地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

名古屋あおなみ線の1000形を撮る

2018-03-19 00:00:00 | 都市民鉄 (中京圏)


 最近日車から豊橋港へと陸送されたジャカルタMRT車両の第一陣を眼にして、斬新でカッコ良い!とは思ったものの、一方で何となく既視感を覚えたのも事実です。そこで「さて、似たような雰囲気の電車がなかったか?」と足りない脳味噌を絞ってみたところ、そういえば……あおなみ線の1000形が似ています (え……私の眼は節穴ですか?スミマセン ^^;)。そもそも日車製という点で共通ですし、ジャカルタの関係者が様々な既存日本車各種のデザインファイルをパラパラ眺めながら「あおなみ線bagus!」と思ったのかも知れません。あ、勿論、何となく想像したに過ぎませんので悪しからず (^^;)。



 何はともあれ、久しぶりにあおなみ線の1000形が意識に登るようになったということは、まさに訪れどきなのだろう……ということで、開業直後に乗って以来非常に久しぶりにあおなみ線を訪れてみました。しかも、開業直後は貨物ターミナルに隣接した南荒子までしか乗っていませんので、何を今さらの金城ふ頭初到達です (^^;;)。
 そこで初めて知ったのは、貨物が来ない区間において撮りやすい駅が少なくないこと。下りと上りでそれぞれ1回ずつ下車して駅撮りしてみたのですが、どちらも第3編成で来たのは本当に偶然に過ぎません (滝汗)。
 それにしても、登場時にはやたらと椅子が硬くてチープな車内だと思ったこの電車も、いつの間にか他の路線で90〜00年代的デザインの車両や、もっと座り心地の悪い車両が増えたことから、「何〜んだ、フツーじゃん」と思った次第です。ただ、そのような感覚自体、平成の御代が約30年となって、余りにも多くの変化があったことの裏返しなのでしょう。
 あと、昔と比べて利用客が俄然増えたのは御同慶の限りですが、終点近くなると港湾地帯となり、金城ふ頭界隈の施設に向かう観光客がちらほら乗っている他はスカスカな車内になってしまうという点で、大都会のローカル線らしさを味わえます。非日常的で眺望絶佳な臨海空間を時速100kmで走るのは、本当に宜しいですね……(*^^*)。

美濃路歩き鉄 (7) 名鉄茶所検車区

2017-11-11 00:00:00 | 都市民鉄 (中京圏)


 名鉄有数の撮影名所である犬山橋界隈にて、めくるめく名鉄電車と犬山城の絶景を楽しんだあとは、宿場町の雰囲気を今に伝える鵜沼宿(鵜沼宿駅からは少々北になります)を見物し、あとはひたすら西へ西へ、各務原市を貫く国道21号線を歩き続けます。中山道の各務原市ゾーンは基本的にロードサイド的光景や工場・住宅街の連続で、誠に面白くなく……明るい時間に歩いても仕方がないため、各務原市役所近くのビジホを予約して、暗く涼しい時間帯に強行突破したのでした。途中、工場群に埋もれたかのようにひっそり佇む三柿野駅前を通ったことが最大の印象でしょうか (汗)。
 その翌朝、まだ暗いうちに宿を出発し、新加納・高田橋・切通といった駅の南側の宿場町を眺めながらガンガン進むと、朝6時頃に東海道線をくぐり、名鉄本線の茶所駅前踏切に到着しました。



 この踏切の先から岐阜駅の南にかけてが中山道の加納宿一帯となりますが、ここに踏み込む前に折角ですので、名鉄茶所検車区の北にある人道踏切に寄り道し、茶所に集う名鉄電車を眺めつつ朝食のパンをかじることにしました。
 ところが何と……今や茶所所属の電車は3200系や3500系(それぞれ二代目)といったVVVF車ばっかり! この世代の車両は、個人的に非鉄で名鉄への興味が薄れていた頃にいつの間にか増えていたという印象が強いため、「何だかなぁ〜」という感じの眺めです (汗)。
 そんな中、6時を過ぎれば本線を行く営業列車も増え、茶所で寝ていた車両たちも次々に出庫して行きます。というわけで、踏切上でアングルを少々考えているうちにすぐ踏切が鳴る……の繰り返し (^^;)。そしてテキトーにカメラを振っていると、こういうときに限って流し撮りがドンピシャで決まるという……(笑)。結局手持ちのパンを、踏切の上でのんびりと車庫を眺めながら食すというわけには行かなかったのでした。

