城郭 長谷川博美 基本記録

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古戦場めぐり「観光」古戦場実地「見学」

2020-04-27 09:18:50 | 社会観察
城郭ビイスタ論 上文字クリック

古戦場めぐり「観光」古戦場実地「見学」
一般者
古戦場の土塁つまり土手を見て私は解りません!
長谷川
土塁を見たい人や砦を見たい人など世の中には
現実には誰一人も存在しないのですよ残念です。
▼土塁の前の純心な人々!東野山城★これはコロナと関係ない2019年のもの


長谷川
しかたなのない事です。城と言えば土+成=城で
城と言えば元来土の城が基本で原則なのですよ。
長谷川
例えば山城が好きな人は木戸跡や虎口が根本的
に解っておられる私は思っていたのですが虎口
を知らない。自分の会の先生が教えてくれない
と聞いた事がないと言われ、私は逆にショツク
を受けました。家で言えば玄関は知っている駅
で言えば改札口を知ってると当然思う訳ですよ。

長谷川
上記は立派な城です。しかし450年500年経過する
と真に歴史の経過として土塁/土手だけが残ります。
するとまあ、なんと味気のない自然の中に残る土の
凸凹や土手にしか見えないのが当然の至極の事です!

対談者
あの有名な賤ケ岳城だって石垣のない土の城ですよ!
▼土塁の中に立つ兵士▼秀吉の金の瓢箪の馬印

長谷川
この写真見ても一般様や城郭見学ベテランでも指導する
人がちやんと虎口です!木戸の跡ですと教えないと全く
意味をなさない。ただの山中の凸凹としてしか見ない物。
対談者
長谷川先生に木戸跡も土橋も学びました。だからこそ
佐目の城跡でも、木戸跡や堀切が良くわかりましたよ。
佐目の城跡に行って何が何だか解らなかった人はもう
土の城の根本である堀切を勉強してない。家で言うと
玄関!駅で言うと改札口。高速道路で言うと料金所。
工場で言うと守衛さんや門の事もしらない事。寺で
言うなら山門から入らずに庭から乱入する事と同じ!

対談者
貴方の古戦場めぐりは古戦場石碑めぐりや案内板
めぐりですよね?私は古戦場の城塁見学していま
す。近年作られた看板石碑見て私には意味ない事。
私は450年前の戦場の現場を見学に来てるんです。
対談者
私達偏屈でも変わり者でもありません。寺に行って
山門から入る。駅に行って改札を通る。城跡に行っ
て虎口から入る土塁と土塁の切れ目虎口にワクワク。

対談者
450年前の世界を見学にきています。現実の世界を!

対談者
450年前の戦国の現実の世界を見学に来ています!
対談者
塹壕や木戸跡や城塁を見学に行っているんです。
対談者
塹壕や木戸跡を城塁を見学にきているんです。

一般者
現場に行くと恐くないですか?
長谷川
戦争が嫌いです。恐いです!戦争の跡は恐怖感があります。

長谷川 上記の場所
余りにも生々しく堀切や土橋が残っていて恐いのです。
堀切や砦を計測して図面化すると戦国時は恐怖の世界。

一般者
堀切や木戸は駅の改札口や高速道路料金所と同じか?
長谷川
堀切や木戸は古戦場や城郭では現代の駅で言う改札
に相当致します。ですから是は歴史の証人と言える。
古戦場や古城を判断する為の学門的なメルクマール
「指標」と言えるもの。駅で言え、改札口を通らず
に駅の取材したり、駅の事を語る事は空論の絵空事。

対談者
でもこのように古戦場の木戸や堀切を発見して我々
素人に解説してもらうとこの写真の土手つまり土塁
が生々しく現実の古戦場の木戸としてイメージ可能!

見学者


対談者
実際の記録には土手を築いた記録ありますか?

長谷川
『佐久間軍記』賤ケ岳の戦いに記録されてます。
保田久六「佐久間安政」の土手を築いた記録です。
長谷川
 備「そなえ」陣営の前に土手「土塁」を築き
矢配りす。つまり土手と射手の配置した事です。
▲備「そなえ」とは陣営の事、土手とは土塁の事つまり
土塁と堀切の事なのです。是が古戦場の現実と言う事です。


長谷川
保田久六とは?佐久間安政「佐久間盛政の弟」の事。
以下はウッイキペデイアのから引用致します。

弘治元年(1555年)、織田氏の武将・佐久間盛次の次男と
して誕生。 はじめ紀伊・河内両国守護畠山氏の家臣・保田
知宗の婿養子となり保田久六を名乗る。後に久右衛門と改め
る。 畠山氏没落後は養父、兄や弟と共に織田信長に仕えた。
最初は佐久間信盛に属し石山本願寺攻めに参加、後に柴田勝家
に属した。信長の死後に起きた賤ヶ岳の戦いでは、一族や養
父と共に佐久間盛政隊に加わり余呉湖周辺で繰り広げられた
中川清秀との戦いで先鋒を務めた。佐久間隊は敢闘し清秀を
討ち取ったものの、美濃大返しにより半日で立ち戻った羽柴
本軍(賤ヶ岳の七本槍)の猛攻と、友軍の前田利家が戦線離脱
したことにより形勢が逆転、合戦全体で柴田軍は羽柴秀吉(
豊臣秀吉)に敗北した。実兄の盛政は捕縛されのち刑死、養父
の保田知宗は討ち死にした。勝家の自決後、安政と勝之の兄弟
は紀州の保田氏の領地へ落ち延びた。

