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服飾ファッション危うし X III  西太后悪女に非ず1

2024-10-26 | ファッション
「戊戌の政変」で西太后は「中華王朝で悪女の中の悪女」とされました。
何と、これが1976年に覆されたのです。
西太后(1835~1908)が「悪女中の悪女」と祭り上がられたのは
「China under the Empress Dowager」(西太后治下の中国)
J.O.P. BLAND(英ジャーナリスト) AND E. BACKHOUSEの二人の共著 1910年刊
この著書に依るものです。
これが世界初の西太后についての伝記になるとの事です。
著者の一人、E. BACKHOUSEはEdmund Trelawny Backhouse(1873~1944)。
彼は英国の表向きは「東洋・中国・言語学者」で1899年~北京在住。
その著書内容は
「西太后は私財を増やす事にしか興味がなく、政治には参加していなかった。
 権力欲を阻む者は死を命じられた。云々」
この著書は世界各地でベストセラーになり、
やがて中国の皆さんもその内容を信じるようになっとの事です。
そして、これを全否定した著書が66年後に世に出るのです。
「A Hidden Life: The Enigma of Sir Edmund Backhouse」
(隠された人生~エドモンド・バックハウスの謎)
Hugh Redwald Trevor-Rope著 1976年刊
この著書でヒュー・トレヴァー=ローパーは
エドモンド・バックハウスについて彼は英国政府の秘密工作員(the secret agent)で
「西太后治下の中国」の著述の殆どがフィクション(創作物語)と暴露したのです。
この事案は検証され、ヒュー・トレヴァー=ローパーの指摘が今現在、事実となってます。
秘密工作員エドモンド・バックハウスは
政治的に西太后を悪女にしたい思惑があり、英帝国主義国家にとって必要だったのやも。
それから、更に、西太后悪女説を覆した方がもう一人存在します。 続く。
(尚、西太后は「中国王朝 英雄たちの伝説 荒ぶる民の秘密」NHK BS 2024/4/27参考)

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服飾ファッション危うし X II  中国確かに侵略された5?

2024-10-19 | ファッション
清王朝の宣戦布告後、戦いの最前線になったのは天津駅(清朝鉄道中心地)。
天津駅から都・北京に繋がる鉄道が敷設(1888年)されていました。
この駅が陥落すれば都が 列強の手に落ちかねません。
清軍・義和団軍・清の民は共闘、列強軍の進撃阻止の為、線路を35~40㎞に渡って破壊。
列強軍は自国民を保護し義和団を取り締まると云う名目の元、近くの農村で略奪の限りを
尽くした。北京へ行く迄の軍資金だと云って農民達のなけなしのお金を奪ったり、
食糧補給と云って大事な家畜を勝手に殺したりする暴虐ぶりに、農民達も我慢ならず
棒や包丁持って義和団軍と清軍と共に闘いに参加したとの事。
列強が北京に進軍するのを防ぐ為、天津の民衆は徹底抗戦。
抵抗を続けること約一ヶ月、しかし、それも空しく天津は列強軍に占領されてしまいます。
その後、列強軍は北京攻略、清王朝の王宮「紫禁城」を制圧・占拠・略奪。(1900/08/15)
そして、翌1901年9月7日8ヶ国連合軍に屈辱的な「北京議定書」を結ばされるのです。
その内容は莫大な賠償金支払(銀4.5億両 金利年4% 39年分割払 清の年歳入0.9億両)、
北京・天津を始めとする都市の各国公使館所在区域は公使館のみ使用・警察権保持、
大沽口砲台、及び、海岸から北京までの自由交通の妨げとなる砲台撤去等々。
一方、この条約により清朝の立場は一転、義和団を取り締まりを余儀なくされるのです。
又、列強軍が紫禁城に迫ると西太后は側近らと共に都・北京から脱出、西安へ。
この「8ヶ国連合軍の振る舞い」は、まごう事なき「侵略」ですわよ。
(尚、北清事変は「中国王朝 英雄たちの伝説 荒ぶる民の秘密」NHK BS 2024/4/27参考)

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服飾ファッション危うし X I 中国確かに侵略された4?

