おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ゴッドファーザーPART Ⅲ

2019-06-03 07:12:58 | 映画
「ゴッドファーザーPART Ⅲ」 1990年 アメリカ


監督 フランシス・フォード・コッポラ
出演 アル・パチーノ    ダイアン・キートン
   アンディ・ガルシア  タリア・シャイア
   ソフィア・コッポラ  フランク・ダンブロシオ
   リチャード・ブライト ジョン・サヴェージ
   ジョージ・ハミルトン ブリジット・フォンダ
   イーライ・ウォラック ジョー・マンテーニャ
   ヘルムート・バーガー ラフ・ヴァローネ

ストーリー
父ビトーからコルレオーネ・ファミリーのドンの地位を継承したマイケル(アル・パチーノ)が、ファミリーの存続のため兄フレドを殺してから20年を経た1979年。
マイケルはバチカンのギルディ大司教(ドナル・ドネリー)と手を結び、ファミリーの永続的な繁栄を図ろうとする。
しかしオペラ歌手をめざす息子アンソニー(フランク・ダンブロージョ)はそんな父と反目し合っていた。
マイケルのカトリック教会からの叙勲を祝うパーティーの席上で、マイケルは10年前に別れた妻ケイ(ダイアン・キートン)と再会する。
そしてそこにはマイケルの妹、コニー(タリア・シャイア)がファミリーの後継者にと思って連れてきた長兄の故ソニーの息子ヴィンセント(アンディ・ガルシア)の姿もあった。
マイケルの娘メリーは従兄ヴィンセントに運命的な愛の予感を覚えてゆく…。
かつてのコルレオーネ家の縄張りはジョーイ・ザザ(ジョー・マンティーニャ)によって牛耳られていた。
マイケルはザザの配下にいたヴィンセントを自分のもとに置き、後継者として育てようとするが、そのことを契機にザザとヴィンセントの抗争が表面化し、暴力沙汰が起こってしまう。
一方、マイケルはB・J・ハリソン(ジョージ・ハミルトン)を新たな片腕として大司教との契約にこぎつけようとしていたが、法王の突然の発病で危機に直面する。
そんなある日、父と和解したアンソニーのオペラ・デビューが決まり、ファミリーはその発祥の地であるシシリーに集まったが、敵の手もすぐ近くに忍び寄り、オペラの最中にボディ・ガードが殺される。
そして上演後の拍手喝采のあと、外に出たマイケルに向けて銃が放たれた。


寸評
バチカンの腐敗を描いたことでシリーズの3本ともがアカデミー賞の作品賞を得ることが出来なかったが、宗教的に無関係な僕から見れば本作も十分にその栄誉に属しても良い作品となっている。
父ビトーから引き継いだマイケルの半生記が綴られ見応えがある。
敵対組織がヘリコプターで高層階の外に現れ機関銃を室内に撃ちまくる壮絶なシーンもあるが、何といってもラストのオペラ上演シーンの迫力が見どころだ。

父マイケルの希望に反抗して歌手の道を目指した息子アンソニーの凱旋公演が催される。
前作で登場した父マイケルへのプレゼントとして描いた子供の頃の車の絵が登場し、父子確執の雪解けを伺わせて公演を楽しむマイケルの心情が伝わってくる。
コルネオーネ一家は貴賓席で公演を鑑賞しているが、マイケル暗殺を指示された殺し屋が中央に座る彼を射殺しようと狙っている。
一方でマイケル側もヴィンセントの指示でバチカン側の敵対人物を暗殺しようとバチカンに乗り込んでいる。
劇場の別の貴賓席にいる裏切り者もコニーによって毒殺されようとしている。
殺し屋がマイケルに照準を合わせるまでの動き、暗殺のためにバチカンに向かったマイケルの子分たち、裏切り者の様子などが、劇中劇のオペラとカットバックされるような形で挿入されていく。
オペラの盛り上がりと、スリリングな展開の盛り上がりがシンクロして思わず握りしめたこぶしに力が入る。
そして悲劇が起き、マイケルのアップが画面いっぱいに映し出される。
この畳みかけるような演出に酔いしれてしまう。

兄のフレドを殺してから20年と言うことで、今回は新たに殺された長男ソニーの息子としてアンディ・ガルシアが登場しているのだが、彼が演じるヴィンセントは父親譲りの短気な男である。
頭に血が上るとすぐに行動に移してしまう性格で、たびたびマイケルに諫められている。
それでも年老いたマイケルはファミリーをヴィンセントに託さざるを得ない。
ドン・コルネオーネになったヴィンセントに対し、ファミリーのメンバーが従っていく意思表示として手に口づけをするシーンは第一作のラストシーンを思い起こさせる。
組織のドンに就任することでメアリーを諦めるアンディ・ガルシアが、それを決意した以降は急にドンらしくなっていて、地位は人を育てるといった感じがよく出ている。

マイケルは兄のフレドを殺した罪悪感をずっと感じているのだが、それでも組織存続のために非情になる二面性が失われていない。
再会した元妻のケリーに自分をわかってほしい、今も愛している、ギャング家業から足を洗うと切々と訴えるのだが、その時もたらされた情報を聞いて相手の抹殺を命じる。
遠目でその姿を眺めるケリーの姿は第一作のラストシーンで見せたものだ。
表の顔と、裏の顔を使い分けるマイケルの二面性を再び見た絶望感でもある。
マイケルは走馬灯の様な人生を思い浮かべながら、父が倒れた時のように彼もまた倒れる。
親子二代にわたる壮大な物語で、これだけの水準を保ち続けたシリーズは稀有である。