手術を嫌がる人がいる
わかる
身体にメスを入れる
それは身体に傷を入れると言うこと
それもしっかり影響があるもの
治ったと勘違いする
治ってるということではないから
身体の一部を失った人の生活はままならない場合が多い
大変不自由だ
単純比較はできないが、メスを入れると似たような影響があるような気がする
治ったと勘違いしてかかると、その後の影響に狼狽える場合も多いからだ
若い頃ならば有り余った体力で乗り越えることもできよう
年齢とともにそういうことができにくくなる
やはり普段からの身体の使い方が大きく作用する
若さの重要さは大きい
若い頃はちょっとした努力でその成果の進捗が大きくワクワクしながら生きることができよう
成長したら周囲の敵の強さに圧倒されて随分な努力をしても成果が少なくなる
周囲の称賛はほぼ無くなってくる
だんだんつまらなくなる
なので、更なる努力と鍛錬が必要になる
そこになかなか納得できない
そしてもっと歳を取ると衰えてくる
衰えてきたら更にさらに努力を繰り返さないと疲弊してくる
それは致し方ないことだと気づいてもくる
しかし生きてる以上は鍛錬の繰り返しが成果に大きく応える
気分的に痛みと絶望が繰り返される
その辛さを乗り越えるために日々頑張る
なんのために?
生きるためにとしか言えない
身体にメスを入れたら、そういう努力も大きく影響されるから嫌だというのはごもっともだと思う
いや、単なるワガママかもしれない
私も定年後、お腹を切った
いまだにジンジン痺れてる
それは死ぬまで治らないだろう
死ぬまで付き合っていくしかないだろうな
それでも、そこから老化と疲弊に落ちて行かないように日々鍛錬しないと生きることに辛くなる
単純な日常の一コマなのに
だから喘ぐのだろう
よく老人に見かける行為
その他人をも無視した生き方と感じる部分は生きるためにだけ必死の形相が窺える
若者にはわからない
生きることの意味がそのあたりにありそうだと感じながら今も老人への道を歩む
これ以上身体に傷を入れないためにも