8月末のこの時期。
色々な所に黄色のTシャツを着た人たちが見える今日この頃。
そう、日テレの24Hテレビ「愛は地球を救う」。
何年、このタイトルでやっているのでしょうか?TV局もスポンサーもお疲れ様です。
まあ、色々な所で好きに書いてますよね?
「愛で地球は救われるのか?」
と。
「偽善だー」とか「お金だろうー」
としている人もいますが・・・まあ、風物詩みたいなもんでしょうね~。
では、私も乗っかりましょう。
愛で地球は救われるのか?
あくまでも私の考えですが・・・というか、言葉尻の話で番組構成の話では無いです。それは別の話。
愛で地球が救えるのか?と言われると、答えはYESでもありNoでもありと考えます。
・・・中途半端でしょ(笑
質問ですが、あなたは「救いたい人」ですか?「救われたい人」ですか?
建前はこちらに置いておいて正直に答えると
「救われたい」
のでは無いでしょうか。
特に、バブル後、ITバブル後の好景気を知らない世代、つまりZ世代や、弱者の顔をしたい高齢者、女性なんかはこちらじゃないですかね?
差別とか偏見では無いですよ。
正直に建前なしに考えるとね、救われたい・・・ではなく「責任から遠ざかりたい」って意味合いで。
逆に言うと「救うのは私のやるべきことではない」という考え。
つまり
「救う人なしの世界に救いはない」
という事です。
あの番組を見ていると(見てないけど)、感情移入して泣いている人がいたりします。
これは、感情移入するのではなく「何とかしなくては」と思うべきなんですが、なぜか感情移入してしまいます。
女性が良く言う「わかるぅ~」って奴。
つまり、番組で放送されている人と自分は同値だと感じてしまう。という事は「救われたい」という雰囲気が分かるって感じだと思います。
と言っても、放送されている・・・例えば体の不自由な方々は「救われたい」「応援されたい」と思われたいかと言うと・・・どうなんでしょうね?
「特別扱いされたくない」という方もいらっしゃるのではないでしょうか。
本来は「救いたい」という人向けに番組を作っているはずが、「救われたい」と思う人向けの番組になっているため
「誰に向けた番組?」
になってしまい、単なる募金番組になっちゃってるって事なんだと思います。
そして、次に「愛」ってところ。
Love?
番組の意図は、多分違う。
多分ですが「慈愛」じゃないかな?と。
「嫌われる勇気」という本を知っていますでしょうか?
アドラーさんの考え方をかみ砕いて、物語にして書いた本です。
私が昔から考えていた感覚・・・というか、言葉になっていない感覚・・・が見事に表現されていました。
(劣等コンプレックスは、私の辞書では「弱者理論」と呼んでました)
この本で重要なのは「貢献感」「共同体感覚」だと。
間違えないように「幸せになる勇気」という本では”愛”という言葉で言い換えていました。
そう、「愛」とは「貢献感」であると。
私もそう思います。
他の言葉では「慈愛」と思いますが、違うでしょうか?
前半で書いた「救いたい」という事になると思いますし、「理解してあげたい」という事になるのではないでしょうか。
つまり、「愛は地球を救う」という文章を読み違うと、全然違う内容になってしまいます。
そのため、YESでありNoでありという表現になります。
日テレが悪いわけではないでしょうが、時代が悪いです。。。大多数が「救われたい」という時代には、ちょっと違う意味で動いちゃいますよね。
アドラーの話を出したので・・・
今どき人は、どうしても劣等感を武器にしてしまう「劣等コンプレックス」状態、劣等感を隠すため自分の感覚は完璧だと主張する「優越コンプレックス」になってしまうと。
これは、前半で書いた内容と同じですし、(カメラが付いているのにもかかわらず)あおり運転をする「優越感を満たす行為」、SNSで”映え”を探すことで他者と差をつけたいというのも優越コンプレックスなのでしょう。
こういう時代ですよ。
みんな「他者排除」をしたい、けど「無償で優遇してほしい」と感じるわけです。
その中で「愛は地球を救えるのでしょうか?」と、問題提起してしまいます。