しかし、
そのソビエトの内部ではスターリンによって
二千万人の人民が粛正されて命を落とし、
中共の内部では毛沢東の
大躍進政策の失敗によって五千万人の農民が死亡し、
文化大革命によって二千万人の人民が殺された。
これ、ナチスドイツに殺害された
六百万人というユダヤ人の惨害を遙かに超えるではないか。
これが第二次世界大戦の結果であり、
確かにウェデマイヤーの「回顧録」のように
ソビエトと中共が勝利したとは言いがたい。
従って、ヒトラーよりおぞましい殺戮者の
スターリンと毛沢東が勝利したと言うべきか。
いずれにしても、
第二次世界大戦の意義を
米英首脳が大西洋憲章で掲げたとは到底言えない。
これに対して、
欧米のアジア・アフリカの植民地は戦後総て独立していくことになった。
また、アメリカに黒人の大統領が誕生し、
イギリス王室に黒人の血をひく嫁が来た。
つまり欧米の人種差別の時代は終焉した。
従って、人種差別反対と植民地独立を、
政府声明と大東亜共同宣言で掲げた日本こそ、
唯一、人類の為になる戦争目的を達成したというべきだ。
そもそも、
ナチスドイツに迫害されているユダヤ人に
救援の手を差し伸べた国が、
連合国側の何処にある。
カトリックの総本山であるバチカンや
世界中にあるキリスト教会がユダヤ人を助けたのか。
ただ一国、日本だけがユダヤ人を助けた。
第二次世界大戦前夜の一九三八年三月、
シベリア鉄道のソビエトと満州国国境の
ソビエト側にあるオトポール駅で
満州国への入国許可が出ずに立ち往生しているドイツから逃れてきたユダヤ人の一団があった。
このまま極寒のなかに放置されれば彼らは全員凍死する。
その報に接したハルビン特務機関長樋口季一郎少将は、
彼らの救出を決意して
関東軍参謀長東条英機の了解を得ると共に、
南満州鉄道総裁の松岡洋右の協力を得て特別列車を仕立て、
そこにユダヤ人達を載せ食料と衣服を配布して
上海租界や日本の敦賀へ送り出し救出した。
このユダヤ人救出は、以後大東亜戦争開戦の年まで三年間にわたって続けられ、
救出されたユダヤ人は総数二万人に達するとも言われる。
この時、ユダヤ人を迫害している同盟国ドイツから、
我が国に強い抗議があった。
これに対して、
東条英機関東軍参謀長は
「我が国はドイツの属国ではない」と抗議を聞き入れず、
松岡洋右満鉄総裁は
「当然なる人道上の配慮によるものだ」と反論し、
東京の閣議は
「八紘為宇の精神に基づく」ということで無視した。
そして、
続く大東亜戦争で我が国が掲げた
人種差別撤廃と植民地解放も、
「当然なる人道上の配慮」であり
「八紘為宇の精神に基づく」ものである。
つまり、我が国の神武創業の理念に基づくものだ。
④に続く
西村 真悟FBより