最近たいてい4時には起きる
仕事があろうがなかろうが目が覚めてしまう
眠れなくなる
眠くないわけではない
眠い
けれど眠れない
寒くなってきたからなのだろうか
今日は仕事は休み
明日、明後日は仕事
今年は年末までしっかり仕事
年末もおそらく20時近くまで仕事だろうと思う
息子や娘も帰ってくるかもしれない
けれど、今年は一緒に食事にもいけない気がする
帰省という概念
元々私の故郷は他県であり、福岡から家族みんなで帰省していた
田舎の広い家でゆったりしていた
まぁ、奥さまだけは気を使っていたようだけれど
でも、奥さまの実家も20キロの距離離れてるだけなので、車で30分程度で着くし、帰省のたびに1日は奥さまの実家にも宿泊させてもらっていた
だから夜は親兄姉と話し込んでいたようだった
家族は大事だ
奇妙な宗教などよりも貴重な存在だと思っている
私は、そういう自分の親兄姉など、家族との交流をやめた
形式上はひとまず波風立ってないように見えるが、ほぼ断絶状態
そもそも、礼節というものを軽視した生活信条で生きてきた
だから、ほぼ 挨拶は苦手
日常でも、挨拶ができない症候群と言ってもいい
謙虚な言い方ではなく実際にそういう行動しかできない
礼節は大事な人間社会のコミュニケーションそのものでだろう
だったら、しないといけない
そう思う
思うけれど、しないということは、思ってないのと同じ
いや、思ってない
自分の殻に籠っている
ヤドカリか?
そう
言うなればそうだろう
現代社会の兆候として、そういう人社会の兆候は自分以外でも感じる
特にコロナという言葉を多発するようになってからは、強く感じる
自己の殻に籠る生活を余儀なくする社会
そういう社会的な兆候が若者を中心に見え隠れしていたところに来て 追い討ちをかけるコロナ現象
今、必要なのはその逆だと感じる
世界的な兆候
私の嫌いな中国でさえゼロコロナ政策が民衆の反感を増幅させて天安門事件以来の問題になるのではなかろうか、とさえ言われている
まぁ、軍事力で押さえつけるのだろうけれど、それはロシアと同じ道
数年で大きな民衆社会の畝りを持つだろう
ここ数年は自分たちも世界も大変革の時代だと感じる
だからこそ、身の回りの生活をしっかりと見据えて道を間違えないようにしたい
ポピュリズムに右往左往してる内閣に関してはあまり多くは言えない
なにせ、歴代の日本の政治は陰で様々なことが起こってて、それを我々民衆には内緒で実施されていた
政治というものは過去、太古の歴史をみてもそういうもの
そう割り切らなければ生きにくい
大きな畝りの中の小さな生活
自分の身の回りだけでもしっかり見据えていかないとなぁ
そう考えながら、フラフラしてり自分を見て笑ってる自分もいる
元々、そういう生き方を自分で選択したのだし
誰かが言った「根無し草」
そういう草があるのかどうかは知らないけれど、その草にも生き様はある
それが我が道ならばそれもよかろう
早朝、眠いながらウダウダと頭の中で思いがめぐる
それもよかろう
私はピーナッツが好きだ
だから寝る前にピーナッツの袋を一袋まるまる食べることがある
結構な量のピーナッツを食べている
この量 きっと身体には悪い
そう思いながら 自分で「アーニャ ピーナッツだ~~い好き!」
などと言って笑う
フワフワした生活でもそれはそれでいいか