近頃、映画鑑賞に行けていませんね。
話題の「あの」作品も、「この」作品も見れませんでした。残念。
映画館で見ることの重要性ってのもあるんですけどね。
本当に久しぶりに見に行った作品、それが
「沈黙のパレード」です。
知っての通り「東野圭吾」さん原作の映画です。
見てわかりますかね。「ガリレオ」という文字がサブタイトル的に小さい。
ということはTVシリーズと違って、どちらかというと「容疑者Xの献身」のテイストに近いものと感じられます。
まず、ばーんと感想を書きますと、一言「素晴らしい。面白い」です。
二言になりました。。。すみません。
原作小説は読んでいません。これこそ、読んでみたくなりましたね。
一方、この作品は完全な「会話劇」です。
中には、この「会話劇」が苦手な人もいるでしょう。
アクションもののように「こぶしで語れ」的な作品が好きな人には、すごく回りくどい作品です。
また、ハッピーエンドでないと納得、満足できない人もいるでしょう。
そういう人も、厳しいかと思います。
とはいえ、昨今の邦画は「学芸会」と揶揄される子供っぽい作品が多い中、怒鳴りあうこともなく、カメラワークと役者の表情で語る重厚な作品に思えました。
TVシリーズのように、主人公たちが謎を解き、犯人を絞っていくという作品ではないです。
どちらかというと「容疑者Xの献身」のような作品です。
主人公たちの行動が、犯人逮捕に導く感じではなく、どちらかというと「ストーリーテーラー」の役割を持ちます。
話が進むにつ入れて広がった情報などを、いったんまとめ上げて次のシーンに移すような進行役です。
これが、上手く働いています。
まとめるのは出来事と同時に、たくさん出てくる登場人物の出来事や心情。
それらを、実にうまくまとめ、ストーリーの進行方向に正しく持っていく。
実にうまいシナリオだと思いました。
まあ、若い役者さんは、やっぱり「学芸会」のような怒鳴り演技をするのですが、福山さんはじめベテランの大人な役者。
「学芸会」を打ち消すような静かで重く、背景や空間を見事に調和するような演技。
ベテランで固めると、こうも素晴らしい作品になるのかと思い知らされました。
その中に「ずん」の飯尾さんがいるのには、すごく驚きました。
芸人らしからぬ演技。ひょっとすると、何かしらの賞をとっちゃうかもしれないですね。
それだけ、完全に作品の中心に存在していました。
しかしながら、どこかしら「モヤモヤ」したエンド。
それこそが、大人の終わらせ方かもしれません。こういうエンドは嫌いじゃないです。
なんというか、子供の時に食べられなかったものが、大人になると食べられるようになるような・・・ほろ苦いエンドでしたね。
と言いつつも、こういうエンドが苦手な人もいるでしょうね。
スッキリしないというかなんというか。。。
あとは、監督さんなのかな?
すごいうまいです。
昨今の邦画では、全く気にされていないようですが、この作品はカメラワークだけで雰囲気や、キャラクターの心情を表現します。
それに合わせて、役者さんは表情で演技をします。
今どきは1から10までセリフで語らせないと、分かりやすくしないとという風潮があります。
でも、シチュエーションと表情で語るカメラワークというは、珍しい。
それゆえ見る人が、逆に試されるというわけです。
警察の取調室のシーンがあります。
このシーン・・・上手い作品だと必ず「右に警察、左に取り調べ対象」という構図になります。
舞台ではよくあるそうですが、話の進行をつかさどる・・・つまり強者が上手・・・右に配置します。
そして、対するキャラクターが下手・・・つまり左に配置し、右を向かせます。
そうすることで、弱者の緊張感が生まれます。
なぜか?何故なんでしょう。右利きが影響しているかも知れませんが、歌舞伎や舞台、落語などが「上手」「下手」を意識していることから、昔から人の心の動きを加味した考察から生まれているのでしょう。
確かに、下手から右向きにキャラクターが動くと、緊迫感が生まれます。
そして、警察が取り調べ中に、落ち込んだり悩んだ利した時、カメラは逆に回り込みます。
つまり、警察官が下手に移り右向きになり、表情で語ります。
こういうところが、実にうまく表現されていました。
監督のこだわりなのでしょうか?
すごいですね。
湯川教授の部屋も同じ構図です。
右に湯川教授、左が警察という構図で会話劇をやります。
そう、この場、合湯川教授が話を展開する役割を持っていると明示しているわけです。
実際そうなんですけど、見てのお楽しみです。
ちなみに、TVドラマ「相棒」の取調室も、同じ構造になっているのに気が付きますでしょうか?
「右に警察、左に取り調べ対象」
奥に扉があって、その扉から右京さんが入ってきます。
そして左を向きながら「一つよろしいでしょうか?」と聞きます。
つまり「主導権は私にあります」と左側に語り掛けます。
これが左右逆だと、なぜか閉まらなく感じてしまいますね。
不思議です。
といった通り、役者の演技だけに頼らず、構図や背景、雰囲気を十分に考え抜いた結果、役者の演技が十二分に生かされた作品だと感じました。
本当に「役者のアップ」が少ない。
それだけでも、昨今の邦画とは全く違うように感じました。
面白かったです。
若干、シナリオが単純な一本線。
伏線などが無い話なのが、ちょっと残念ですけどね。
今読んでいる小説が、まあ絶妙は伏線を張ってくる「素晴らしい」作品ですので、逆にそう感じてしまうのかもしれませんね。
その小説については、どこかでお話しできたらなと思います。
では。