愛とは何か 大川隆法総裁
人を愛するということは、
相手の中に仏性を見出すことである。
ところが不思議なもので
こちらの心のあり方しだいで
相手は
悪魔にも
菩薩にも見えるのである。
「お母さんなんて大嫌いだ。」
といわれると
我が子も小悪魔に見え
「お母さん、いつもありがとう」
といわれると
我が子が小さな菩薩に見えるだろう。
夫婦も同じだ。
相手が悪魔に見える時も
菩薩に見える時もあるだろう。
原因はどちらにもあるだろう。
ただ、気がついた者の方から
まず自分を変えることだ。
愛を出し惜しみするな。
自分の中の仏性を発見することが
「悟り」であるなら
相手の中に仏性を拝み出すことが
「愛」なのである。
昨日から家庭内別居だ。今回は重傷。
先日箱根精舎で本を買ってきた。
「悟りに向けての第一歩」
この本の最後の方にこんな言葉がある。
・・しかし、何十年かの人生の中では、いろいろな試練が出てくるので、やがて、その状態を維持できなくなるようなことは必ず起きてきます。
それは、皆さんにとっての次の問題集です。「もう一段、高みにあがれるかどうか」という試練が必ず出てくるのです。
次の問題集が出てこない状態が5年以上続くことは、めったにありません。何か必ずテーマが出てきます。それが今世の修行なのです。
人間関係か、仕事か、それ以外のものか、何か必ず問題が出てきますが、「そういうときでも阿羅漢の状態を維持できるかどうか」という試練なのです・・って。
あ・・家庭内別居をしているようでは、阿羅漢の心境にはほど遠い・・ トホ