ジーン・ウールの不思議な旅

ジーン・ウールは不思議な女性です。姿を変えて過去にも未来にも現れます。
もしかしたら貴方の友人や奥様かも知れません。

店主ご挨拶

ようこそお越し下さいました。 昨年(2010)、3ヶ月の雲水修行に行ってまいりました。 私は働き者で(自己申告)、精舎は朝は早く夜は遅く「朝瞑想」の時間は、気がつくといつも寝ておりましたが・・。 私の人生の1ページに、思いがけないご褒美を頂けたような日々を過ごさせて頂きました。・・ま、主婦でも決心ひとつで如何様な道も開けるんですね。 今も精舎に行くと「実家に帰った」ような気がします。 このブログ管理人は、最近物忘れ症候群中につき、おいで頂いた感謝を申し上げ、コメントを頂いても書いたり書かなかったり、付き合いが悪いことのご無礼をお許し下さいませ。

☆★「霊の力」とは何か★☆ 湯布院正心館 館長講話

2011-08-13 21:42:48 | ご講話・ヘラトリ・リバティ 
   
2011.08.07
湯布院正心館七の日感謝奉納式典
佐竹館長講話

 ☆★「霊の力」とは何か★☆

 皆様、こんにちは。ようこそ湯布院正心館においで頂きました。本日は、2011年度8月度の七の日でございます。この尊い日を、湯布院正心館にて仏弟子相集うことができましたことを、主に心より感謝申し上げます。

 7月の御生誕祭が終わりましてこの8月でございますが、今、主におかれましては、幸福の科学が世界宗教になるための大イノベーション、偉大なるイノベーションを行おうとされておられます。

それはどのようなイノベーションかと申しますと、若さに戻るとこういったイノベーションでございます。このサンガに若さを与えるという大イノベーションが、今行われようとしています。

具体的にいいますと、執行部体制を若返らせるということでございます。今回ご就任になられました理事長は、25歳の女性でございます。そして、それに引き続きまして、当会執行部幹部を若返らせるということでございます。単純にですね、少し若返らせるというのではなくて、大胆に若さというものを、ここに入れておられるということでございます。

当然その方の信仰心、そして救世運動に対する情熱、更に過去世の実績というものによって、今登用されているということでございます。抜擢というのは、若い人を上に上げることを抜擢というのだとこのように主からお説き頂いておりますが、それを今ご実践されておられます。何故ならば、今からの救世運動、明治維新もそうですが、やはり若い人の感覚・エネルギー、これが全人類を引っ張っていく力になって参りますので、今そこに大きな力を加えておられるということでございます。

 そこで、本日のこのテーマですが、一つは今起きているこのイノベーションとは何かということでもございますけれども、このイノベーションというものを、やはり仏法真理的に捉えるとですね、これは霊的なる変容ということではないかとこのように思います。
それは何故かといいますと、ドラッカーがいうところのイノベーションとは体系的破棄といいまして、簡単にいいますと、丸ごと棄ててしまえということなんですね。今までのやり方、考え方、システム、それを丸ごとパーンと棄てることをイノベーションというんだと。

チョロチョロとどこかを変えるということではないんだと、丸ごと変えるんだと。棄ててしまうと。ですから、聖書にも、「新しい酒は、新しい皮袋に入れよ」と言われるように、新しいものに入れない限り変わっていかないという部分があります。即ち、非常に霊的な感覚がここにあるんだということですね。徐々に変化するのではなく、大きく一気に変化させてしまうと、こういった力が今かかっているとこう思います。

 そこで、本日は霊とは何か、これについてご一緒に考えさせて頂きたいと思います。当然この信仰における考え方の中に、霊の存在というのはなくてならないわけですけれども、霊とは一体何か。私たちの本質でありますけれども、この霊について、主は思考するエネルギー体であるとこのようにお教えを頂いております。思考するエネルギー体、つまりエネルギーが思考するということでございます。

そこで考えなければいけないのは、この思考する、或いは物事を考えるということは一体何なのだと。よく考える力をつけろとか、よく考えなさいとか言われるんですけれど、一体何なんだと。こう思いますと、これはやはり判断する力のことである。或いは判断の積み重ね。判断を積み重ねた結果正しい結論に導くと、これが思考するということではないのかとこのように思います。

 私たちはこの地上に生きておりまして、いろんなことを選択しております。どうしようかというような選択を、必ずしています。選択には意思決定がともなう必要があると。例えば、今日正心館にお越しになるにあたっても、いろいろな問題の意思決定をなされた結果お越しになっているということがあります。物事は縁起の法、原因・結果の連鎖でなされますけれども、その原因に対して、やはり選択或いは判断・決断というものがなされているのではないですかということですね。

