2011.08.07
湯布院正心館七の日感謝奉納式典
佐竹館長講話
☆★「霊の力」とは何か★☆
皆様、こんにちは。ようこそ湯布院正心館においで頂きました。本日は、2011年度8月度の七の日でございます。この尊い日を、湯布院正心館にて仏弟子相集うことができましたことを、主に心より感謝申し上げます。
7月の御生誕祭が終わりましてこの8月でございますが、今、主におかれましては、幸福の科学が世界宗教になるための大イノベーション、偉大なるイノベーションを行おうとされておられます。
それはどのようなイノベーションかと申しますと、若さに戻るとこういったイノベーションでございます。このサンガに若さを与えるという大イノベーションが、今行われようとしています。
具体的にいいますと、執行部体制を若返らせるということでございます。今回ご就任になられました理事長は、25歳の女性でございます。そして、それに引き続きまして、当会執行部幹部を若返らせるということでございます。単純にですね、少し若返らせるというのではなくて、大胆に若さというものを、ここに入れておられるということでございます。
当然その方の信仰心、そして救世運動に対する情熱、更に過去世の実績というものによって、今登用されているということでございます。抜擢というのは、若い人を上に上げることを抜擢というのだとこのように主からお説き頂いておりますが、それを今ご実践されておられます。何故ならば、今からの救世運動、明治維新もそうですが、やはり若い人の感覚・エネルギー、これが全人類を引っ張っていく力になって参りますので、今そこに大きな力を加えておられるということでございます。
そこで、本日のこのテーマですが、一つは今起きているこのイノベーションとは何かということでもございますけれども、このイノベーションというものを、やはり仏法真理的に捉えるとですね、これは霊的なる変容ということではないかとこのように思います。
それは何故かといいますと、ドラッカーがいうところのイノベーションとは体系的破棄といいまして、簡単にいいますと、丸ごと棄ててしまえということなんですね。今までのやり方、考え方、システム、それを丸ごとパーンと棄てることをイノベーションというんだと。
チョロチョロとどこかを変えるということではないんだと、丸ごと変えるんだと。棄ててしまうと。ですから、聖書にも、「新しい酒は、新しい皮袋に入れよ」と言われるように、新しいものに入れない限り変わっていかないという部分があります。即ち、非常に霊的な感覚がここにあるんだということですね。徐々に変化するのではなく、大きく一気に変化させてしまうと、こういった力が今かかっているとこう思います。
そこで、本日は霊とは何か、これについてご一緒に考えさせて頂きたいと思います。当然この信仰における考え方の中に、霊の存在というのはなくてならないわけですけれども、霊とは一体何か。私たちの本質でありますけれども、この霊について、主は思考するエネルギー体であるとこのようにお教えを頂いております。思考するエネルギー体、つまりエネルギーが思考するということでございます。
そこで考えなければいけないのは、この思考する、或いは物事を考えるということは一体何なのだと。よく考える力をつけろとか、よく考えなさいとか言われるんですけれど、一体何なんだと。こう思いますと、これはやはり判断する力のことである。或いは判断の積み重ね。判断を積み重ねた結果正しい結論に導くと、これが思考するということではないのかとこのように思います。
私たちはこの地上に生きておりまして、いろんなことを選択しております。どうしようかというような選択を、必ずしています。選択には意思決定がともなう必要があると。例えば、今日正心館にお越しになるにあたっても、いろいろな問題の意思決定をなされた結果お越しになっているということがあります。物事は縁起の法、原因・結果の連鎖でなされますけれども、その原因に対して、やはり選択或いは判断・決断というものがなされているのではないですかということですね。
ただし、それが正しい結論に結びつかなければならないということではないかと思います。判断した結果、地獄に落ちるんじゃ話にならないということです。
そこで、最終的にこの正しさとは一体何かというと、これは善を選び悪を捨てるという判断力のことを言っているのではないかと思います。
