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皇道派と國體論

2022年02月26日 | 歴史・人物
二・二六事件の青年将校と
藤田東湖の水戸学及び西郷隆盛

昭和十一年二月二十六日未明、
歩兵第一聯隊、歩兵第三聯隊、近衛歩兵第三聯隊、
そして野戦重砲第七聯隊
所属一千五百名余の下士官及び兵が
同部隊所属の若手将校(少尉、中尉、大尉)に指揮されて、
岡田啓介 総理大臣
鈴木貫太郎 侍従長
斉藤實 内大臣
高橋是清 大蔵大臣
渡辺錠太郎 教育総監
牧野伸顕 前内大臣
を襲撃し、
斉藤實内大臣、
高橋是清大蔵大臣、
渡辺錠太郎教育総監を射殺し、
鈴木貫太郎侍従長に重傷を負わせた。
この老重臣を決起して殺害した若手将校が掲げた目的は、

「昭和維新、尊皇斬奸」であった。

当時、陸軍内部には
荒木貞夫を頭目とする皇道派と
永田鉄山を頭目とする統制派があり、
この襲撃を決行したのは、皇道派の青年将校達であった。
皇道派は、
日本の國體、日本精神と文化を尊び、
國體の最大の脅威である共産主義ソ連を主敵とする北進論を唱え
統制派は、
ナチスドイツの参謀本部に倣い
近代的総力戦を以て南進論を唱えた。
決起した若手将校は、皇道派である。

二・二六事件については、多く語られている。
そこで、
次の一点だけ記しておきたい。
即ち、
決起した皇道派の青年将校達の心情と
水戸学の國體論についてである。

青年将校達は、各聯隊で初年兵の教育を担当するので
初年兵の家庭事情を聴取する。
そのとき、
主に東北出身の初年兵に、涙を流しながら、実家の惨状を
「姉が、妹が、身売りして父母を助けている」
等々と語る者が多く、
彼ら将校は、
天皇の赤子が、この悲惨な状況にあるのを無視して
彼らを徴兵し、
政を平然と行う重臣達に対する憤りを持つに至った。
西村は、この青年将校達の痛憤は、
水戸学の國體論に通じるものと思う。
よって、次ぎに、
水戸学の眞髄を記した藤田東湖の國體論を記し、
藤田東湖と深く意気投合した西郷隆盛の言葉を記しておきたい。

藤田東湖の述べる「弘道館記述義」より、

蒼生安寧、ここを以て宝祚無窮なり
宝祚無窮、ここを以て國體尊厳なり
國體尊厳、ここを以て蛮夷戎狄卒服す。
四者、循環して一のごとく、
おのおの相須(ま)ちて美を済(な)す。

藤田東湖の國體論の根本は、
まず「蒼生安寧」
則ち「人民が安らかに生きることができること」
これが
「万世一系の皇位の無窮」と
「國體尊厳」の出発点だとすることにある。

そして、
西郷隆盛も「西郷南洲遺訓」に言う。
租税を薄くして民を裕にするは、
即ち国力を養成する也。
故に国家多端にして財用の足らざるを苦しむとも、
租税の定制を確守し、
上を損じて下を虐たげぬもの也。

以上、処刑された皇道派の青年将校達の
激情は、
藤田東湖や西郷隆盛と同じ國體論の基盤から
湧き上がったものであり
古来からの我が国の国士と同じで、狂いは無い!
よって、冷酷に処刑されたとはいへ、
以て瞑すべしである。

これに対して、
「蒼生」の塗炭の苦しみを見ようとせず、
ただナチスドイツ流参謀本部にかぶれて、
中央集権体制による
総力戦のための戦備増強に進もうとする陸軍統制派は、
我が日本の
「蒼生安寧を願う國體」を没却した
冷酷な戦闘マシーンと言えよう。
従って、
決起将校に対する処刑は、冷酷であった。

その三十数年前の日露戦争時、
ロシアの実情を探索する特別任務班員であり
シベリア鉄道を爆破せんとして
ロシア軍に捕縛され銃殺刑に処せられた
横川省三と沖禎介は、
処刑執行に先立ち、
「我らは武人である。縄目の辱めはお許し願いたい。」
という願いを
ロシア軍に聞き入れられて捕縛されず、
ロシア軍は、
彼らが、
「天皇陛下萬歳!大日本帝国萬歳!日本軍の大勝利!」
と叫ぶのを待って
銃撃して即死させた。
その時、
執行官のシモノフ大尉は、十二名の射撃手に、
「愛をもって撃て」
即ち、苦しまないように心臓を狙え、
と命じてたうえで、
「撃て」と叫んで射撃させたのだ。
しかし、
二・二六事件の決起将校達は、
同じ日本軍軍人によって、
縄目の辱めを受け、
両手を上に掲げた「天皇陛下、萬歳!」
も叫ぶことができず、
人知れず銃撃により処刑されたのだ。






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