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梁啓超 来日後、日本語と翻訳・和製漢語を猛勉強

2024-12-14 | ファッション
梁啓超生誕1873年~中華民国成立 清王朝滅亡1912年迄、先週整理しました。
今週は彼が日本に亡命した1898年以降のお話しです。
梁啓超は来日し、日本語を猛勉強する日々。
科挙に合格してますので、抜群の暗記力にて知識獲得等々はお手のもの。
会得後は吉田松陰・福澤諭吉・加藤弘之・徳富蘇峰等の書物は当然として
日本語に翻訳された海外の著作物(政治・経済・法律・歴史等々)も読み漁ります。
その時節の日本は「大政奉還」→「王政復古」→
「明治維新」→「文明開化」→「富国強兵」→「殖産興業」
を経て薩長政権は絶好調を迎えていました。
因みに上記の四文字熟語で「王政復古」・「文明開化」以外は「漢語」です。
大政奉還→てんかのまつりごとをおかえしもうしあげたてまつる
明治維新→明治これあらたなり 元号明治の典故は易経「聖人南面而聴天下 嚮
富国強兵→くにをとまし、へい(軍事力)をつよくする
殖産興業→とれだかをふやし、なりわいをおこしふやす
ところが、どっこい、王政復古・文明開化は「翻訳漢語」なのです。
restoration→王政復古、civilization→文明開化になります。
王政の漢語は帝(天下)の政(まつりごと)で復古は古(いにしえ)の形に復すこと。
文明の漢語本来の意味は文徳が明るく輝くこと。学問・教養があって人格が優れていること。
更に、国語(日本語)では後に技術・機械等の発達により世の中が進歩し便利になる意味に。
開化の出典は「大唐西域記」で人知が発達し思想・風俗の進歩すること。
上記の「翻訳漢語」は江戸末~明治に活躍した英傑らが
西洋語を既存の漢語に転換しました。他の事例は下記になります。
「翻訳漢語」の例 〈(=以降)は元来の漢語の意味〉
「state→国家(=王朝・政権)」「nation→国民(=百姓)」「revolution→革命(=王朝交代)」
「speech→演説《福沢諭吉訳》(=道理や意義を説く事)」
「liberty→自由《福沢諭吉訳》(=自分の思うままに振る舞う事)」
「society→社会(=集会)」「-ism→主義(=道義を行いの基準とする事)」

更に漢語には存在しない「翻訳創作漢語(和製漢語)」も編み出しました。
(《 》内は訳された方と組織)
「philosophy→哲学《西周》」「science→科学《福沢諭吉》」「bank→銀行《大蔵省》」
「和製漢語」の例は下記に。
「information→情報」「evolution→進化」「human rights→人権」「territory→領土」
「idea→理念」「category→範疇」「essence→本質」「concept→概念」「story→物語」
「creation→創作」「sensibility→感性」「design→図案」「content→内容」「sensitiv→敏感」
「time→時間」「space→空間」「background→背景」「market→市場」「consumption→消費」
「dictatorship→独裁」「resistance→抵抗」「avant-garde→前衛」「party→政党」
「policy→政策」「group→集団」「election→選挙」「common sense→常識」等々

更にさらに、全くの「創造漢語(和製漢語)」も
方針 場所 日程 特長 敵視 単純 成員 人選 支配 事態 作者 財閥 故障
公認 原作 権限 系列 金額 記号 簡単 学歴 入口 狂言 軍部 克服 歌舞伎
等々、夥しい数の和製漢語が生み出されたのです。
(上記翻訳・和製漢語は「漢語外来詞詞典」劉正談ら著 1984年上海辞書出版社刊に収録済。)

梁啓超は翻訳漢語には若干違和を覚えるも、和製漢語に新鮮さを感じたのでは?
 続く。
それでは、本日にて2024年最終投稿に致します。
皆様におかれましては良いお年をお迎え下さいませ。 それでは、又。

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清王朝 ⇒ 中華民国 梁啓超の登場

2024-12-07 | ファッション
先週、清王朝は王朝名であり主権国家名で無い事に気付き、国家名を提案した方が
出現しました。そのお方は「梁啓超」(リョウケイチョウ1873~1929)。
(但し、この時点で主権国家の概念がお分かりであったかは、定かではありません。)
1873年01歳 広東省広州府新会県にて生まれる(現在の広東省江門市新会区)
1889年17歳 科挙地方試験(郷試)合格
1890年18歳 康有為と会う 以後、彼の一番弟子
1894年7月 日清戦争勃発(7/25~1895/4/17)
1895年23歳 日清講和条約(下関条約)に対する講和拒否運動、政治結社強学会 書紀
 強学会入会者には英宣教師Timothy Richard ティモシー・リチャード中国名 李提摩太(リテイマタ)、
 袁世凱(エンセイガイ1859~1916大清帝国第2代総理→中華民国初代大総統)等々
 康有為・梁啓超を中心としたこの結社が清王朝の伝統的政治制度を改革する「変法運動」
 となり(君主専制→立憲君主制・富国強兵・科挙→洋式学校等)「変法」党派に
1897年11月 山東省で鉅野事件
1898年26歳 光緒帝の変法新政「戊戌の変法」作動も8/6袁世凱の日和りであえなく没
 身に危険が迫った康有為・梁啓超は逃走 各々別々に9月日本に亡命を果たします
 梁啓超は11月横浜中華街を拠点に早速、持論等々を記した「清議報」を刊行
1900年6月 北清事変勃発 1901年9月屈辱的な北京議定書
1901年29歳 「中国史叙論」
1902年30歳1月「新民叢報(シンミンソウホウ)《新民説 新史学》」半月刊誌発刊(~1907年)
1904年2月 日露戦争勃発(1904/20/8~1905/9/05)
1905年8月 東京にて中国革命同盟会(→中国同盟会)結成 孫文・黄興・汪兆銘ら「民報」
 隋王朝から始まった官吏途用制度「科挙」廃止
1911年10/10 武昌蜂起(現 湖北省武漢市)辛亥革命の発端
1912年01/01 南京にて孫文国民主権国家「中華民国」成立宣言 梁啓超数え40歳
 続く。

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