お疲れ様です。
中国地本で財政部長をしている山口です。
UVERworldの大ファンです。
さて、ブログの順番が1年ぶりに回ってきたので、
近況を少し書かせてもらいます。
私事で恐縮ですが、
先日、第一子となる令和元年ベイビーが誕生し、
父になりました。
最近は、"バースプラン"といって、
子どもを産むときに希望することやお願いしたいことを、
事前に医師や助産師に伝えておくことができまして、
その中で、"父親がへその緒を切る"という重大ミッションを与えられました。
「え、医者でもないのにそんなことしていいの?」
と、正直戸惑いました。
「出産に立ち会われるのなら、せっかくの機会ですし」
と、助産師さんに勧められ、まあ経験としてやってみようか、となりました。
妻が妊娠してから40週が経った、出産予定日の早朝、
いよいよ陣痛が始まりました。
陣痛が数時間続いた後に破水し、そこから急いで病院へ。
陣痛促進剤を打ちながら、数分毎にやってくる陣痛の波に、何時間も耐え続けていました。
時期が年末だったこともあり、
病院にいる助産師さんの人手が少ないためか、
「山口さん〜具合どうですか〜??
あ〜〜まだ赤ちゃん出てきそうにないね〜頑張って〜。ほな。」
と、数時間にちょろっとしか助産師さんが姿を見せないため、
「想像以上に放置プレイやん。。。」
と感じつつ、
陣痛に耐える妻の腰をさする、押す、
テニスボールでいきみ逃しをする、
水分補給を手伝う、
必死さから真っ赤になっている妻の顔をうちわであおぐ、
というルーティーンを延々と繰り返していました。
陣痛の痛みがマックスになってきたところで、
ようやく助産師さんから「お産に入りましょう」というGOサインが出ました。
長時間、いきみを我慢させられていた妻はようやく解放され、
いきみ始めてから約10分で、
「オンギャァーー!!」
と、元気な男の子が産まれてきてくれました。
お腹から出てきた息子は、軽くタオルで拭かれたあと、
すぐに妻の胸元に置かれ、
目をパッチリと開けて妻の心臓の音を静かに聞いていました。
妻は大きく息をはいて、ホッとしたのか眼に涙を浮かべていました。
妻の涙で、もらい泣きしそうになったところで、
「お父さん、出番ですよ!」
と、助産師さんからパッとハサミを渡されました。
その瞬間に、もらい泣きの感情がスッと消えました。
「こ、ココを切っていいんでしょうか、、?」
と、震える手でハサミを持って、おそるおそるへその緒を切りました。
切った途端、真っ赤な血がジワっと出てきました。
頭の中に、言葉にならない想いがこみ上げてきました。
新しい命のはじまりに立ち会えた嬉しさ、
妻と息子を繋ぐ大事な糸を切ることの申し訳なさ、
お店がnewオープンした時に嬉しそうにチョッキンするテープカットとはまるで違う!
等々、とにかく、一生手に残る感触でした。
その後、息子は少し呼吸が不安定だということで、
救急車で別の病院に運ばれ、
酸素が濃い保育器の中で過ごし、
1週間後には晴れて退院となりました。
…その数日後、突然、妻の祖父が亡くなりました。
高齢でしたが、最近まで元気にされていて、
亡くなる前、産まれた曾孫の顔を写真でしか見せられなかったため、それが心残りとなりました。
そして告別式を迎え、産まれたばかりの息子を抱きながら、
亡くなった祖父へ読まれた弔辞を聞いていると、
「いつか自分も、息子に弔辞を読まれる日が来るんだろうな」
と、ふと考えさせられました。
その弔辞がどんな内容になるのかは、これから私が息子に対し、
一生をかけて何をしてやれるかで決まるだろうな、と思いました。
すると、毎朝聴いているUVERworldの曲にある歌詞が、
いつも以上に心に響くようになりました。
最後に残るのは
集めてきたものじゃなく
与えてきたもの
自分以外のために
組合の財政部長として、
通常業務が終わったあと、またはお昼休みや休日を返上して、
日々取り組む組合活動は、正直大変です。
しかし、そう感じたときには、
"自分以外のためにした行動こそが、
人の心に残り、最後に弔辞として読まれる"
と考えてみることにしました。
、、、長々と、とりとめもない事を書いてしまいました。このあたりで近況トークを終わります!
最後まで読んで頂き、ありがとうございました〜!!
