賃貸住まいの高齢者

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

時間の驚異

2024-10-24 16:08:36 | メンタル
私は時間が無いとひどく焦ります

そういう癖があります

癖というよりも習性のようです

そもそも普通に焦ります

なので、急ぐという事を他人から指図されると咄嗟に焦ります

ひどく焦ります

いつも自分を急いている気質のようですから、いつも急いている人に更に追い討ちをかけると混乱しますよね

なのでしょっちゅう混乱します

精神疾患かもと思ったりしましたが、根本的にイライラしてるのでそれが日常の普通のようです

普通が混乱です

混乱が普通です

そういう生き物と思った方がいいのでしょう

しかしながら、そういう生き物は生き抜くのが難しいと感じます

だから、更に困惑します

困惑すると更に混乱します

混乱しても息はできます

だからいまだに生きています

生きてていいのかどうかは分かりませんが生きてます

良いも悪いも無いと思いますが、他人に迷惑な気がしてます

でも他人は私に対して そんなことはない と誤解してるようです

そこが一番気になります

時間は驚異です

余裕は欲しいです

でも余裕があってもなくても同じ結果なら諦めるしかない、と

やはりいつもながら堂々巡りをしてます

その対処には 丁寧が良いと言われました

丁寧という言葉は知ってますが、できないです

丁寧が理解できていないのか、丁寧に、と早く、が混載するとやはり混乱します

従って、遅いこと目指す様に容認したいです

私は素早く正確に動作する事ができません

遅いです

時間は驚異です

私は同じことを何度も繰り返します

一度で正しく行動できません

行動して、間違えて、再度同じことを繰り返します

たいていいつもそうなります

行動する前に一度しっかりと見据えてから動きなさいと言われます

一旦停止して行動することだと思い、一旦停止して注視してから行動しました

でもこ同じです

そのようにやってみましたが、やはり時間をかけても間違えます

やり直しが非常に多いです

時間は驚異です

心身とも総合的に消化不良です(笑)
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自信がない

2024-10-24 05:37:22 | メンタル
私は自分の感覚がどうも怪しいと思う

聞いていることが、本当に正しい内容を聞いているのか

感じていることが本当に正しいことを感じているのか

自分の肉体が正常に動いているのか

かなり疑わしい感じがする

つまり、自分自身を根本的に肉体から信じられない

自分を信じられないと言う事は、自信がないと言う言葉だ

自信を持てと言うけれども、それは自分の感覚や自分の意思や自分の判断に疑問が湧かないという人の感覚が基本にある

私は失敗が多い

間違いが多い

焦るからかもしれないが判断がオカシイと後で解る

他の人に言わせると、私は理解するのが遅いらしい

たぶん、自信がないからあれこれ気にしてしまい判断が遅いのでは無いかと思う

人の言葉の趣旨を直ぐに理解できない

どういう意味か自分の想定した判断と合ってるか自信がない

理解の可能性をあれこれ考えてしまう

これは、きっと、個人の特殊な特徴なのではないかと感じる事がある

逆に、しっかりと聞いたり見たりしないで判断することも多い

だから余計に全てをしっかり吟味して理解しないといけないと思うようになる

時間をかけて、あれやこれやを吟味する事になる

単純なことから複雑なことまで全てである

だから、複雑なことになると、理解するまでの忍耐力がないから、途中で理解すること自体を諦めることも多々ある

自分の「普通」の感覚が違うのだと、いつも感じる

だから、会話を避ける

避けても日常は追いかけてくる

これが困った事になる

日常は不安の嵐になる

この辺りも自閉症なのかもしれない
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自分にとって大事なこととは

2024-10-24 05:16:07 | メンタル
いろんなことがウダウダと頭の中に浮かんでくるけれども、自分にとって本当に大事な事は何なのかをしっかりと考えなければいけない時期に来ていると思う

それは一体何なのか

持病か

足のしびれや腰の痛みと言う肉体的体の問題も大きくのしかかっている

確かに、バセドウ病を患って以降に筋肉がげっそり落ちて、老化のスピードが速くなって、肉体的に この先の寿命が短縮しているのは確かだと思う

しかしながら、そこをどうしようもないと放置していては、今まで頑張って生活してきたことが水の泡と化す

まぁ、生活の努力と言う努力はほとんどした事は無いけれど

しかしながら、生きている間は、何か未来に向かって進んでいくことが時間の費やし方としては正しいのではないかと思う

そう考えていくと、やはり日常の持て余す時間のほとんどを肉体管理に使うことが良いのではないかと思うようになってきた

でもなぁ、それに費やす為の元手となる資産は無い

一つの方法としては、今の仕事の内容を多少なりとも、自分の肉体に良い影響が与えられるような肉体労働に変えるのもいいかもしれない

ただ、肉体労働といっても、昨今では、そういう肉体労働はない

まぁ、ないこともないんだけれどだけ

田舎で農業をすれば一番良いのは既にわかっているし、昔からそれを理想としてやってきた

ところが、それを受け入れられない環境に陥ってしまったのである

一つの方法は、その陥ってしまった環境をどうにかして変えると言うのも一つの手段である

で、それをするには、自分個人だけで考えていかねばならなくなる

それは家庭を放棄すると言うことに他ならない

今思うことの一つに、世の中で生活環境に嘘をつきながら生きている人がいる

けれども、それはそういう家庭環境と仕事の環境の矛盾を何とかこなすためにつかざるを得ない嘘なのではないかと言う気がしている

それも一つの方法なのだろうなと思うようになってきた

余談になるけれども、政治の世界もそんなものなのかもしれない

元に戻して、自分の肉体がいよいよダメになったらどうするのか

そういうこともそろそろ考えておいたほうがいいと思う

考えるだけではなくて、周囲に周知していく必要が出てきたのではないかと言う気がする

今、そういう実態を周知しようとしても受け入れない環境がある

受け入れようとしてくれない

ダメになった肉体をダメと言わせない

なんとも不便な環境だし、不幸な環境だ

そこをどうにかするのを考えるのが、今の大きな仕事なのだ

けれども、いくら考えても、堂々巡りに陥ってしまう

やはり何らかの大きな事件事故問題提起が必要なのかもしれない

いやはや、困ったものだ

う~ん、困った困ったと言っててもしようがない

とにかく考えるしかない

そして、一定のところまで考えたら実行してみるしかない

そう思うと、転職は一つの方法であり、なかなか面白い手段である

とりあえずどっかに転職してみるか?

そんなんでいいと思う

そんなんがいいと思う
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