ただし、それが正しい結論に結びつかなければならないということではないかと思います。判断した結果、地獄に落ちるんじゃ話にならないということです。

 そこで、最終的にこの正しさとは一体何かというと、これは善を選び悪を捨てるという判断力のことを言っているのではないかと思います。
従いまして、判断の基準となるものを知っていなければ判断できないのではないかと思います。その判断基準とは何か。それは善悪を知っているということではないか。善悪を学んでいると、仏法真理によって善悪を学んでいる。この価値基準があるから判断ができるのであって、知らなかったら逆判断になっている可能性があります。ここがですね、重要なことであると思います。

 そこで、この善とは何かということになりますと、善とは光である。真なる光を知っているのか。本当の光、暖かさというものを知っているのかということが、まず大きなポイントになると思います。主の光、エル・カンターレの光、主がこの大宇宙をお創りになられた慈悲の光というものを感じているかと。或いは、知っているか、体得しているか。こういったことが判断基準になるわけです。

 従いまして、判断とは何かというと、やはり本来の親に向かって一直線に進む姿、或いは光に向かってその方向を間違えることなく突き進む姿、こういったことではないかと思います。ですから、光に向かって進む時に、やはり善悪の選択というものがいろんなところである。何をもって善とするのか、何をもって悪とするのか、自分はどちらを取るのかということではないか。ですから、善を選択し続けるこういった姿勢のことを、或いはそういった行為のことを、思考と言っているのではないかとこのように思います。

 ですから、私たちは本来思考する力を持っている。なぜなら、エル・カンターレから分かれて来た魂である以上、親を求めて突き進む力というのがあるはずである。親が子を生む。生まれた子供は親を求める。それは非常に強い力でもあります。また、親と別れ別れになった場合にですね、父母を求めてどこまでも追及していくというこういった強い力がある。本来一なるものが分かれた時に、また元に戻ろうとするパワー、これを霊的なパワーというのではないか。その霊的なパワー、本来の元に戻ろうとする力のことを、また思考するエネルギーとも言い、思考し続けながら本来のものに戻るところに大きなパワーというものが生じてくるということではないかと思います。

 従いまして、霊の力とは一体何か。それは信仰の力である。霊であるが故に本来の親のもとに戻ろうとする力を持っていると。それが霊的パワー、また思考力、或いは判断力・決断力というものの根源になっているのではないかとこのように思います。本来の姿に戻ろうとする力があるから、私たちは信仰によって霊的力を発揮することができる。

また、これは伝道におきましても全く同じです。私たちがそのパワーを発見したならば、それを知らない多くの衆生に、あなたにはそういった霊的な偉大な力があるということをお知らせすることを伝道というのだと思います。

 従いまして、私たちが霊であるというのであるならば、信仰を持っていなければならないということになります。信仰無き霊などというのは、霊は霊でも浮遊しているような霊であって、浮遊霊のようなものなど確固とした存在には成り得ないということではないかと思います。

 そこでまた、今一度原点に帰らなければならないのは、本来霊でありますけれどもこの三次元世界に生きておりますと、どうしてもやはり、物質的なものに対して目もいきますし、関心もいくわけです。しかし、その中にあっても、この世は仮の世であって、本来の世界は実相世界であり光の世界であるということを、やはり判断の基準にしなければならない。ここに思考が働いていると。
一見この世の問題でいろんな物事が起きているように見えますが、実はその奥には霊的なるもの、或いは善なるものと悪なるものが作用していると、そこを見抜きながら判断していけということではないかとこのように思います。

 今回のこのイノベーション、主は非常に若い年代にそのリーダーシップを大きく取らせようとしておられます。このお考えのもとに、今指揮をとられようとしておられるわけですけれども、結論としては、主のもとに主を信じるということ自身が霊的なパワーそのものでありますから、主を信じるということが、今イノベーションとなっているのだということでございます。主を信じるが故に、心ぶれることなくその道に従うことができる。それが本来の霊としての力。そして、主への信仰のもとに、このイノベーションが大成功していく。大成功していくことによってまた、全人類が幸福な方向へと導かれていくということではないかと思います。

今、世界宗教に向けて非常に重要な試金石が打ち込まれようとしているこの瞬間に、私たちも同時に生きているということを、主に心から感謝申し上げまして、私たちも霊としての本来の姿、素直な心を持って、その奥にある主の理想に向かって共に歩んで参りたいと思います。ありがとうございました。

