城の記 2.0

気の向くままにふらふらと、
投稿日と記事との時系列は一致していません、あしからず。

小田切城 付近(長野県宮田村)

2021年12月26日 | 長野県宮田村の城址
JR飯田線宮田駅の南西1.5kmほど、旧小田切川の左岸上に在った城跡です。
付近は圃場整備等により遺構は残っていません、城跡を感じさせる丘状の高みが見られるのみでした。

圃場整備事業に伴い昭和51年に城跡の西側部分の発掘調査が行われています。
その調査報告書に拠れば、
堀を境に主郭は東西100m、南北60m、四方を上塁をめぐらす。
外郭は東西60m、南北55m、南は小田切川の段丘に面する。北側は押手沢の末流が流れた自然的小河川を利用した堀が回っている。いわば、自然丘陵を利用した中世居館址であることが確認された。
とあります。 

下の地図は1976年の航空写真です。
白枠囲みの辺りが城跡部分、主郭外郭の位置関係は不明。
押手沢川の支流(青い部分)が城跡の北側を流れ、深さは2~2.4m幅50~90mほどの自然堀を形成していたようですが、現在は川の痕跡は見当たりません。

城跡北側の集会所(3付近)に車を停めて番号順に周囲を歩いて見ました。
※出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を加工して作成
※1976年の航空写真です。

1.中央が城跡。


2.北東側。

3.右側が城跡。少し高いのが判る。

4.この辺りで高低差が無くなる。正面が城跡。

5.城跡北西側から南側をみる。空堀がこの付近にあったようであるが痕跡は無い。


6.左側奥に城跡、右側が小田切川の河原跡。堅固というほどではないが高低差が確認できる。


7.石が2個ほど、何かの礎石であったのかは不明。


8.出発位置まで戻って東側を展望。伊那山地と雲の間に南アルプス。


9.南側から望む段丘崖 、城跡は右側(ビニールハウスの奥)。

城跡は小田切氏の城(館)で室町時代から武田信玄の伊那侵入の頃まで使われたのでは考えられています。

所在地:長野県上伊那郡宮田村南割
現状:耕作地、宅地等
遺構:不明
状態:
表示等:なし
駐車場:
参考文献:
「図解 山城探訪 第四集 上伊那資料編」(宮坂武男著 長野日報社刊)
「信濃の山城と館」(宮坂武男著 戎光祥出版刊)
「県営ほ場整備事業埋蔵文化財緊急発掘調査報告書 下の段・五升蒔・駒潰遺跡」(長野県伊那郡宮田村教育委員会 南信土地改良事務所)

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城山城址(長野県上伊那郡宮田村)

2012年03月20日 | 長野県宮田村の城址
宮田村の真慶寺の南西の尾根先端上に位置します。
登山道も整備され、遺構もよく残っていますのでお勧めです。

別名:宮田城
現状:山林
遺構:郭、土塁、空堀
状態:良い
表示等:あり
駐車場:なし

国道153号線宮田村役場前の信号交差点を西に入り山麓方向へ。
中央自動車道に沿って道は南西に向きを変え、程無く右手に真慶寺がみえますのでそこから170m程更に進みます。

右手に宮田霊園入口の表示がありましたので右折、狭い坂道を登ると中央自動車道を潜り、右が宮田霊園、左が宮田高原へ続く林道となる丁字路に行き当たります。
左折するとすぐに城山の登山道の標識があり、駐車も出来ましたのでここから登りました。主郭まで20分程です。

登る途中では竪堀と帯郭が見られます。
主郭は土塁で囲まれ、東西と南は急斜面で守られています。
北側の土塁は高く、外側に三重の空堀を築いてあり見応えがあります。
三重の空堀から登山道を北に辿ると更に三箇所に見事な空堀を見ることが出来ます。

登山口に案内板がありました。

登る途中に2本の竪堀が見られます。

主郭は土塁に囲まれています。
奥が北側、東側(右手)に虎口があります。

土塁上より、北側の空堀をみる。

一番北側の空堀、直ぐ脇を宮田高原へ続く林道が通っています。

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下の城(長野県上伊那郡宮田村)

2012年03月12日 | 長野県宮田村の城址
現状:山林
遺構:郭、土塁
状態:良
表示等:あり
駐車場:あり(北の城公園)

北の城城址の直ぐ南にあります。
北の城公園から遊歩道で大沢川を越え段丘上に上がった所が城址となります。

主郭の西側と南側には土塁が残っています。
主郭北側の一段下がった所に平場があり郭のようです。
南側には空堀が築かれていたような痕跡が残りますが定かではありません。

北の城に続く遊歩道。

主郭内より西側土塁と虎口。

東側は天竜川に面した断崖。
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北の城(長野県上伊那郡宮田村)

2012年03月11日 | 長野県宮田村の城址
現状:公園
遺構:郭、土塁、空堀
状態:良い
表示等:あり
駐車場:あり

国道153号線宮田村役場前の信号交差点を東へ。
天竜川に架かるつり橋の手前が城址となります。現在は北の城公園となっています。

道路が郭内を貫いてはいますが遺構は良く残っていると思いました。
主郭は土塁で囲まれ、東側と北側は天竜川によって作られた断崖となっており、西側と南側には空堀が築かれていたと思われます。
空堀は南側に一部が残っていますが西側はかなり埋め立てられてしまったようです。

南側の天竜川沿いに遊歩道があり大沢川に架かる橋を渡れば下の城の城址に続きます。

南西より望む。

東側は天竜川の断崖です。

南側の空堀跡。

中央に土塁、右側が主郭、左側に空堀跡。

西側土塁の虎口部分。

北の伊那市側から見上げる。

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