地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

東急3450形鉄コレ熱烈歓迎・35年前画像

2019-08-16 12:05:00 | 懐かし画像


 本日から3日間、お台場にて開催されている「国際鉄道模型コンベンション (JAM)」会場の、総合車両電車市場ブースにおいて、衝撃的な発表があったようです。何と……来年の東急事業者限定鉄コレは、スーパーヲッサンキラーの超超超大本命である3450形で攻めて来るとな……?!
 これはもう勿論、心の底からお布施させて頂く予定ですが、3450形という究極の領域に鉄コレが踏み込んでしまう以上、これはもう全50両を出して頂かなければなりますまい。日車・川車・貫通・非貫通・両運・片運・幌の有無・アンチクライマー形状の如何・幕か差しサボか、といったかたちで、ありとあらゆるバリエーションがあり、一両一両が個性の塊といっても過言ではないのですから!!



 というわけで、たまたま自宅で仕事の山をショボショボとこなしていた折も折、約35年前の中坊時代に撮影したモノクロフィルムを取り出して、当ブログ未公開画像のコマをライトボックスにかざし、iPhoneで超お手軽スキャンをしてみました。最終的に600×400ピクセルの画像を得る程度であれば、最新iPhoneでも結構イケますな……何という技術の進歩!
 しかし哀しい哉、当時は本当に貧乏中高坊で、なけなしの小遣いでフィルムを買い、ごくたまに釣掛式電車を撮っていたもので、辛うじてまともに (?) 撮れた画像のストックが尽きようとしています。しかも、個人的にはアンチクライマーが付いてゴツい日車製の方が一層お気に入りなのですが、こうしてごく稀に訪れたときに限って、川車製の車両が多数運用に入っており、雪が谷で昼寝をしている日車製の初期車を怨めしく眺めたものです……(^^;)。ゆえに、今回の画像はどちらも川車製後期の貫通バージョンですが、幌の有無・幕か差しサボか・尾灯が埋め込みかガイコツか、という違いだけでも相当個性が異なるのが一目瞭然かと存じます。
 何はともあれ、是非今後、全ての形態を鉄コレで網羅して頂き、さらには緑バージョンだけでなく紺黄バージョン・デワ3043……と、ヲッサン・ジジイマニアを唸らせて頂きたいものです。

600万アクセス御礼・北陸鉄道3740形

2017-03-28 00:16:00 | 懐かし画像


 いつも当ブログをご覧頂き誠にありがとうございます m(_ _)m
 このたび当ブログは600万アクセスの大台に達しました。既に世の中における趣味情報の共有は顔本やツイッターの類に移り、ブログは時代遅れの感が強まりつつある今日この頃ですが、私自身は前二者には面倒臭さを感じてやっておらず、書きっぱなしのブログにある種の安堵感を抱く今日この頃です。大変遺憾ながら、年々多忙の度が強まることにより、更新頻度も「基本的に毎日更新」を保てなくなって久しいですが、それでも一定数の方がこのような個人的趣味活動&思い入れのブログを楽しみにして下さっていることには感謝の念に堪えません。今後も、時間的余裕の許す限りなるべく更新して参りますので、引き続きお楽しみ頂ければ幸いです。
 そこで記念の懐かし画像としまして、600万にちなんで600V車の手持ちカットの中から、北陸鉄道石川総線の3740形をお手軽スキャンしてみました。