2024-10-12 | ファッション
清王朝の列強(8ヶ国連合軍)に対する宣戦布告文
「我が王朝は二百数十年、外から来る者に手厚く接してきた。
 しかし、彼らは凶暴になり国土を侵し民を蹂躙した。
 義和団の行いはその報いに過ぎない。
 朝廷が闘うのを避けていたのは民を守る為だ。
 彼らは砲台まで明け渡せと恫喝してきた。
 文明国と称しながら礼儀を弁えない。
 もはや雌雄を決するのみだ。」(義和団档案〈=公文書〉史料 1900年6月21日)
義和団と共に闘う事を選択した清王朝、こうして「北清事変」が始まったのです。
当時、清王朝の政治を司っていたのは西太后(1835~1908)。
彼女は北京の下町で育ち、父は当時、満州族中流官吏で書紀を勤めていたと。
決して裕福とは云えない父は彼女に女性には不要と云われる書・絵等を徹底的に教えたと。
17歳(現在でもかの国は数え年)の時、「選秀女(后妃選定制度)」(清朝の後宮制度)に
参加(満州族女性の義務)、彼女は身分は低かったものの学才が光っていたのか?合格、
「西太后 ― 大清帝国の興亡」加藤徹 参考)
翌1852年18歳で9代咸豊帝(1831~1861在1850~1861)の妃に。
1856年22歳で後の10代同治帝(1856~1875在1861~1874)誕生 10月アロー戦争。
1860年10月アロー戦争英仏連合軍との北京城下の盟(北京条約)にて終決。
1861年26歳で咸豊帝崩御、6歳同治帝即位、幼い息子の代わりに、
西太后は(垂簾)政治を担う事に。(垂簾聴政)同治帝は僅か19歳で早世、息子不在で
1875年41歳西太后掟破りの甥・5歳11代光緒帝(1871~1908在1875~1908)即位へ。
但し、又もや西太后は垂簾聴政、権力を握り続けます。紆余曲折を経て、
1898年4月64歳西太后は隠居、28歳光緒帝に権力を譲ります。彼は一挙に改革へ。
1898年8月6日西太后は光緒帝を急遽、幽閉する事に「戊戌の政変」。
この前日、たまたま前伊藤博文総理(1841~1909)は紫禁城で光緒帝に謁見しています。
この政変以降、又々、西太后は亡くなるまで権力を保持し続ける事になるのです。
この事件に因り、西太后が「中華王朝で悪女の中の悪女」と云われているのです。
(でも、実際は英帝国主義国家から清王朝を護持する為だったのですよ!)
そして、1900年6月21日西太后は列強(8ヶ国連合軍)に宣戦布告するのです。 続く。
(尚、北清事変は「中国王朝 英雄たちの伝説 荒ぶる民の秘密」NHK BS 2024/4/27参考)

