「この空の花 長岡花火物語」 2012年 日本
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監督 大林宣彦
出演 松雪泰子 高嶋政宏 原田夏希 猪股南
寺島咲 筧利夫 森田直幸 池内万作
笹野高史 石川浩司 犬塚弘 油井昌由樹
片岡鶴太郎 藤村志保 尾美としのり
草刈正雄 柄本明 富司純子
ストーリー
天草の地方紙記者・遠藤玲子(松雪泰子)が長岡を訪れたことには幾つかの理由があった。
ひとつは中越地震の体験を経て、2011年3月11日に起きた東日本大震災に於いていち早く被災者を受け入れた長岡市を新聞記者として見詰めること。
そしてもうひとつは、何年も音信が途絶えていたかつての恋人・片山健一(高嶋政宏)からふいに届いた手紙に心惹かれたこと。
山古志から届いた片山の手紙には、自分が教師を勤める高校で女子学生・元木花(猪股南)が書いた『まだ戦争には間に合う』という舞台を上演するので玲子に観て欲しいと書いてあり、更にはなによりも「長岡の花火を見て欲しい、長岡の花火はお祭りじゃない、空襲や地震で亡くなった人たちへの追悼の花火、復興への祈りの花火なんだ」という結びの言葉が強く胸に染み、導かれるように訪れたのだ。
こうして2011年夏。
長岡を旅する玲子は行く先々で出逢う人々と、数々の不思議な体験を重ねてゆく。
そしてその不思議な体験のほとんどが、実際に起きた長岡の歴史と織り合わさっているのだと理解したとき、物語は過去、現在、未来へと時をまたぎ、誰も体験したことのない世界へと紡がれてゆく。
寸評
戊辰戦争、太平洋戦争、中越地震、東日本大震災などが絡みながら描く長岡の歴史物語だが、メインは太平洋戦争における長岡空襲で、それをセミドキュメンタリー風に描いていく。
その手法は斬新で、これも映画なのだと教えてくれる。
教えてくれると言えば、模擬原子爆弾の存在もそうで、新潟が原爆投下の候補地になっていたことは知っていても、そんな爆弾が存在していたことは知らなかった。
大阪空襲を通じた焼夷弾による火災の凄さは、遠く離れた村からでも見えたという祖母などの話を通じて聞き及んでいたが、長岡の悲惨な状況は改めて無差別攻撃のむごさを訴えてきた。
子供が描いた絵のようなアニメ処理で焼夷弾の投下が描かれているのに、僕にはその画面は非情に迫力あるものに見えた。
焼夷弾は突き刺さるのだと認識を新たにした次第である。
僕は戦争の実情を知っちゃいないのだと思ったし、やはり戦争の語り部は必要だとも思った。
映画はテロップが度々表示されたりするドキュメンタリー風で、NHKのスペシャル番組を見ているようでもある。
少女の台本をもとに演劇が催される背景があることで、セリフはどこか演劇的である。
空爆シーンはコンピューター・グラフィックスを駆使したリアルなものではなく紙芝居的に処理されている。
その表現の仕方がこの映画の特徴でもあり目を引き付けるのだが、これは見る人によって好き嫌いがあるだろう。
二人の女性が恋人と別れていて、それぞれ再会を果たすがそれ以上の展開はない。
一方は声を掛け合うが、一方は声をかけることはない。
僕はこの二組のドラマの意味がよくわからなかった。
幕末から明治初期にかけて活躍した長岡藩の藩士小林虎三郎による教育にまつわる故事としての「米百俵」の話が紹介されたり、詩人堀口大学、山本五十六など郷土にゆかりのある人の話も挿入されて、故郷映画の趣として興味を持たせた。
山古志の美しい景色は日本の原風景でもあり、どこか平和を感じさせる。
中越地震で被害を受けた地域だが、この風景はいつまでも残っていてほしい。
模擬原爆投下や長岡空襲による長岡市民犠牲者には哀悼の気持ちを抱くが、映画自体にはどこか説教臭さがあって左翼映画的なものを感じる。
メッセージ映画の宿命かもしれない。
火薬を爆発させるということにおいては花火も爆弾も同じで、爆発の原理は原爆とも大差がないようだが、空から降ってくる爆弾と、空に向かって打ち上げる花火の何と大きな違いである事か。
花火は鎮魂のためのものでもあり、平和の象徴でもあり、復活への意思表示でもある。
山下清の絵によってなのか、それとも他の手段によってなのかは定かでないが、長岡の花火大会が素晴らしいものであることは頭のどこかにあったのだが、観光花火と違って、長岡の花火大会は別物なのだと分かった。
ずっと見てくると、最後に上がる大花火はやはり美しいと思った。
