花咲く丘の高校生

平成時代の高校の授業風景を紹介したり、演歌の歌詞などを英語にしてみたり。

形の文化

2024-01-28 | 日記
『花咲く丘の高校』にて
形の文化・・平成21年4月30日の授業より
新学期も3週間がたった。
 始めのうちは緊張していた生徒も、私になれてくると授業開始時の挨拶さえもいい加減になってきた。
 「おい、おい、挨拶はきちんとやってくれよ。社会的な動物である人間にとっては、先ず形が大切なのだ。中身がどんなに良くても、立場をわきまえて形をきちんとしないと、社会的に抹殺されてしまうのだ。
 今日のニュースで大きく報道されているスマップのK君。
彼ほどの素晴らしい才能を持ったタレントでも、酔っぱらって公園で裸になっただけで警察に逮捕されてしまったのだからね。あれが上野公園だったら、こんな大騒動にはならなかったろうにね。TPOっていうか、時間(夜中)も場所(公園)もクールな高級住宅街(Occasion)だったことも彼には仇となったのだ。
 だから、形式っていうか。TPOをわきまえて行動することが大切なんだよ。かく言うオレも若い時は、形式よりも中身だなんてつっぱていたっけ。
 その国が絶対的だと信じて、それ故に英語を勉強してきた多感な少年がいた。その少年が憧れていた欧米的教育には欠陥部分もあったのかもね。形を重んじる相撲と、ボクシングの違いだろうね。
 中身に合った外見にしないといけないよ。形式を軽んじていたオレは、会社勤めをしていた頃はずいぶんはた迷惑な人間だったよ。そして悟ったのだ。日本人は形式を大事にする民族なのだと。「形」を重んじる文化は社会的に高度な文化なのだよ。形の文化は、求道の精神に通じているのだよ」
・・・以上は平成時代の高校での話😌 

 今朝(1月28日)の『Yahooニュース』より
「大学授業中に学生が鍋を食べる」
許可した教授(大阪公立大学ポピュラー音楽研究者)が明かす「自由」をめぐる深い理由
この教授は「迷惑をかけなければ、授業中に鍋をやってもいい。大学とは、こんなふうにして自由であることのデイテールを確認する空間であるべき」との見解を示した。・・・これが令和時代の大学教育なのか😠 








 





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猿供養寺の人柱ー(2)

2024-01-21 | 英文翻訳
前編のあらすじ
 800年以上前から上越市板倉区猿供養寺(さるくようじ)に伝わる民話。
猿供養寺村では毎年のように地滑りが起きていた。その年の春に起きた地滑りは7日たっても治まらなかったので、人柱を埋めて鎮めることになった。若い娘が人柱になりたいと言うと、わしは年を取っていて命は惜しくないからわしを人柱にしてくれと年寄りが言い出したりして、中々話が決まらなかった。

猿供養寺の人柱ー(2)
 ちょうどそのころ、信州(今の長野県)から猿供養寺(さるくようじ)へ来る黒倉山(くろくまやま)の峠道をひとりの年とった旅のぼうさんが歩いていたと。
 ぼうさんは、村にはいったとたん、じすべりがあんまりひどいんでたまげてしもたと。道はでっかくもりあがったり、へこんだり、右に左にごちゃごちゃになっていたんだと。あちこちのうちも、かべはおちたり、かたむいたり、もうくずれかけているんだと。ひっそりと静まり返った村ん中に、ぼうさんのぬれたわらじの音が、ピシャッ、ピシャッというだけだったと。
 ぼうさんは、村のしょが集まっている松の木屋敷にきたと。むらのもんはだれひとりふりむくもんもいなかったと。ぼうさんは村のおさに近づいて、村がどんげらか聞いたと。村のおさは、地滑りが始まってから今までのことを話したと。ぼうさんは、村のしょがきょうまで助け合い、はげまし合ってきたことを思って、感心するばっかだったと。-続くー 
 Just around that time, an aged traveling monk was walking along the mountain path of Mt. Kurokuma from Shinshu (now Nagano Prefecture) to Sarukuyoji. The moment the monk entered the village, the landslide was so bad that he was surprised. The road was swollen, dented, and limp to the right and left. Houses here and there had walls falling, leaning, or almost collapsing. In the quiet village, only the sound of wet straw sandals of the monk was heard "pisha, pisha."
  The monk came to the pine tree grounds where the villagers were gathering. No one in the village turned their heads to look at the monk. The monk approached the village chief and asked what was going on in the village. The village chief told him what had been happening since the landslide started. The monk was filled with admiration for how the villagers had helped and encouraged each other. -To be continued-