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2025春夏パリコレクション

2024-10-05 | ファッション
2025春夏パリコレクションby VOGUE JAPAN
  
アラン・ポールALAINPAUL
アルベルト・クリームラーAKRIS
アレクシ・マビーユAlexis Mabille
アレッサンドラ・リッチALESSANDRA RICH
アレッサンドロ・ミケーレValentino
アンソニー・ヴァカレロSaint Laurent
アントニン・トロンATLEIN
アンドレス・クロンターラーAndreas Kronthaler for Vivienne Westwood
アンナ・オクトーバーAnna October
アンナ・テュルネルTEURN STUDIOS
イザベル・マランIsabel Marant
ヴィクトリア・ベッカムVICTORIA BECKHAM
ヴィルジニー・ヴィアールCHANEL
エステル・マナス バルタザール・ドゥルピエールEster Manas
エドゥアール・フェルミューレンNatan
エリー・サーブELIE SAAB
エレン・ホダコヴァ・ラーソンHODAKOVA
オリヴィエ・ルスタンBALMAIN
ガブリエラ・ハーストGABRIELA HEARST
キコ・コスタディノフKiko Kostadinov
キャロライン・フーCAROLINE HU
グラム・ヴァザリアVETEMENTS
クリスタ・ボッシュ コジマ・ガディエントOTTOLINGER
クリスチャン ワイナンツCHRISTIAN WIJNANTS
クリストファー・エスバーCHRISTOPHER ESBER
ケーシー・カドウォールダーMugler
コナー・アイヴズConner Ives
サムエル・ドゥリラNEHERA
ジェニー・パッカムJENNY PACKHAM
シェミナ・カマリCHLOÉ
シャッツィ・チェンSHIATZY CHEN
シャラフ・タジェルCasablanca
シャルル・ドゥ・ヴィルモランROCHAS
ジャン・クロード・ジトロワJitrois
ジャンバティスタ・ヴァリGiambattista Valli
シューティン・チウSHUTING QIU
ジュディス・ミルグロムMAJE
ジュリアン・ドッセーナrabanne
ショーン・マクギアーALEXANDER McQUEEN
ジョナサン・アンダーソンLOEWE
ジョニー・ヨハンソンAcne Studios
ジョハンナ・オーティズJOHANNA ORTIZ
ステファニー・ダナン ジャスティン・カーンCO
ステラ・マッカートニーSTELLA McCARTNEY
ズハイル・ムラドZUHAIR MURAD
セシリー・バンセンCECILIE BAHNSEN
セバスチャン・ムニエAnn Demeulemeester
セバスチャン・メイヤー アルノー・ヴァイヤンCoperni
ダニアル・アイトゥガノフZOMER
ダニエル・ローズベリーSchiaparelli
ディッテ・レフストラップ ニコライ・レフストラップGanni
デムナ・ヴィアザリアBALENCIAGA
デュラン・ランティンクDURAN LANTINK
トリシェジュ・ドゥミTorishéju
ドリス・ヴァン・ノッテン チームDries Van Noten
ナタリア・アラベルディアンA.W.A.K.E. MODE
ナデージュ・ヴァニー=シビュルスキーHERMÈS
ニコラ・ジェスキエールLouis Vuitton
ニッキー・ジマーマンZIMMERMANN
ニッコロ・パスカレッティNiccolò Pasqualetti
パウラ・カノヴァス・デル・ヴァスPaula Canovas del Vas
パトリック・ディカプリオVAQUERA
ピーター・ドゥPeter Do
マーガレット・ハウエルMARGARET HOWELL
マリア・グラツィア・キウリChristian Dior
マリー・アダム=リーナエルトMARIE ADAM-LEENAERDT
マリー・クリスティーヌ・スタッツGAUCHERE
ミウッチャ・プラダMiu Miu
ミラ・ミカッテイMIRA MIKATI
メリル・ロッゲMeryll Rogge
モシ・トラオレMOSSI
ヤンリン・シャRUE AGTHONIS
ユマ・ワンUMA WANG
ユリウス・ジュールHELIOT EMIL
ヨランダ・ツォーベルCOURRÈGES
ラビ・ケィローズMAISON RABIH KAYROUZ
リック・オウエンスRick Owens
ルイーズ・トロッターCARVEN
ペラギア・コロトロスLACOSTE
ラフル・ミシュラRAHUL MISHRA AFEW
ラミン・バディアン・クヤテXuly.Bët
ルシェミー・ボッター リジー・ヘブラーNINA RICCI
ルッツ・ヒュエルLutz Huelle
ルドヴィック・デ・サン・サーナンLudovic de Saint Sernin
ローラン・ムレROLAND MOURET
ロック・ファンROKH
ロレーナ・アントニアッツィLORENA ANTONIAZZI
阿部 千登勢Sacai
川久保 玲COMME DES GARÇONS
黒河内真衣子MAME KUROGOUCHI
近藤 悟史ISSEY MIYAKE
髙橋 盾UNDERCOVER
高橋 悠介CFCL
二宮 啓noir kei ninomiya
森永 邦彦ANREALAGE
山本 耀司YOHJI YAMAMOTO
渡辺 淳弥JUNYA WATANABE