 今でこそ東急7000系 (下回りは異なりますが) や京王3000系といったオールステンレス車で占められている北陸鉄道は、かつてオリジナル車や名鉄の中古で占められ、車種的にみてそれはそれは複雑怪奇で魅力的な世界でありましたが、このうち名鉄3300形を譲り受けた3770形につきましては以前350万アクセスに際してアップしていますので、今回は名鉄900形を譲り受けた3740形です。名鉄900形といえば、現在の河和線である知多鉄道の目玉車両910形として登場し、名鉄に戦時合併されたのちはロングシート化され、さらには電装解除にまで至りク2330形と改番されたものの、昭和40年に600V用車両として再電装され、間もなく瀬戸線の特急用として君臨するようになったということで、言わば流転と伝説の車両と言えましょう。その瀬戸線が昇圧と栄町乗り入れを果たしたことで廃車となった後は、計4両が北鉄石川総線に移り、転換クロスシートもそのままに石川総線の目玉車両として君臨するようになりましたが、ついに東急7000系に押されて廃車となったのは1990年ということで、製造から59年という長寿を全うしたことになります。
 名鉄の旧型車にぞっこんであった中坊・高坊であった頃、北鉄石川線を訪ねたのは、まさにそんな名鉄の中古である3770・3740形に惹かれてのことでしたが、3770形は車内がニス塗りであったのに対し、3740形はさすが瀬戸線特急用であっただけにペンキが上塗りされ、「何だ、イマイチつまんねーの」ということで二の次気味であったのを思い出します。実際には、3740形も乗ってみれば老朽化が著しく、ギシギシきしみながら激しく揺れるなど、余りにもシブい古武士そのものな戦前形電車の魅力にあふれていましたので、二の次扱いとは何という贅沢な時代でしょうか……(滝汗)。
 なお今回の画像は、たまたまキレイに撮れていたのが3744号車であるという理由で、2枚とも3744の画像となっていますが、下の画像は検査上がり間もない姿で、戸袋窓がHゴム支持に改められています。
 そんな3770・3740形といった名鉄の戦前製中古が走っていた時代も既に遠く去り、今や東急7000系も北鉄入線から四半世紀を軽く超えてしまったとは……時間の流れは本当に早いものです。もしかすると、そろそろ7000系の置き換えも視野に入って来る頃合かとも思われますので、こんな感じでステンレスカー以前のカオスを思い出してみるのも悪くはないでしょう。そこで、こんなタイミングだからこそ、北陸鉄道旧型車の体系的な鉄コレ化を激しく希望します……。この3740形を出せば、自ずと名鉄の900形も鉄コレ化するのは容易ですし♪

500万アクセス御礼・上田交通旧型車紳士録

2015-04-24 00:00:00 | 懐かし画像


 モハ5253。中塩田で折り返し待ちの間ひたすら戯れました……。



 モハ5371。元小田急車体ゆえ、個人的に5250よりもお気に入りかも。



 モハ5260。車内は非ニス塗りでイマイチでしたが、デカパンが魅力。



 モハ5270。5260と同じく元長電。稼働シーンは見たことなし……。

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 いつも当ブログをご覧頂き誠にありがとうございます m(_ _)m
 このたび当ブログは500万アクセスの大台に達しました。何となく備忘録を兼ねてブログを始めた当初は想像すらしなかった途方もない数字に、ただただ呆然とするのみでございます……。ここに至るまでは曲折もありましたが、まぁあくまで備忘録・個人的な撮り鉄の感想ということで、一切気負わずにやって来たからこそ、いつの間にか長続きしたのだろうと存じます。そして今後も、果たして何時まで続くか分かりませんが、あくまでこのスタンスのまま、画像と思い入れのみの雑文を載せて参りますので、お手空きの折りにご笑覧頂ければ幸いです。m(_ _)m

 というわけで、恒例の節目記念画像ですが、今回はこれまでも度々掲載しておりました上田交通昇圧前画像のうち、主力電動車の紳士録的なものにしてみました。
 最近、富技様におかれましては、鉄コレ10周年を記念する新製品を現在構想中云々という大本営発表をされました。そこでひそかに思うに、鉄コレの本義はマニアックでニッチな車両をお手頃価格でお手許に……という点にあると考えますので、その精神を体現した10周年記念品として是非是非何卒、《1986年の上田交通詰め合わせ・電動車フルコンプセット》(これに制御車も加わればなお良し!) をリリースして頂ければ、哀しい四十路のローカル電車ヲタのはしくれとしましては、鼻血失血多量興奮死モノのウルトラスーパー感動なのでございます……(^^;)。勿論、実際にはどのような企画となるのか知る由もありませんが、へっぽこ末端ユーザーが超妄想を自ブログで垂れ流すのもまた自由ということで悪しからず……(笑)。

 ちなみに、上田原での撮影にあたっては、事前に電車区事務所に挨拶し、記帳して許可を頂いております。かくも貴重なオールドタイマーが昇圧で全て廃車になるという衝撃的瞬間が約1ヶ月後に迫る……というタイミングでしたが、この日見かけた同好の士は他に2~3名ほどしかなく、上田原・中塩田・別所温泉のいずれでも超♪独♪占♪まったり撮影でした……(遠い目)。今このような電車がこぞって引退ということになれば、間違いなく大混乱寸前で、車庫はおろかホームでの撮影も厳しい情勢となることでしょう……。いや確か、野上電鉄の最後がそうであったと側聞しますが(90年代、私は非鉄)、上田旧型時代の最後から野上電鉄の最後までの約8年間の間に、世の中何が一体どうなってヲタ殺到ということになったのか……?

