この頃仕事時の会話
「プログラムできるよね?」(まあ、そういう仕事なので、できる事前提ですが)
「ハイ」
「じゃあ、A機能でBをCにコピーするプログラム作っておいて」
(内容は例です)
「どう作ればいいですか?サンプルありますか?」
私としては「ん?」と思うわけです。
もしサンプルがあったとして、この人は何をするのでしょうか?
当然、サンプルを写して、ちょこちょこ調整するだけなんですよね。
これは「プログラムが作れる(作っている)」と言えるのかなぁ?
単に文章を書き写しているだけなのでは?
というのがすごく疑問なんです。
給料が安いっていうけど、書き写すだけならしょうがないよねとも思う。
逆に「頭を使って1からくみ上げている人」と「書き写している人」の給料が同じってところが、最も大きな問題なんだろうと。
私は、転職組ですが、今の職場も同じ。
ということは、業界自体が「時間給」でやっているわけ。
であれば、「頭を使わない、書き写す”嘘っぱちのできます商売”」をやった方が、お得になるのでは?と考えられる感じです。
で、何が言いたいか?
確か2020年から?学校でプログラミング教育ってのが始まったのかな?
意味があるか、無いかは置いておいて、何を目指しているかが重要なのだろうと。
目的は「論理的思考を育てる」って事じゃなかったかな?
今どきの老若男女は、直線的な思考しかできなのも事実。
テレビの「街角インタビュー」を聞いていてもそうですよね(TV局の都合のいい人しか放送しないと思いますが)。
目に見えた事実のみ話して、私に「だからどうなのよぉ~」って突っ込まれる感じ。
考察も分析もできない人。
プログラミング教育って、こういう人たちを減らしたいって事なのかな?
この「書き写すだけ」しかできない人たちを「頭を使える」人に変えたいという事なのかな?
と期待するのは、私だけでしょうか?
なので、冒頭で書いた「書き写すだけのプログラマー」が、この教育によって減ってくる事を期待します。
まあ、今の子供たちが実践の場に出てくるときには、私、隠居してますが。
この教育の間違ったとらえ方として、「プログラミングができるようになる(手に職がつく)」と思ったら大間違い。
英語と同じです。
教育したからと言って、英語が喋られるわけでは無いと。
プログラム・・・というかモノづくり・・・が好きな奴は、自主的にやってますよ。
教えられないとできない人は、絶対にできないです。
決して、プログラム技術を身に着けるためでは無いという事を知っておくべきだと思います。
私のプログラムで大切にしている言葉。
「急がば回れ」
変でしょ?
プログラムは、直線的にできるものばかりではありません。
ちょっと遠回りして解決していく場合があります。
また、ほとんどの場合「壁」に当たります。
その場合、一歩元に戻して俯瞰してみてみると・・・壁の横に隙間が見えたりします。
これは、遠くから俯瞰してみないと発想できない事。
心がけてみてはいかがでしょうか?
と言っても、私、もうプログラムやってる年齢じゃないんですけどね。。。