2024年9月23日~10月01日 in Paris

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2025春夏ミラノコレクション

2024-09-28 | ファッション
2025春夏ミラノコレクションby VOGUE JAPAN
  
J・J・マーティンLA DOUBLEJ
アーサー・アルベッセARTHUR ARBESSER
アレッサンドロ・デラクアNO. 21
アントニオ・タランティーニATXV
アントニオ・ディ・アンナKrizia K Krizia
アントニオ・マラスANTONIO MARRAS
アンドレ・アダモANDREADAMO
アンナ・ヤンAnnakiki
イアン・グリフィスMax Mara
イニエ・トウキョウ・ジェームスTOKYO JAMES
ヴァルター・キアッポーニTOD’S
ヴィヴェッタ・ポンティVIVETTA
ウミット・ベナンUmit Benan
エルマンノ・シェルビーノERMANNO SCERVINO
キム・ジョーンズFENDI
グレン・マーティンスDIESEL
サバト・デ・サルノGUCCI
サラ・カヴァッツァ・ファッキーニGENNY
ジェイソン・ウーBOSS
シモーネ・ベロッティBALLY
ジュリアーノ・カルツァGCDS
ジョルジオ・アルマーニEMPORIO ARMANI
ジョン・ガリアーノMM6 Maison Margiela
ジルダ・アンブロジオ ジョージア・トルディーニTHE ATTICO
スポーツマックスSPORTMAX
ダヴィデ・レンネMOSCHINO
ダニエル・デル・コアDEL CORE
タリア・リプキン=コナーTalia Byre
チョウ・ファイ・チウHUI
ドゥサン・パウノビッチDUŠAN
ドナテラ・ヴェルサーチVersace
デヴィッド・コーマDAVID KOMA
ドメニコ・ドルチェ ステファノ・ガッバーナDOLCE & GABBANA
ナタリー・ラタベージALBERTA FERRETTI
ナタリー・ラタベージPHILOSOPHY DI LORENZO SERAFINI
ハン・チョンSELF-PORTRAIT
ピーター・ホーキングスTOM FORD
ビート・カールソンAVAVAV
ファウスト・プリージRoberto Cavalli
フィリップ・プレインPHILIPP PLEIN
フィリッポ・グラツィオーリMISSONI
フランチェスカ・ルッフィーニFor Restless Sleepers
フランチェスコ・リッソMARNI
ブルネロ・クチネリBRUNELLO CUCINELLI
ペーター・ペトロフPETAR PETROV
ポール・アンドリューFerragamo
マーヤ・ディクスドッターBY MALENE BIRGER
マチュー・ブレイジーBottega Veneta
マッシモ・ジョルジェッティMSGM
マルゲリータ・ミッソーニMaccapani
マルコ・デ・ヴィンチェンツォETRO
マルコ・ランバルディ MARCO RAMBALDI
ミウッチャ・プラダ ラフ・シモンズPRADA
リヴィア・シュック ジョセフィン・ベルクヴィストRAVE REVIEW
ルイザ・スパニョーリLUISA SPAGNOLI
ルイザ・ベッカリアLUISA BECCARIA
ルーシー ルーク・メイヤーJIL SANDER
ロッコ・イアンノーネFERRARI
ロリス・メッシーナ シモーネ・リッツォSUNNEI
ロロ・ピアーナLoro Piana
荻野 いづみANTEPRIMA