一般様
私は古戦場めぐりが趣味なんです。観光です。

長谷川
健康的で良い趣味をお持ちです。楽しいです。

一般様
私は古戦場や合戦談には詳しい古戦場通です。

一般様
 この間もある古戦場に行って実際のA陣地、
B陣地、C陣地、D陣地を巡って石碑写真も
旅の思い出の目印や記念として撮影し満足です。
そして古戦場石碑を撮影し満足です!どうです?
今度、私A、B、C、D、陣地をガイドします。
対談者
 貴方は駅に行く時に必ず改札を通られます。当時の
陣地は現代の駅と同じで堀切や木戸があります。私は
純心なので戦場に作られた
A武将陣跡石碑
B武将陣跡石碑
C武将陣跡石碑
D武将陣跡石碑
の石碑には興味が全くありません!遠い遠い所から
高い高い交通費や宿泊費を費やしても現実の古戦場
を見聞廻った事にはなりません。作り物のフエイク!

長谷川
いやいや、古戦場めぐりの人にとっては現実や実際
の遺跡が目的ではないのです。古戦場の雰囲気の旗
や土産物屋さん名店名物楽しむ総合観光行楽が目的。

対談者
現在日本に古戦場を訪れる古戦場めぐりや、探訪の
人は紳士靴やハイヒールの人で観光ですから大多数
です。でもよくよく考えると当時の戦場や砦や番所
は意図的に足場の悪い敵を寄せ付けない場所にある
のが常識。悠長で生半可な事で古戦場の現実です。


対談者
現代駅に行く時に必ず改札を通られます。これと同じ
ように実際の古戦場の改札とは現実現場とは是ですよ。

A武将現実布陣堀切
B武将現実布陣堀切
C武将現実布陣堀切
D武将現実布陣堀切

を実際の古戦場を戦いの現場を戦国の改札口を
見聞、現地見学するにはスカートにハイヒール
紳士靴にスーツでは全く通用しないと思います。
実際の堀切木戸跡こそ、戦国の改札口なのです。

一般者
そんなマニアックな古戦場の堀切など誰が見る?
そんなの古戦場めぐりや歴史観光とは関係ない!

対談者
堀切を見る私がマニアック「偏執」ですか?
駅に行って改札を通る事は偏執?普通の事でしよう!
古戦場に行き陣地の堀切を見て変人だと言わないで!
それは横断歩道を一時停止して渡る事や踏切で一時
停止して信号に従う事が至極普通の事だと思います!
貴方は古戦場めぐりと称して現実実際の陣跡に行って
ません!現代で言うならば踏切のない鉄道を渡る様な
無謀無茶ではないの?一体古戦場めぐりって何ですか?

長谷川
両者様は観光志向と現実志向に明確に価値観が
分かれております。大衆とはポプユリズム普及
性、現実実際の古戦場の堀切や陣跡を見たいと
思う本物志向では元来ないです。観光娯楽行楽
の原則を踏まえて観光業や観光振興事業を展開し
おられる事を熟知しておく事です。人間の快楽
原則、憩いや、気分転換、名物を食べ飲酒しな
がら行楽を満喫する事を前提に産業や町の振興
や観光地としての発展に期待するのが観光行楽。

対談者
でもね!歴史講演で
A武将陣跡石碑
B武将陣跡石碑
C武将陣跡石碑
D武将陣跡石碑
が本当の歴史の現場だと言われたら私はニセ
歴史を聞かされた事になる。私の真実一路の
精神、つまり私は自分の心には嘘が付けない。
長谷川
まあ10万人に1人でも現実の古戦場の堀切を
戦国の改札口の木戸を理解される人が現れる
事を希望いたします。バードウオッチングの
様に自然観察会の様に、山行きの人が机上の
歴史ではない、現実歴史の足跡に、気付く事
を期待致します。木戸跡があれば大きな陣も
残ってる。それが現実で当然と言うものです。
▲この写真や
この陣地の木戸跡堀切図には続きがある。途方もない陣跡が!
長谷川
現実って恐いんですよ!真実って恐ろしい事なのです!
真実や現実を実際に見ようとする人は全く居ない現実!
この場所が一体どこなのか安易に公表できない重さも!
真実や現実を公表できない事も暗い浮世の現実です。
現代では「踏切」を渡るのが常識です。
合戦や古城で「堀切」を渡るのが常識。
現代では「堀切」を見て感動し馬鹿者あつかいです。
もっと純粋に古戦場を見る真面目な心が欲しいです。
長谷川
是非とも雄大な奥琵琶湖の景観も併せて楽しんで下さい。

一般者
うわあ~土塁よりこっちの景色が良いわ!
長谷川
世の中に土塁や堀切を見る人は居ません!
紙に書かれた文字歴史
地面に残る。現実歴史
世の中に様々な考への
人が居られます。冷静に
社会観察を致しましょう。
また
皆様と真実の歴史現場に行きましょう!
コメント (2)
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