 
 


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猿供養寺の人柱(民話)

2024-01-15 | 民話英訳
この言い伝えは事実だったのです。
 昭和12年(1937年)3月、近くの田を耕していたお百姓さんが、新しい田んぼに土を入れようとして土地を削っていると、甕が出てきました。その甕の中にはお祈りをしている人の姿がったのです。大学の先生に調べてもらったところ、800年も前の旅のお坊さんだろうということが分かりました。
(採集地:長野県境にある新潟県中頸城郡板倉町)

猿供養寺の人柱(Human Pillar in SaruKuyoji)
①ずうっとむかしのことらと。
 猿供養寺(さるくようじ)の村(中頸城郡板倉町猿供養寺)は、毎年毎年、地滑りで困っていたったと。春先の雪解けの頃や、雨がいっぺえ降る秋の終わりごろになると、きまったように地面が動いて、田畑が壊れたり、家が崩れたりしたと。
 この年もまた、春先の地滑りが始まったと。
 「地の神様がおこんなさったどお」
 「うらやまじゃ」
 「前の田もだあ」
 「早くしずめねえと大変だどお」
It's a long, long time ago.
 The village of SaruKuyoji suffered from landslides every year. In early spring when the snow melts,  and in late autumn  when it rains a lot, the ground regularly moves, causing fields to collapse and houses to fall down. 
 This year too, landslides began in early spring. 
 "The god of the earth is angry!"
 "It's happening in the back mountain."
 "Even in the front rice field, as well"
 "Calm it down sooner, or a big problem will occur!"

②村のしょ(衆)は口々にわめいて、松の木屋敷に集まったと。めいめいが持ち寄った酒や野菜を供えて、今まで動いたことのない松の木屋敷で、お祈りを始めたと。
 んだども、この年は三日も祈り続けたろも、地面の動きは止まらなかったと。うすきみ悪い地鳴りは、だんだんひどうなって、どろ土に巻き込まれる家ももでてきたと。
 Shouting aloud, the villagers gathered at the pine-tree grounds which had never moved before. They each offered sake and vegetables, and began to
 pray.
 However, this year, even though they kept praying for three days, the ground didn't stop moving. The eerie rumbling of the ground got worse and worse, and 
some houses were engulfed in muddy soil.

③地滑りが始まって八日目になったときらと。
 村のもん全部が、人柱というて、地の神様に生きたまんまの人を埋めておまいりするしかないと思うようになったと。
 「わたしを人柱にさしてくんなさい」と若いむすめが言うと、 
 こんどは年寄りが「娘がいぐんなら、このわしがまいるだ。わしは年とってる。命はおしくねえ」と、言うんだと。松の木屋敷に集まっても、誰にするか考えるばっかで、少しもきまらんかったと。ー続くー
 It was the eighth day after the landslide started. All the villagers came to believe that they had no choice but to pray to the god of the earth by burying a person alive as a human pillar. 
 "Please make me the human pillar," said a young girl, and then an old man said, " I'll be the sacrifice in her place. I'm old, so I will not spare my life."
 They met there at the pine-tree grounds, but couldn't decide on who to choose.
                                                                                          ーto be continuedー



 






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心が痛む能登沖地震

2024-01-08 | 思い
 言葉や文字では表せない悲惨な災害で、テレビや新聞ではこの悲惨な事実を客観的に報道してくれているので有難いです。
 お正月に帰省中だった子供さんたちの若い命が失われたなんて、神も仏もいないのだろうか。神や仏がいるのなら、どうか彼や彼女たちが現世よりもずっと素敵な天国や極楽へ行けるようにその御手を差し伸べてください。

 我が家(妻と私の老夫婦だけ)では「芸能人格付けチェック」を見ようと、早めにお節料理を茶の間の炬燵の上に並べていたところ、テレビに「地震速報、能登沖でM6.5」のテロップが流れました。(後でM7.6に訂正されたようです)
 60年前、結婚したての私たちは新潟市に住んでいて、マグニチュード6.5の新潟地震に襲われたので、「これは、新潟地震と同じ規模だぞ」と言っていると、間もなく我が家がガタガタ揺れ始め、屋外へ逃げ出そうとしたのですが、グラグラと大きな揺れが来て立っていられなくなって、二人で炬燵にしがみついていました。
 妙高市は震度5強で、我が家では棚の上の置物がいくつか落ちて壊れ、二階の本棚が一つ倒れて本が散乱しただけの被害で助かりました。
 

 
 
 

 
 




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