ブログ開設10周年記念・富士急5700系

2014-10-28 00:00:00 | 懐かし画像


 いつも当ブログをご覧頂き誠にありがとうございます m(_ _)m
 このたび、当ブログは「おまけ鉄ブログ」という名前でスタートして以来10周年の節目を迎えました。当初は、それこそごく限られた知り合いだけにお楽しみ頂ければ良いという程度の、まさにネットの海の中のおまけのおまけであり、いつでも飽きたら終了~というものに過ぎませんでしたが、改名してダラダラとアップを続けているうちに、いつの間にか約3000の記事と膨大な量のテキスト・画像を納めるトンデモな規模となってしまいました。そして、全く宣伝をしないにもかかわらず、いつの間にか多くの方にご覧頂いており、貴重なお時間をこのような超個人的備忘録ブログのためにお使い頂いているとは、誠に恐縮の至りでございます。
 とはいえ、こうしてご覧頂いている方々がおられるからこそ、表の世界ではヘタレな私でも、おだてられて木に登るかのような気分で更新に努め続けることが出来、かくも大きな節目を迎えることが出来たのだろうと存じます。そして、ヘタレながらも曲がりなりにもブログをやってきたことにより、多くの出会いもございました。極めてシャイで甲斐性なしな私でも、このブログをやっていること自体が今やヲタ活動における名刺代わりとなって、かなり助けられて来ました (笑)。



 というわけで、この10年間で私自身も確実にヲッサンの度を深め、怪社でもいろいろ任される仕事が増えてしまい、余りヲタ活動に注ぐ時間がなくなってしまった昨今ではございますが、ネタが続く限り、休載日が増えるもののマイペースで更新して行く所存ですので(←こう言ってみることだけなら簡単 ^^;)、引き続き余程お暇な折にお楽しみ頂ければ幸いです。m(_ _)m
 なお、ブログ開設10周年を記念して、何か特別なことをするつもりは全くございません (滝汗)。一般的には、このような特別な節目においてはパーティー・宴会の類を開いたり、あるいはネット時代のアクティブな活動としてオフ会イベントを挙行するのが習わしというものでしょう。しかし……私自身の趣味活動におけるモットーと申しますか原則は、「のんびり・まったり・ひっそりと」でございます。撮り鉄するにしても出来るだけ目立たず、余程行きたいと思った私鉄がらみのイベントでない限り、人が少ない時と場所を選んでおりますし、模型ネタにしても多くの方々の共感とはほど遠い、激濃ハードコアでマニアックな車両の製作に沈没することもしばしばであることは御覧の通りです。むしろ、表の世界ではモテ度ゼロ&ドン引きキモヲタなヲッサンによって、こうしてブログが10年間更新されてきたことは、それ自体が一つのイベントであったのだとご理解下さい (笑)。

 さて当ブログでは、節目ごとのささやかなイベントとして80年代の懐かし画像を掘り起こすのが慣わしですので、今回は何にしようか……と迷ったのですが、正直困りました (滝汗)。そもそも中坊・高坊だった頃はフィルム代にも遠征代にも事欠き、シャッターを切りまくることが出来ないゆえに上達もせず、したがってロクなカットが残っていない……。しかも、僅かにマシなカットを節目ごとにアップし続けてきたところ、いよいよストックがヤバくなって参りました。
 そんな中、何とかイケそうだ……ということで、すがる思いで再発掘したのがこちら、元小田急2200系列改め富士急5700系です! 確か中2のとき、家族旅行で富士五湖近辺のどこかでキャンプをした際、ほんの少々時間をひねり出して撮影したものですが、以前所有していたフィルムスキャナではロクに上手くスキャン出来ず、「嗚呼……フィルムが激しく劣化してしまったのか」と諦めておりました。しかし!最近マイブーム(?)となっているマクロレンズ利用のお手軽スキャンを祈るような気持ちで試みたところ、あ~ら不思議♪ いろいろレタッチにレタッチを重ねてやらなければならないにせよ、一応見られなくもない程度に懐かしい情景が甦って来たではありませんか!! 
 但し当時は半鋼製釣掛式電車大好き少年でしたので、「何で7000形(元国鉄17m車)や5200形(元小田急1900形)、そして富士急オリジナルの3600形が消えちまったんだよぉ……。この旅行の少し前まで走っていたのに……」とブツクサ文句を垂れながら、ついこの間まで自宅近くの江ノ島線でジャンジャン走っていた2200系列に「お前らのせいでこうなっちまったんだ!」と極めて冷たい態度をとりつつ、でも目の前に存在しているためとりあえず撮影した……という次第。しかし今こうして眺めてみますと、初期カルダン駆動車に対してとっていたそのような無礼千万な態度が如何に近視眼的であるか……ということが痛切に感じられ、当時の自分に「この世間知らずの○ソガキ!もっと真面目に撮らぬか○鹿者!」と叱り飛ばしてやりたい気分です (いやホントマジで ^^;)。
 今や本家小田急から失われてしまった小田急顔の中型車が、時速100kmで江ノ島線の直線区間をブッ飛ばしていたあの頃。ただただ、とにかく懐かしい……。
 そこで小田急様、鉄コレ2200系列の続編として、是非是非2300形と2320形を宜しくお願い申し上げます!! そして富士急バージョンも激しく希望……(笑)。