2024年9月17日~9月23日 in Milano

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2025春夏ロンドンコレクション

2024-09-21 | ファッション
2025春夏ロンドンコレクションby VOGUE JAPAN
  
アーデム・モラリオグルERDEM
アーロン・エッシュAARON ESH
アシュリー・ウィルアムズASHLEY WILLIAMS
アリス・テンパリーTEMPERLEY LONDON
エデリーヌ・リーEdeline Lee
エマ・チョポヴァ ローラ・ロウェナCHOPOVA LOWENA
エミリア・ウィックステッドEMILIA WICKSTEAD
エリオット・アトキンソンBITE STUDIOS
カミール・ペリー ホリー・ライトTOVE
カロライン・ヴィットKaroline Vitto
クリストファー・ベイリーBURBERRY PRORSUM
コリーン・アレンColleen Allen
サラ・スタウディンガーSTAUD
シモーネ・ロシャSIMONE ROCHA
シャーロッテ・ノウルズKNWLS
シャロン・ワコブSHARON WAUCHOB
ジャワラ・アレインJAWARA ALLEYNE
ジョアンナ パーヴJohanna Parv
ジョナサン・ウィリアム・アンダーソンJW ANDERSON
スティーブ・O・スミスSteve O Smith
スティーブン・ストーキー・デイリーS.S. DALEY
ダニエル・カーンズKent & Curwen
チェット・ローChet Lo
チャーリー・コンスタンティノウCharlie Constantinou
ディミトラ・ペッツァDI PETSA
デヴィッド・コーマBlumarine
デミ・ウェンMITHRIDATE
トル・コーカーTOLU COKER
ナターシャ・ジンコNATASHA ZINKO
ネンシ・ドジョカNensi Dojaka
パオロ・カルツァーナPAOLO CARZANA
ハリス・リードHarris Reed
ファッション イーストFASHION EAST
フーシャン・ツァンHUISHAN ZHANG
フィービー・コールマンHUISHAN ZHANG
フェベン ヴェンメンビーFeben
フォデイ・ダンブヤLABRUM LONDON
プリヤ・アルワリアAHLUWALIA
ポーリーヌ・デュジャンクールPauline Dujancourt
ボラ・アクスBORA AKSU
マーク・ファストMARK FAST
マーシャ・ポポヴァMASHA POPOVA
マイキー・ピアースMAINS
マイケル・スチュワートStanding Ground
マルコ・カパルド フェデリカ・カヴェナティ16Arlington
マルタ・マルケス パウロ・アルメイダMARQUES’ALMEIDA
モワローラ・オグンレシMowalola
ユードン・チョイEudon Choi
ユハン・ワンyuhan wang
リチャード・クインRICHARD QUINN
ルイス・デ・ハビエルLuis De Javier
レヴィ・パルメール マシュー・ハーディングPalmer Harding
ロクサンダ・イリンチックROKSANDA
古田 泰子TOGA