以上




◆ 阿片戦争と支那人の嘘吐き ◆  

2011-08-13 18:43:43 | 本の話・素敵な話
   
┌◆ 阿片戦争と支那人の嘘吐き ◆  2011/8/10

『日本の心を伝える会』より

最近、喫煙所という閉ざされた空間を見て、「似ているな」と思うことがあります。
「阿片窟(あへんくつ)」です。

阿片窟というのは、19世紀初頭、支那にあったとされる阿片の吸引所で、映画や漫画では、よくその阿片窟で、阿片を詰めたキセルで煙をくすらせ、ガリガリに痩せ細った人達が、眼をトロンとさせ、男女とも半裸の姿でときにえっちに励む姿などが描かれています。

けれど実はそんなものは「なかった」と言ったら、皆様は驚かれるでしょうか。
が、実は、そうなのです。

阿片(アヘン)は、ケシ(芥子)の実から生産されます。

芥子という植物は、芥子の花を咲かせます。
この花が散ると、花があった根元に丸いふくらみが残る。

これが芥子坊主(けしぼうず)と呼ばれるもので、この芥子坊主にナイフで切り込みを入れると、中から乳液状の液体が出てきます。
これを乾燥させて、黒い粘土状にしたものが阿片なのだそうです。

そして阿片をさらに精製してそのアルカロイドを抽出したものが、みなさまご存知の「モルヒネ」です。
さらにモルヒネの純度を高めたものがヘロインです。

ヘロインまでくると、依存性が格段に高くなり、幻覚症状などがひどくなる。

(ちなみにアルカロイド(天然由来の有機化合物)の抽出方法が確立されたのは、阿片が土台となっています。
日本で言ったら江戸時代中期の文化元(1804)年、ドイツの薬剤師ゼルチュネルが、阿片からモルヒネを分離抽出した。いまではカフェインをはじめ、様々な医薬品に、このアルカロイド抽出の技法が役立てられています。)

そもそも阿片と人類の歴史は古く、いまから5400年前のメソポタミアでは、すでに芥子の栽培がされていたそうです。

5000年前のイランの石版には、古代シュメール人が芥子からどうやって乳液を採取したかについてが書かれています。
4000年前にはヨーロッパや、中東、中央アフリカで広く芥子は栽培されていたし、3500年前のエジプトでは、阿片が製造されていた事がパピルスの文書に記されています。

当時の人々にとって、阿片は鎮痛剤や、睡眠導入剤などの医薬品だったのです。
そして広く普及していた。

支那にはシルクロードを経由して、やはり医薬品として持ち込まれました。
三国志に登場する医師、華佗の用いた麻酔薬は、阿片だったといわれています。

日本では、阿片は室町時代に支那からもたらされました。
阿片は日本では阿芙蓉(あふよう)と呼ばれ、鎮痛薬として流通しています。

よく時代劇などでは、長崎奉行がよく悪徳商人と結託して、阿片を密輸して遊女などに吸わせて中毒にさせてものにしたり、密貿易で大儲けをしたりなどという筋書きが描かれますが、これは大嘘です。

実際には江戸中期までは、あくまで阿片は沈痛、解熱、麻酔、睡眠薬として、医師の専管物でしかなかったし、阿片の麻薬性自体が、まったく世に知られていませんでした。
ところが幕末になってすこし様相が変ってきます。

浪士たちが斬り合いをして、大怪我をするたからです。
その鎮痛剤として、阿片が大量に国内に出回るようになる。

江戸中期に、すでに国内での芥子栽培や、阿片抽出技法が確立されていた日本では、万一怪我をしたときの用心であり、医薬品だったのです。

ところが、ここに問題が起きます。阿片戦争です。
阿片戦争は、天保11(1840)年から、約2年間続いた、支那の清国と英国の間で行われた戦争です。

「阿片戦争」と聞くと、大概の方は、英国が支那人を麻薬漬けにするために阿片を大量に支那に持ち込み、そのために支那のあちこちに阿片窟なる阿片の吸引所ができて、知識人たちが廃人にさせられ、こうした事態に怒った民衆が、英国と一戦交えた戦争という認識の方が多いかと思います。

ところが実際には、だいぶ様子が違います。

この時代、阿片を含めて、いま言われるところのいわゆる「麻薬」の販売、所持、吸引などは、まったく規制外だったのです。

そもそも有名なシャーロック・ホームズは有名なコカイン常習者です。
ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」は、麻薬で酩酊状態になったときの世界観を表現したものだったとされています。
なかでも阿片は、沈痛、咳止め、睡眠導入効果のある嗜好品として、ガムやあめ玉と一緒に、普通にそこらで売られていた、いまで言ったらコンビ二で売っている健康食品みたいなものだったのです。

