三義村誌に、
平維盛の居城趾
大字山室宮澤にあり昔平維盛熊野より遁れ來りて此地に住し後非持の山中に移り今の柳原八幡を勸請し更に黒河内に移り叉長藤に轉じ最後に浦村の奥に住したり云ひ傳ふ此の說妄誕信すべからずと雖も平姓なる北條の末族等南朝方の者此地に居住し往來したる事は事實ならん。
大字山室宮澤にあり昔平維盛熊野より遁れ來りて此地に住し後非持の山中に移り今の柳原八幡を勸請し更に黒河内に移り叉長藤に轉じ最後に浦村の奥に住したり云ひ傳ふ此の說妄誕信すべからずと雖も平姓なる北條の末族等南朝方の者此地に居住し往來したる事は事實ならん。
とある。
各地に伝わる平維盛の伝説の一つと言うところであろうか、平家の落人または南朝方の落人が隠れ住んだのでは、と推測はできそうである。
「図解 山城探訪 第四集 改訂上伊那資料編」にも記載があったので訪れてみました。
遺構等は無くやはり伝説の地でした。
さて、山室城からの帰り、宮沢の集落へと向う、すれ違いは出来そうにない細道を進む、集落東端で舗装路は終わりその先は未舗装の林道となる。
駐車余地どころかUターンする場所もありません。
少し手前の個人宅に車を停めさせて頂き、お話を伺ったのですが平維盛については聞いたことも無いとの事。
未舗装路を進みすぐ先の防獣柵を開閉、林道奥へ。
目的地は奥の林道が大きくカーブするあたり。
私有地らしく工作物が建てられていました。
周辺は昔は耕作地だったらしく、平坦地が沢奥まで続く普通の山の中でした。
参考文献:
「図解 山城探訪 第四集 改訂上伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)
「三義村誌」(三義村役場発行)
「図解 山城探訪 第四集 改訂上伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)
「三義村誌」(三義村役場発行)