昨年2022年。
ひたすら読んだ小説があります。
これ。
宮部みゆきさん著書の「杉村三郎シリーズ」(というシリーズ名なのかな)。
ちなみに、1作目の「誰か Sombody」は出張中です(笑
4作目の「希望荘」は、今読み始めました。
宮部さんの作品は、好きな作家さんです。
女性の作家ですが、思い込みというかバイアスが少ない作家さんだと思っています。
「男だからこうあるべき」「女だからこうだ」という、いわゆる”性善説”に基づいた「きれいごと」を描かない作家だと思います。
自分は、すごい上の方にいて、キャラクターや世界観を客観的に平等な目線で見ている感じがします。
正しくキャラクター性を描き出し、”性悪説”を基に物語を複雑に持っていく手法。
面白い、本当に面白いです。
そして、このシリーズの主人公「杉村三郎」さん。
各シリーズで色々なトラブルに巻き込まれます。ですが、あくまでも客観的にふるまいます。
面白いですね。
客観的にふるまっていても、周りがトラブルを起こしていくので、物語の中心に連れていかれてしまう・・・悲しい性分。
そして、信用できると思っていた人物にさえ裏切られる。
そのすべてが人災であり、それぞれの人物にある「心の毒々しい」ところに毒される。
それを、怒ったり暴れたりという解決策では無く・・・”あきらめ”というか、次のステージに進む事で乗り越えていくという姿。
宮部さんならではの話と思えます。
ある本に書いてあったのですが、人間は”性善説”にとらわれているようです。
それは、信じることで村社会の平穏を作り出しているとの事。逆に蹴落とす戦略も考えるという複雑なこともやっていると。
「イケメンは悪い事は無しない」
「不細工は犯罪者だ」
と、思っていると。「イケメンについていれば利益がある」という事が、DNA的に「悪い事はしない」と刷り込まれているからだそうだ。
これは、本能的な事なので、個人的にはどうしようもない事らしい。
ただ、宮部さんと言う方は、この本能を超えているようで、女の”どす黒い”ところも平然と描き出してしまう。
いや、これこそ人間の悲しい性(さが)なのですが、見事に、客観的に見て取れる作家さんなのでしょう。
そしてキャラクターには「私の好きにして何が悪いの?」と言わせてしまうリアル感。
男女では無く「人間」としての、悲しい性(さが)を描き出す作家さんだと思います。
他に思う事として、宮部さんの作品に多くあるのが、複数の話が並列すること。
そして、片方の話をしていると、もう片方の話を完全に忘れさせてくれること。
しかし、いつの間にか綺麗に合流し、全ての謎・・・アニメ的に言えば伏線(笑・・・が綺麗に、かつ全て語られること。
忘れ物が一切ない。
書き始める前に、どれだけシナリオを作りこんでいるんだ?とか、よく伏線を忘れないな~とか思ってしまいます。
まあ、このシリーズは、人の汚いところが残るので”モヤモヤ感”は残りますが。
それでも杉村さんは、乗り越える・・・というか、次のステージに移っていく。
強いわけでは無く、あきらめで。
それゆえに、次の本が楽しみになってしょうがない。
面白いお話です。
私は、性善説が嫌いです。
母親が子供に「赤信号を渡っちゃいけません」と言いつつ、子供の目の前で赤信号を渡り「誰もいないから大丈夫なの」と言う姿を見ると、愕然としてしまいます。
多分「自分は正しい」と言うのが、この人の性善説。
つまり、「言っていることと行動が一致しない」という姿を子供に見せていることに気が付いていない・・・どす黒い姿。
これを”善”と言うには、あまりにも空しい。