やはり花火は夜空に咲く美しい花だ。
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監督 大林宣彦
出演 松雪泰子 高嶋政宏 原田夏希 猪股南
寺島咲 筧利夫 森田直幸 池内万作
笹野高史 石川浩司 犬塚弘 油井昌由樹
片岡鶴太郎 藤村志保 尾美としのり
草刈正雄 柄本明 富司純子
ストーリー
天草の地方紙記者・遠藤玲子(松雪泰子)が長岡を訪れたことには幾つかの理由があった。
ひとつは中越地震の体験を経て、2011年3月11日に起きた東日本大震災に於いていち早く被災者を受け入れた長岡市を新聞記者として見詰めること。
そしてもうひとつは、何年も音信が途絶えていたかつての恋人・片山健一(高嶋政宏)からふいに届いた手紙に心惹かれたこと。
山古志から届いた片山の手紙には、自分が教師を勤める高校で女子学生・元木花(猪股南)が書いた『まだ戦争には間に合う』という舞台を上演するので玲子に観て欲しいと書いてあり、更にはなによりも「長岡の花火を見て欲しい、長岡の花火はお祭りじゃない、空襲や地震で亡くなった人たちへの追悼の花火、復興への祈りの花火なんだ」という結びの言葉が強く胸に染み、導かれるように訪れたのだ。
こうして2011年夏。
長岡を旅する玲子は行く先々で出逢う人々と、数々の不思議な体験を重ねてゆく。
そしてその不思議な体験のほとんどが、実際に起きた長岡の歴史と織り合わさっているのだと理解したとき、物語は過去、現在、未来へと時をまたぎ、誰も体験したことのない世界へと紡がれてゆく。
寸評
戊辰戦争、太平洋戦争、中越地震、東日本大震災などが絡みながら描く長岡の歴史物語だが、メインは太平洋戦争における長岡空襲で、それをセミドキュメンタリー風に描いていく。
その手法は斬新で、これも映画なのだと教えてくれる。
教えてくれると言えば、模擬原子爆弾の存在もそうで、新潟が原爆投下の候補地になっていたことは知っていても、そんな爆弾が存在していたことは知らなかった。
大阪空襲を通じた焼夷弾による火災の凄さは、遠く離れた村からでも見えたという祖母などの話を通じて聞き及んでいたが、長岡の悲惨な状況は改めて無差別攻撃のむごさを訴えてきた。
子供が描いた絵のようなアニメ処理で焼夷弾の投下が描かれているのに、僕にはその画面は非情に迫力あるものに見えた。
焼夷弾は突き刺さるのだと認識を新たにした次第である。
僕は戦争の実情を知っちゃいないのだと思ったし、やはり戦争の語り部は必要だとも思った。
映画はテロップが度々表示されたりするドキュメンタリー風で、NHKのスペシャル番組を見ているようでもある。
少女の台本をもとに演劇が催される背景があることで、セリフはどこか演劇的である。
空爆シーンはコンピューター・グラフィックスを駆使したリアルなものではなく紙芝居的に処理されている。
その表現の仕方がこの映画の特徴でもあり目を引き付けるのだが、これは見る人によって好き嫌いがあるだろう。
二人の女性が恋人と別れていて、それぞれ再会を果たすがそれ以上の展開はない。
一方は声を掛け合うが、一方は声をかけることはない。
僕はこの二組のドラマの意味がよくわからなかった。
幕末から明治初期にかけて活躍した長岡藩の藩士小林虎三郎による教育にまつわる故事としての「米百俵」の話が紹介されたり、詩人堀口大学、山本五十六など郷土にゆかりのある人の話も挿入されて、故郷映画の趣として興味を持たせた。
山古志の美しい景色は日本の原風景でもあり、どこか平和を感じさせる。
中越地震で被害を受けた地域だが、この風景はいつまでも残っていてほしい。
模擬原爆投下や長岡空襲による長岡市民犠牲者には哀悼の気持ちを抱くが、映画自体にはどこか説教臭さがあって左翼映画的なものを感じる。
メッセージ映画の宿命かもしれない。
火薬を爆発させるということにおいては花火も爆弾も同じで、爆発の原理は原爆とも大差がないようだが、空から降ってくる爆弾と、空に向かって打ち上げる花火の何と大きな違いである事か。
花火は鎮魂のためのものでもあり、平和の象徴でもあり、復活への意思表示でもある。
山下清の絵によってなのか、それとも他の手段によってなのかは定かでないが、長岡の花火大会が素晴らしいものであることは頭のどこかにあったのだが、観光花火と違って、長岡の花火大会は別物なのだと分かった。
ずっと見てくると、最後に上がる大花火はやはり美しいと思った。
やはり花火は夜空に咲く美しい花だ。