2024年9月12日~9月17日 in London

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2025春夏ニューヨークコレクション

2024-09-14 | ファッション
2025春夏ニューヨークコレクションby VOGUE JAPAN
  
アーロン・ポッツA. Potts
アシュリン・パークAshlyn
アダム・リップスADAM LIPPES
アナ・スイAnna Sui
アレクサンドラ・オニールMARKARIAN
アレハンドラ・アロンソ・ロハスALEJANDRA ALONSO ROJAS
アレハンドロ・ゴメス・パロモPALOMO SPAIN
アンドレア・メアリー・マーシャルSalon 1884
アンドレア・リーバーマンA.L.C.
イガル・アズロエルYigal Azrouël
ヴァージル・アブローOff-White
ヴェロニカ・スワンソン・ビアードVeronica Beard
ウラ・ジョンソンULLA JOHNSON
エイミー・スミロヴィックTIBI
エスター・ガントレット ジェニー・チェンGauntlett Cheng
エドヴィン・トンプソンTheophilio
エブ・ブラバドWho Decides War
エミリー・スミスLafayette 148 New York
エリン・クリングToteme
エリン・ビーティRENTRAYAGE
エレナ・ヴェレスELENA VELEZ
カーリー・マークPuppets and Puppets
キム・シュイKim Shui
キャサリン・ホルスタインKHAITE
キャロリーナ・ヘレラCarolina Herrera
クリス・レアR13
クリスチャン・コーワンCHRISTIAN COWAN
クリスチャン・シリアノChristian Siriano
クリストファー・ラポリス レア・ラッコーネVINCE
グレース・リンGrace Ling
ケイト・バートンKate Barton
ケイト・マレヴィ ローラ・マレヴィRODARTE
コナー・マクナイトCONNOR MCKNIGHT
サンディー・リアンSANDY LIANG
サリー・ラポワントSally Lapointe
サンドラ・サンダーNanushka
シーイング・チュー ハオラン・リーPrivate Policy
ジェイソン・ウーJASON WU COLLECTION
ジェーン・ウェイドJane Wade
ジェーン・シスキンCINQ À SEPT
ジャクソン・ウィーダーホーフトWIEDERHOEFT
ジャック・マッコロー ラザロ・ヘルナンデスPROENZA SCHOULER
ジョヴァンナ・フローレスGiovanna Flores
ジョナサン・コーエンJONATHAN COHEN
ジョナサン・シンカイJonathan Simkhai
ジョンソン・ハーティグLibertine
シンシア・ローリーCYNTHIA ROWLEY
スヴィトラーナ・ベヴザBEVZA
スチュアート・ヴィヴァースCOACH
ステイシー・ベンデッドALICE + OLIVIA
ステラ・イシイ6397
スノー・シュエ・ガオSNOW XUE GAO
ゼイン・リーLii
セバスチャン・アミシャルSebastien Ami
セルジオ・ハドソンSERGIO HUDSON
ゾーイ・グスタビア・アンナ・ウェイレンZoe Gustavia Anna Whalen
ソフィー・アンデス=ガスコン クレア・マッキニーSC103
タナー・リッチーフ レッチャー・カセルTANNER FLETCHER
タニヤ・テイラーTANYA TAYLOR
ダニエラ・コールメイヤーKALLMEYER
デレク・ラムDerek Lam 10 CROSBY
トミー ・ヒルフィガーTommy Hilfiger
トリー・バーチTORY BURCH
ナイーム・カーンNaeem Khan
ニール・グロッツィンガーNIHL
ニューヨーク州立ファッション工科大学FASHION INSTITUTE OF TECHNOLOGY
ニリ・ロータンNili Lotan
ネリー・パルトーPartow
パーソンズParsons MFA
パオリーナ・ルッソPaolina Russo
バッジュリー・ミシュカBADGLEY MISCHKA
バットシェバ・ヘイBATSHEVA
バッハ・マイBACH MAI
パトリシオ・カンピージョCampillo
ピーター・セント・ジョンSt. John
ピーター・ミュリエAlaïa
ビブー・モハパトラBibhu Mohapatra
ヒラリー・テイマーCollina Strada
フィリップ・リム3.1 PHILLIP LIM
フェルナンド・ガルシア ローラ・キムMONSE
プラバル・グルンPrabal Gurung
ブランドン・マックスウェルBrandon Maxwell
プリスカ・フランケッティPRISCAVera
フレデリック・アンダーソンFREDERICK ANDERSON
ヘンリー・ザンコフZANKOV
マーカス・ウェインライトRAG & BONE
マイク・エコーズ ゾーイ・ラッタECKHAUS LATTA
マイケル・コースMICHAEL KORS COLLECTION
マリア・キムNORMA KAMALI
マリア・コルネホZERO + MARIA CORNEJO
マリア・マクマヌスMARIA MCMANUS
マリーナ・モスコーン フランチェスカ・モスコーンMarina Moscone
ミーヤ・ジャンPH5
ミシェル・オックスHERVÉ LÉGER
メイジー・ウィレンMAISIE WILEN
メリッタ・バウマイスターMELITTA BAUMEISTER
ヤラ・フリンNOMIA
ラウル・ロペスLUAR
ラカン・スミスLaQuan Smith
ラルフ・ローレンRalph Lauren
リーケ・コモンMaison Common
リーム・アクラREEM ACRA
リオ・ウリベRio
レイチェル・スコットDIOTIMA
レヴェッカ・ヘッセル・コーエンLOVESHACKFANCY
レラ・ローズLELA ROSE
ローレン・マヌーギアンLAUREN MANOOGIAN
ロゼッタ・ゲッティROSETTA GETTY
ロメオ・ハントRomeo Hunte
前田 華子ADEAM

2024年9月06日~9月11日 in New York

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服飾ファッション危うし X 中国確かに侵略された3?