450万アクセス御礼・30年前の東急3450形

2014-05-29 00:00:00 | 懐かし画像


 いつも当ブログをお楽しみ頂き誠にありがとうございます m(_ _)m
 このたび当ブログは、450万アクセスの大台に到達いたしました。何せ多忙の中で自分を慰めるための自己満足ブログですので、常にいつまで続くか分からない状態なのですが (汗)、折角ですので少なくとも、この秋にめぐって来る開設10周年、そして近い将来に達するであろう500万アクセスの節目までは頑張ってみようかな、と思っているところです。というわけで、お楽しみ頂いている方々には引き続き何卒お引き立てのほど宜しくお願い申し上げます m(_ _)m
 そこで例によって、節目には懐かし画像を……と思ったのですが、何せ中坊・高坊だった頃に撮影した写真はヘタクソなものが多く、しかも以前所有していたフィルムスキャナではうまくスキャン出来ないカットも多々あり、ネタ切れの危機を強く感じておりました。しかし、最近すっかり安直に染まってしまった《マクロレンズ+ライトボックスによる接写》という超お手軽スキャンの方が、はるかに効率よく良質なスキャンを得られるようになりました。そして下手をすると、むかし写真屋でプリントしてもらったものよりも遥かに諧調がマシであることもあり、「何だ、意外と昔のカラーネガフィルムもポテンシャルがあるじゃないか」と驚くこともあります。そんなこんなで、救済に成功して今回アップ致しますのは、450万アクセスにちなんで東急3450形!



 既に3450形の懐かし画像は、一度モノクロでアップしたことがありますが (7年前……遠い目)、これは最初からモノクロフィルムで撮ったものですので、劣化云々を論じる必要は無し。これに対して、今回アップしたものはここ10数年来すっかり救済を諦めておりましたので、いやはや本当に嬉しいですね♪ これらはいずれも1984年の冬に撮影したものですが、今や時を経ること約30年、雪が谷大塚は既にステンレスカーのみとなって久しく、大岡山も地下に潜って久しく……これほど緑色の電車が当たり前のようにジャンジャン走っていた時代は一体何だったのだろうかとすら思います。とりわけこの後、7000系をVVVF化した7700系が大井町・目蒲線に投入されて、玉突きで残存釣掛車が総崩れになって行き、さらに目蒲線の分断によって、周知の通り雪が谷大塚持ちの池多摩線が7700・7600系の牙城となったわけですが、ついにこの度の1000系1500番台大量投入によって、改めて大きな歴史の節目が迫ろうとしています。その1000系1500番台が新7000系と同じく緑濃淡帯となり、グリーンの釣掛車のイメージを何となく復活・継承しているあたりは「いとをかし」と言うべきかも知れませんが、戦前の関東釣掛式電車の最高峰の一つと言って良い3450形を約四半世紀前に失い (デワ・デヤを除く)、そして今改めて本邦ステンレスカー史における偉大な記念碑的存在である7000→7700系を失おうとしているわけですから、世代交代は鉄道車両技術の進歩・重工業の振興のために仕方がないこととはいえ、やはり趣味的には寂しいことですね……。
 というわけで、今後も引き続き時間の許す限り、シブさが光る鉄道車両の栄枯盛衰を静かに見つめて行きたいものですが、嗚呼そういえば……最近ちっとも池多摩線にも行けてなかったりします (鬱)。車体ではなく線路の緑化がそろそろ絶頂に達する頃でしょうから (笑)、7700・7600系を撮るにしろ、1000系1500番台を撮るにしろ、一番の旬ではあるのですが……。