従いまして、判断の基準となるものを知っていなければ判断できないのではないかと思います。その判断基準とは何か。それは善悪を知っているということではないか。善悪を学んでいると、仏法真理によって善悪を学んでいる。この価値基準があるから判断ができるのであって、知らなかったら逆判断になっている可能性があります。ここがですね、重要なことであると思います。
そこで、この善とは何かということになりますと、善とは光である。真なる光を知っているのか。本当の光、暖かさというものを知っているのかということが、まず大きなポイントになると思います。主の光、エル・カンターレの光、主がこの大宇宙をお創りになられた慈悲の光というものを感じているかと。或いは、知っているか、体得しているか。こういったことが判断基準になるわけです。
従いまして、判断とは何かというと、やはり本来の親に向かって一直線に進む姿、或いは光に向かってその方向を間違えることなく突き進む姿、こういったことではないかと思います。ですから、光に向かって進む時に、やはり善悪の選択というものがいろんなところである。何をもって善とするのか、何をもって悪とするのか、自分はどちらを取るのかということではないか。ですから、善を選択し続けるこういった姿勢のことを、或いはそういった行為のことを、思考と言っているのではないかとこのように思います。
ですから、私たちは本来思考する力を持っている。なぜなら、エル・カンターレから分かれて来た魂である以上、親を求めて突き進む力というのがあるはずである。親が子を生む。生まれた子供は親を求める。それは非常に強い力でもあります。また、親と別れ別れになった場合にですね、父母を求めてどこまでも追及していくというこういった強い力がある。本来一なるものが分かれた時に、また元に戻ろうとするパワー、これを霊的なパワーというのではないか。その霊的なパワー、本来の元に戻ろうとする力のことを、また思考するエネルギーとも言い、思考し続けながら本来のものに戻るところに大きなパワーというものが生じてくるということではないかと思います。
従いまして、霊の力とは一体何か。それは信仰の力である。霊であるが故に本来の親のもとに戻ろうとする力を持っていると。それが霊的パワー、また思考力、或いは判断力・決断力というものの根源になっているのではないかとこのように思います。本来の姿に戻ろうとする力があるから、私たちは信仰によって霊的力を発揮することができる。
また、これは伝道におきましても全く同じです。私たちがそのパワーを発見したならば、それを知らない多くの衆生に、あなたにはそういった霊的な偉大な力があるということをお知らせすることを伝道というのだと思います。
従いまして、私たちが霊であるというのであるならば、信仰を持っていなければならないということになります。信仰無き霊などというのは、霊は霊でも浮遊しているような霊であって、浮遊霊のようなものなど確固とした存在には成り得ないということではないかと思います。
そこでまた、今一度原点に帰らなければならないのは、本来霊でありますけれどもこの三次元世界に生きておりますと、どうしてもやはり、物質的なものに対して目もいきますし、関心もいくわけです。しかし、その中にあっても、この世は仮の世であって、本来の世界は実相世界であり光の世界であるということを、やはり判断の基準にしなければならない。ここに思考が働いていると。
一見この世の問題でいろんな物事が起きているように見えますが、実はその奥には霊的なるもの、或いは善なるものと悪なるものが作用していると、そこを見抜きながら判断していけということではないかとこのように思います。
今回のこのイノベーション、主は非常に若い年代にそのリーダーシップを大きく取らせようとしておられます。このお考えのもとに、今指揮をとられようとしておられるわけですけれども、結論としては、主のもとに主を信じるということ自身が霊的なパワーそのものでありますから、主を信じるということが、今イノベーションとなっているのだということでございます。主を信じるが故に、心ぶれることなくその道に従うことができる。それが本来の霊としての力。そして、主への信仰のもとに、このイノベーションが大成功していく。大成功していくことによってまた、全人類が幸福な方向へと導かれていくということではないかと思います。
今、世界宗教に向けて非常に重要な試金石が打ち込まれようとしているこの瞬間に、私たちも同時に生きているということを、主に心から感謝申し上げまして、私たちも霊としての本来の姿、素直な心を持って、その奥にある主の理想に向かって共に歩んで参りたいと思います。ありがとうございました。
以上