2024-09-07 | ファッション
天津での義和団の活動で有名な根拠地は道教の施設だった「呂祖堂」。
皆さんこちらで武芸の鍛錬を重ね、司令所を兼ねていたとの事。(現在は記念館)
彼ら・彼女らの武器は刀と槍など、相手は銃、後に大砲ですので、
とうていタイマン(一対一での勝負)では勝ち目は毛頭ありません。
又、義和団の戦闘服(インナー)なのですが「刀槍不入」(敵の攻撃を通すことがない)
と云うお呪いをかけていたとの事。これには決死の覚悟が窺われません事?
天津もアロー戦争で結ばれた「北京条約1860年」にて英・仏の租界を設置されていました。
その後1895年独、1896年日の租界設置以来、天津の民衆は行き場のない怒りを抱えいた
状況から一つの思いに突き動かされ義和団に賛同・参加をしたのかも。
天津の義和団員は4万人を超えたとも云われてます。
義和団の急速な拡大に対し大国(列強=great powers)等は清朝に収拾を要求。
虎の子の西洋式軍隊を率いる袁世凱軍は義和団を取り締まり・鎮圧に。
義和団は列強と清朝、両方相手にしなければならない状況に。
ところが、この後ある事件を契機に一変するのです。
その事件は列強の「大沽口砲台(タイココウ)(現天津市浜海新区)」攻撃事件。
大沽口砲台は都・北京を守る玄関口、船で来て北京に向かうのはここを通過し川を渡り
天津の街から上陸する以外、かの時代方法がありません。北京から最も近い海に造られた
大沽口砲台は清朝時代、海上から来襲する者への守りの要。
特にアロー戦争以降、外夷の侵攻に対抗する最終防衛線として機能していました。
列強は何てことか、清朝にこの大事大事な大沽口砲台の明け渡しを突如要求するのです。
明け渡し要求理由は
義和団の勢力拡大で安全確保が必要、海上と陸上も自由に行き来したいから。
余りにも自分勝手で理不尽な要求では?
これに対し、袁世凱軍は当然拒否します。
それに対し、列強の艦隊は艦砲射撃で砲台を攻撃・破壊するのです。(6/17)
*列強の艦隊(英・米・仏・独・伊・墺・露・日=8ヶ国連合軍)
守りの要、大沽口砲台陥落を受け、清王朝は8ヶ国連合軍に宣戦布告するのです。(6/21)
 続く。(義和団は「中国王朝 英雄たちの伝説 荒ぶる民の秘密」NHK BS 2024/4/27参考)

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服飾ファッション危うし IX 中国確かに侵略された2?

2024-08-31 | ファッション
先週は「大英帝国(立憲君主国民国家)」の狡賢い振る舞いを物語りました。
これ以降の歴史経緯は皆さんよ~くご存じと思いますので端折ります。
但し、天下(世界)一だった王朝を寄って集(たか)って滅亡に追いやった件だけ。
清王朝にて生まれ育ち「外夷」に虐げられた幼気な庶民の抵抗、通称「義和団の乱」。
これって、時は19世紀~20世紀にわたって繰り広げられ、
清王朝をも巻き込み・動かした大事件なのですよ。(1897~1901)
義和団は「祖国の為に義の精神を和(結集)して外国に立ち向かう仲間」。
義和団の彼・彼女らの四文字熟語標語は「扶清滅洋」(清王朝を扶け、外夷を滅する)。
事の発端は「鉅野事件」(1897/11/01)山東省曹州府巨野県(現山東省菏沢市巨野県)。
布教・侵食の為、やや遅れて清に進出したカトリック教会独神父が村人に殺害された事件。
因はこの神父が村のお嬢さんに狼藉を働いた事とも云われています。
清に派遣されていた独宣教師は即、この件を電報で独皇帝(ヴィルヘルム2世)に伝えます。
独はこの事件にて口実(独人宣教師保護)を得て、皇帝は独海軍に命(11/7)、
上海に停泊していた独海軍東洋艦隊は艦艇を膠州(コウシュウ)湾に派遣、黄海膠州湾を占拠。
やがて上陸、青島の南の日照県城(現山東省日照市)を占領、膠州湾岸を手中にします。
そして、この間のとんでもない資料が存在です。
(欧国民国家同士では口には出さない常識なのかしらん?)
独宣教師司教アンツェルのヴィルヘルム2世に打線した言葉と思われます。(11/17)
「これは最後の機会です。今清国の占領を行っても誰も怪しむことはございません。」
(この資料が「公」になった事がとても不思議ですがWWIでの独敗戦やも?)
結局、アンツェル司教の進言通り事が進み、
翌年清朝は過失を認め賠償金支払と教会建設を認める羽目に陥り、更に、
「独清条約」が結ばされ(3/06)、膠州湾が独の租借地(99年借領地)等になるのです。
これら一連の独の動きは山東省の人々にキリスト教や外国への反感を増幅しました。
この事件を契機に果敢に立ち上がった血気盛んな若者達は義和団を組織。
彼らは山東省の独カトリック教会を次々と襲撃する挙に出るのです。
やがて、世紀が変わり1900年に突入するや、
義和団は山東省を流れる黄河を越え北上、天津に至り、行動し始めます。 続く。
(尚、義和団情報は「中国王朝 英雄たちの伝説 荒ぶる民の秘密」NHK BS 2024/4/27参考)