中国地本で財政部長をしている山口です。
UVERworldの大ファンです。
さて、ブログの順番が1年ぶりに回ってきたので、
近況を少し書かせてもらいます。
私事で恐縮ですが、
先日、第一子となる令和元年ベイビーが誕生し、
父になりました。
最近は、"バースプラン"といって、
子どもを産むときに希望することやお願いしたいことを、
事前に医師や助産師に伝えておくことができまして、
その中で、"父親がへその緒を切る"という重大ミッションを与えられました。
「え、医者でもないのにそんなことしていいの?」
と、正直戸惑いました。
「出産に立ち会われるのなら、せっかくの機会ですし」
と、助産師さんに勧められ、まあ経験としてやってみようか、となりました。
妻が妊娠してから40週が経った、出産予定日の早朝、
いよいよ陣痛が始まりました。
陣痛が数時間続いた後に破水し、そこから急いで病院へ。
陣痛促進剤を打ちながら、数分毎にやってくる陣痛の波に、何時間も耐え続けていました。
時期が年末だったこともあり、
病院にいる助産師さんの人手が少ないためか、
「山口さん〜具合どうですか〜??
あ〜〜まだ赤ちゃん出てきそうにないね〜頑張って〜。ほな。」
と、数時間にちょろっとしか助産師さんが姿を見せないため、
「想像以上に放置プレイやん。。。」
と感じつつ、
陣痛に耐える妻の腰をさする、押す、
テニスボールでいきみ逃しをする、
水分補給を手伝う、
必死さから真っ赤になっている妻の顔をうちわであおぐ、
というルーティーンを延々と繰り返していました。
陣痛の痛みがマックスになってきたところで、
ようやく助産師さんから「お産に入りましょう」というGOサインが出ました。
長時間、いきみを我慢させられていた妻はようやく解放され、
いきみ始めてから約10分で、
「オンギャァーー!!」
と、元気な男の子が産まれてきてくれました。
お腹から出てきた息子は、軽くタオルで拭かれたあと、
すぐに妻の胸元に置かれ、
目をパッチリと開けて妻の心臓の音を静かに聞いていました。
妻は大きく息をはいて、ホッとしたのか眼に涙を浮かべていました。
妻の涙で、もらい泣きしそうになったところで、
「お父さん、出番ですよ!」
と、助産師さんからパッとハサミを渡されました。
その瞬間に、もらい泣きの感情がスッと消えました。
「こ、ココを切っていいんでしょうか、、?」
と、震える手でハサミを持って、おそるおそるへその緒を切りました。
切った途端、真っ赤な血がジワっと出てきました。
頭の中に、言葉にならない想いがこみ上げてきました。
新しい命のはじまりに立ち会えた嬉しさ、
妻と息子を繋ぐ大事な糸を切ることの申し訳なさ、
お店がnewオープンした時に嬉しそうにチョッキンするテープカットとはまるで違う!
等々、とにかく、一生手に残る感触でした。
その後、息子は少し呼吸が不安定だということで、
救急車で別の病院に運ばれ、
酸素が濃い保育器の中で過ごし、
1週間後には晴れて退院となりました。
…その数日後、突然、妻の祖父が亡くなりました。
高齢でしたが、最近まで元気にされていて、
亡くなる前、産まれた曾孫の顔を写真でしか見せられなかったため、それが心残りとなりました。
そして告別式を迎え、産まれたばかりの息子を抱きながら、
亡くなった祖父へ読まれた弔辞を聞いていると、
「いつか自分も、息子に弔辞を読まれる日が来るんだろうな」
と、ふと考えさせられました。
その弔辞がどんな内容になるのかは、これから私が息子に対し、
一生をかけて何をしてやれるかで決まるだろうな、と思いました。
すると、毎朝聴いているUVERworldの曲にある歌詞が、
いつも以上に心に響くようになりました。
最後に残るのは
集めてきたものじゃなく
与えてきたもの
自分以外のために
組合の財政部長として、
通常業務が終わったあと、またはお昼休みや休日を返上して、
日々取り組む組合活動は、正直大変です。
しかし、そう感じたときには、
"自分以外のためにした行動こそが、
人の心に残り、最後に弔辞として読まれる"
と考えてみることにしました。
、、、長々と、とりとめもない事を書いてしまいました。このあたりで近況トークを終わります!
最後まで読んで頂き、ありがとうございました〜!!