加えて、精製がさほどよくもなかったから、日常生活に異常をきたすような重度の中毒者もいなかったし、ましてや阿片窟なんてものも、存在しなかった。

このことは、タバコを例にとるとわかりやすいかもしれません。
ニコチンは、精製したものは、少量でも即死に至る劇薬です。
けれどタバコを吸ったからといって、ショック死する人はいない。これと同じです。
そしてタバコは、いまでは閉鎖された喫煙所(煙草窟)で喫煙されている。
つまり、歴史上、阿片窟は存在しなかったけれど、なぜか煙草窟は、現代日本に存在している、というわけです。

さてこうして鎮痛効果もある、吸えば気持ちいいという阿片は、1830年代には、世界貿易のまさに主役となっていました。
とりわけインドを統治する大英帝国では、東インド会社が精製するインド・ベンガル産の阿片が、とびきりの高品質な高級嗜好品として世界中に流通していました。

これで東インド会社が大儲けし、世界中で商品がひっぱりだこになっているという状況になると、だいたいそれを真似して、粗悪品を「安かろう、悪かろう」で輸出しはじめるのが、今も昔も変わらない支那人商法です。

実際、東インド会社産の阿片に対し、支那産の阿片は価格は半分でした。
それで粗悪品を世界に流通させて、大儲けしようとした。

問題は、その商業のやり方です。

英国は、今も昔も、民間会社が公正な法のもとに貿易をし、その法が守られるよう、英国軍が商人たちを保護します。
これに対し支那は、儲かる商売は官営です。
官憲が儲かる商売を独占し、賄賂をとって私服を肥やします。

当時、英国は陶磁器や茶などを支那から大量に買い付けいました。
そして良質な阿片を支那に販売していました。

ところが、良質な阿片を販売する英国に対し、支那産の阿片は粗悪品です。
人々の人気は、どうしても英国産に偏る。
結果、阿片を買うために、貿易通貨としての支那の銀が大量に支那から流出してしまいます。このことに青くなった清国は、阿片の輸入を規制し、銀の流出を阻止しようと目論見ます。対英貿易趣旨が大幅に赤字となった支那は、英国から輸入する阿片を頭ごなしに規制したのです。要するに輸入禁止商品にした。

もともとは、英国と清国の貿易収支は、英国側が大量の茶葉と陶器を買付けていたので、清国が大儲けしていたのです。
ところが、阿片の流通で、この貿易収支が反転した。で、英国の貿易収支が黒字になり、清側が赤字になって銀が流出しはじめたのです。

事態を重く見た清朝政府は、英国東インド会社からの阿片の輸入を規制します。
ところが、そこが支那です。
中央政府が規制しても、現場ベースでは、官僚たちが規制を盾に多額の賄賂をとって大儲けした。

結局、官僚たちの賄賂の分だけ、阿片が高値になっただけで、阿片の清国内流通はまるで止まらず、当然、清国内の銀の流出も止まらない。
こうなるといきなり過激になるのも、支那の特徴です。

(明日の記事に続く)

回回回回回回回回回回回回回回回回回回回
<編集 配信> 『日本の心を伝える会』
ホームページ http://www.nippon-kokoro.com/


今NHKで「テンペスト」やっていますね。
「テンペスト」上下巻があるのですが、先日読み上げました。

この上巻にちょうど 阿片事件 が出てきます。

・・・我が国と清国との為替は銀1に対して銅1000となっており  ・・・我が国と日本の銀の交換比率は、銀1に対して銅1500となっております。 つまり我が国は銀出過で銀の価値が落ちているということ・・我が国(琉球)を中継することによって清国の帳簿では見えにくくなっております・・・

そもそも阿片戦争とは阿片の悪習が起因だったのではなく、阿片貿易で生じた銀本位性の揺らぎから来る経済戦争だった・・ なんて書いてあった。

テンペスト 

本もテレビも面白かったよ。


わかりやすいドラッカー46のエッセンス ・・書き忘れたから・・

2011-08-13 11:02:28 | ご講話・ヘラトリ・リバティ 


1 マネジメントの3つの役割
① 自らの組織の使命の自覚
② 成果をあげること
③ 社会問題への貢献

経営公案 1
あなたはマネジメントの3つの役割を果たすことができているか



2 成果こそが唯一の存在理由
組織とそのマネジメントの力の基盤となるのは「成果」のみ

経営公案 2
あなたの組織にとっての成果とは何か



3 企業の目的は顧客の創造
目的は組織内部にはない。
外部である社会にある。

経営公案 3
「企業の目的は顧客の創造である」ことを理解しているか。



ドラッカー研修・・受けたけど 難しかった。

それを一緒に受けた人たちは「解りやすかったね」ってニコニコ笑っている。

その・・私には難しいドラッカーを、いとも易しく・・こんな風に友人がまとめてくれた。
私にはこうゆう思考回路はないのですが、これを彼女はカードにして持っている。
当然、私も写させて貰ってカードにして持っているって訳。

持つべきものは友達 ですね!!