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服飾ファッション危うし VIII 中国確かに侵略された1?

2024-08-24 | ファッション
「どぶ川の都・パリ」での五輪、夏の風物詩「熱闘甲子園」も滞りなく終了。
とは云え、未だまだ暑い日々は続きそうな雰囲気漂う今日この頃・・・・・。
それでは前回からの続きです。

清王朝は英に「華夷思想」を具現化対応しますが、
英側はしっかり清の内情を知り得ます。
ここで、英は驚きの策に打って出ます。植民地印生産の麻薬の一種・阿片を清に密輸。
この結果、英は銀を回収することに成功。
清は銀の消失と阿片中毒患者の蔓延で大きな打撃を受ける事に。
清朝は英側密売人、及び、清阿片密貿易秘密結社から、阿片を没収、焼却に動きます。
七つの海を制する英はこの状況を見過ごしません。
英は「貿易を守る」と云う口実で艦隊を派遣(1840年)。
英はこの戦争に勝利、清との自由貿易・香港島・賠償金を獲得(1842年南京条約)。
翌1843年追加条約として治外法権・関税自主権放棄など不平等条約を押しつけます。
又、「互市(ゴシ)=私貿易管理制度→朝貢貿易以外の交易認可、日本・西洋諸国用」の瓦解。
それ迄、「互市」では西洋諸国の交易可の港は「広州」一つだけで現地取引のみ。
貿易港は新たに厦門(アモイ)・福州・寧波(ニンポー)・上海が開港される事に(英人居住権も)。
英の帝国主義と資本主義経済制度はアジア随一を誇った清を揺るがすのです。
ところが、それ迄の天下覇者・清王朝はこの状況・世界認識観を把握・掌握できず
「攘夷」から「撫夷(えびすをなだめ・なつかせる)」思想に転換して矛を収める顛末。
やがて、敗戦清王朝は米・仏とも英と同じ条約を結ばされ屈する羽目に。
一方、英はこれだけで満足できず次なる秘策を捻り出します。
たまたま、清役人が広東沖に漂っていた不審船(アロー号)を臨検した事に
英はいちゃもんをつけ、現地駐留の艦船で広州沿岸設置砲台を破壊(1856年)。
翌年英は仏軍をも誘い本国から海軍を広東に派遣、圧倒的な軍事力で広州を占領。
一時、天津にて清軍の抵抗(1859年)で撤退、体制を立て直し再度進軍、北京占領(1860年)。
結果、英・仏に北京条約を結ばされ、香港島に隣接する九龍を獲得(英)北京駐在(英・仏)
等々、又々軍事力で清朝にとって不利で一方的な約束事を強いられたのです。
この二つの条約で南から広州+厦門(アモイ)・福州・寧波(ニンポー)・上海+天津港が
清朝が管理する港から(出入り)自由貿易港、
及び、港湾地域一部を租界(治外法権外国人居留地区)にされてしまったのです。
更に「撫夷・互市⇒夷務(えびすのあしらい)」から「洋務」体制へ余儀なくされる事に。
*洋務・・・あくまでも華夷思想が中心なれど、西欧近代技術を取り入れる政策
この「英」の振る舞い、どう考えても、誤魔化しきれない「侵略」になりません事?

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