で、重要な地であった
と思われます。

今回は鳥倉山への道すがら、短時間の訪問となりました。

国道152号線沿いに堀田城址の案内があります。
案内に従って曲りくねった坂道を上がると中尾峠です。
城址は峠に差し掛かる少し手前の大日の森神明社の境内とその西側になります。

神明社入り口

境内、正面に土塁が残ります。


南側下にある中尾茶屋堂。その昔陣鐘堂と呼ばれたとの事。
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天狗森城(長野県大鹿村)

2013年05月09日 | 長野県大鹿村の城址
現状:山林等
遺構:
状態:
表示等:なし
駐車場:なし

「図解山城探訪 第七集」と「長野県の中世城館跡-調査報告書」では
場所が異なっていましたので、今回は「図解山城探訪」に記載のある場所
を訪れてみました。

大鹿中学校南東側の山中、西側に伸びる尾根上に郭と腰曲輪と思われる平場
があります。

黒川牧場からの帰路、この辺りのようです。
カーブミラーの後方が堀跡のようです。

主郭跡に秋葉神社、春日神社が祀られている、となっていましたが
見当たりません。

西側に平場が二段見られました。

一段目、奥が主郭と思われる平場ですが、特に切岸になっているようでも
ありません。

二段目、こちらも平場という以外手が加えられた様子はありません。

今回は普通の屋敷地跡、耕作地跡とも思えてスッキリしませんでした。

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