花咲く丘の高校生

平成時代の高校の授業風景を紹介したり、演歌の歌詞などを英語にしてみたり。

学校スキー余談

2024-02-15 | 学校教育
学校スキー余談 2012年
2月14日(火)高校2年生の授業で
「ゆ~先生も、明日の学校スキーに行こうよ」と生徒に誘われた。
「いや~、講師は行けないんだよ。引率資格がないんだ」と断った。
スキーは普通の生徒よりもずっと上手い私だが、ここ3年は一度もスキーをしていない。
ゲレンデには危険なボーダーが多いし、一緒に滑っていた孫たちは大きくなってしまった。それに、いつの間にかスキー板が、短いカービングスキー板になってしまったので、180㎝もある私の板ではどうも体裁が悪くて、精彩が上がらない。
「先生、明日は授業が無いんでしょう?だったら、僕たちが校長先生に陳情してあげるからさ、一緒に滑ろうよ」
 実は、明日の天候は大荒れの予報なのだが、こうまで言ってくれる生徒の誘いに、ついその気になってしまった。
 教頭と体育主任に話したら快く承諾してくれて、引率者用のジャケットまで貸してもらった。
キューピットバレーのゲレンデを、4人乗りのゴンドラで1180メートルの菱ケ岳山頂まで上った。霰が顔に突き刺さってくる。しかも、視界はほとんどゼロ。
私にとって、このゲレンデは初めてなのだが、生徒は慣れたものでスイスイ滑っていく。
雪の吹き溜まりがある凍てついた急斜面をパラレルで滑り下りるのは相当に高度な技術なのだが、生徒たちは軽々と滑走していく。私もコースを見失わないように、彼らのすぐ後ろに付いて滑っていく。スキーのエッジがアイスバーンを確実に捉えている。
アイスバーンを削っていくエッジの感覚を久しぶりに味わうことが出来て、少し若返ったような気分になった。

現役のときは毎年、生徒を引率して学校スキーに行っていた。その頃はスキー部の選手を除けば、私よりも上手く滑れる生徒はいなかったのに、この学校の生徒は揃いもそろって何でこんなに上手いの?・・・
答えは、カービングスキー板にあった。
翌朝、職員室でこの話をしたところ、体育主任が曰く、
「カービングスキーは、いわば、ターボエンジンをつけたオートマチック車ですよ。ギヤチェンジなしで曲がれるし、コーナリングも優れている。脳が命じるままに板が動いてくれますよ」
「そうなんですか。いやあ、カービングスキーを馬鹿にしていた私が恥ずかしいです」
・・・それにしても、長年かけて培った私のエッジング技術はいったい何だったのか。少し虚しくなった。




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彼は淡々と頑張った

2023-08-05 | 学校教育
マラソンの畔上和弥選手

2024パリ五輪のマラソン代表選手選考レースMGCファイナリストに、私の母校新潟県妙高高原中学校出身の畔上和弥選手(トヨタ自動車)が選ばれた。
感動的だった彼のインタビューを紹介します
インタビュアー「MGC出場おめでとうございます。目標をお聞かせください」
畔上選手「代表獲得です。自分としてはあまり華がない選手だと思っているので、僕でできることは他の人でもできるという勇気をあたえられると思うので、チャレンジャーの身でしっかり狙って自分のベストパフォーマンスができたらいいなと思っています」

10年前, 私は上越市の関根学園高校で一年間英語の非常勤講師をした。
たまたま受け持った2年生のクラスに畔上君がいた。
騒々しすぎるほど活発なクラスの中で、畔上君はひとり黙々とノートをとっていた。彼が駅伝の有望選手だと知らなければ、私は彼の名前を記憶に残していなかったかも知れない。

帝京大学に行った畔上選手は、1年生から箱根駅伝に出ていて、3年・4年次は花の2区を走った。
私は、和弥君の雄姿を見ようと毎年箱根駅伝をテレビで観戦していたのだが、彼はいつも10位前後を走っていたので名前は出ても姿はあまり映らなかった。

畔上選手は中学校時代にはクロスカントリースキーをやっていた。当時のクロカンの恩師小林辰男、現妙高高原中学校長の談話:彼は苦しさを表に出さない子だった。厳しい練習の中で気象条件がどんなに変わっても言いつけ通りに淡々と頑張っていた芯の強い子でした。
畔上和弥選手の談話:中1のとき小林先生に教えてもらっている時は本当にきつくて、アルペンスキーのスキー場を逆走してリフトの終点まで行け、って言われて、それで「まじか?」と思いました。それで苦しい中でも頑張るっていう経験ができたのが、今実業団で陸上できていることに繋がっていると思います」

2023MGCは10月15日に東京で開催されます。 畔上和弥選手、頑張れ‼ 
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津波のトラウマを解いてくれた一冊の本

2023-07-08 | 学校教育
平成29年3月に寄せられた気仙沼市に住んでいる女子中学生の感想です。


私は、小学生の時に東日本大震災にで被災した気仙沼の中学生です。大津波の恐怖が抜けず、中学生になっても思うように勉強ができないでいました。

 中3になった4月に偶然『花咲く丘の高校生』を読んだところ、私も高校に行きたいという気持ちが高まってきて勉強に集中できるようになり、おかげで第一志望の高校に入学することが出来ました。

 私も花咲く丘の高校生たちのような素敵な高校生になろうと思っています。
あれから7年が過ぎた。彼女はどうしているだろうか。

このブログのタイトルでもある『花咲く丘の高校生』は私(ゆ~)が平成28年に悠光堂より出版した随筆集です。
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ああ美しき汝がノート

2023-05-07 | 学校教育
   ああ美しき汝がノート

中間試験の前に生徒のノートを点検した。
 たいていの生徒は、実に美しいノートをとっている。文字がとても美しい。重点項目に引いてあるマーカーがとても美しい。私が黒板に殴り書きした文字や記号や線までが整然となって美しく書き込まれている。 
 彼らのノートを見ていると、私がとっても素晴らしい授業をしているような錯覚に陥る。たかがノートされどノートである
 美しいノートは芸術でもある。平凡な私の授業を素敵に演出してくれる芸術である。
 美しいノートは愛である授業に込めた教師の愛を、生徒が確実に受け止めた証(あかし)なのだ。
 そして私は結論づける。「美しいノートを創れる者は、人生をも美しく創造していく才能をもっているのだ』と。
 Those who can write beautifully in  their notebooks are sure to create their lives beautifully.(ゆ~)

『花咲く丘の高校生』ーあなたも高校生になってみませんかー(悠光堂)より
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史上最年少市長は「ノートの神様」だった

2023-04-29 | 学校教育
芦屋市長高島崚輔氏(26歳)
東大→ハーバード大→芦屋市長
産経新聞 YAHOO!Japanニュース(4月29日)より抜粋
灘中高時代 
高島氏は「ノートの神様」と呼ばれていた。文字や図形がきれいに整理され、教師の雑談まで書き込まれた充実のノートで、彼の授業ノートが秀才ぞろいの同級生の間で取り合いになったというエピソードがある。


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