美濃路歩き鉄 (6) 名鉄5000系

2017-11-08 09:02:00 | 都市民鉄 (中京圏)


 犬山橋の傍らで行き交う列車を手当たり次第に撮っていますと、どうしても2000・2200系といったセントレア世代の車両 (そういう表現ってあるのか?)、あるいは新3000番台のVVVF車両が多く出現します。AL車やHL車の時代は遠くに去りにけり……ということで、そんな最近の名鉄は頭の固い余所者ヲヤジにとってどうしても馴染みが薄く、自分だけが置き去りにされたまま、名鉄は何もかも変わった、という印象を抱かざるを得ません。とゆーか……最近は他のヲタの皆様や、鉄ヲタ&チャリヲタ街道驀進中な甥っ子(中3)の前で「名鉄AL」「名鉄HL」という単語を並べても「?」という反応をされることが多く、自分が中坊だった頃は寝ても覚めても『私鉄電車のアルバム』やRP誌名鉄増刊号をしゃぶるように眺め続けていたという経験が実は極めて特異で偏執ものであったことを思い知らされます (汗)。



 そんなことを、犬山橋の真下で逆巻く木曽川の流れとともにつらつら思いながら、数分ごとにいろいろ激写していたのですが、そこに5000系 (2代目) が姿を現すと、3150・3300系と近似な車体の「新型」であるにもかかわらず、思わず「キターッ!」と叫んで激写モードに入ってしまうのは何故でしょうか……。
 それは何よりも、この車両が機器流用で誕生したことによります。誰もが圧倒される存在感のパノスパ4連特別車は、特急営業施策の変更のため、まだまだ車齢は古くない段階で全車解体の憂き目に遭ってしまいましたが、界磁チョッパ制御の主要機器はまだまだ十分利用でき勿体ないということで、この5000系が生まれました。そこで走行音も自ずと、直流モーターのとても良い音がします☆ 最近は機器流用車というジャンルが年々減っている中、今後こういう組み合わせは結構貴重なものになるのかも知れません。
 また、栄光の高速・急行用SR車5000系(卵形ボディ)と同じ「5000」を名乗っているのもグッと来ます。車内インテリア的にみれば、初代の転クロと二代目のオールロングでは同列に論じられないかも知れませんが、名鉄3150・3300・5000系の座り心地と内装は上質で、これらが優等で来てもとくにハズれた気分にはなりませんし……。それでも、同じ5000番台なら5700系が来る方が良いですが (^^;)。
 何はともあれ、頻繁に名鉄に通った80年代・00年代とはすっかり様変わりしてしまった名鉄車両界にあって、5000系には是非今後も末永く「マニアックなキャラ」として活躍を続けて欲しいものです。


美濃路歩き鉄 (5) 名鉄1200系新色

2017-10-23 12:00:00 | 都市民鉄 (中京圏)


 美濃太田から中山道を歩き出すと、しばらくの間は木曽川に沿って進み、やがて険しい山肌が迫る日本ラインが現れます。なかなか見事な景観ですが、何故ここの川下りは無くなってしまったのでしょうか。一応最新版のJTB時刻表 (私はJTB派) の名古屋近郊地図を見てみますと、川下りルートは今でも太田橋から犬山橋まで存在することになっていますが、本文中に記載は一切ありません。
 そんな中、やがてJR高山線と並行するようになった中山道は、各務原市と坂祝町の境で西に折れ、線路と木曽川から離れて「うとう峠」を越えます。そしてついに、遠く鈴鹿山脈を望むようになってユルユルと下って行くと鵜沼宿に到着しますが、ここまで来た以上は自ずと足が新鵜沼駅・犬山橋界隈に向かってしまいます (笑)。しばらくの間、久しぶりの名鉄各種車両激写タイムです♪



 すると、御嵩界隈のような末端ワンマン区間とは異なり、新鵜沼止まりの犬山線列車と、犬山止まりの各務原線列車が交錯するところですので、次から次へと列車入れ食い状態!! 新鵜沼駅東の踏切から犬山橋の西詰のあいだの狭い範囲をちょこまかと動き回りながら、お気に入りの車両が来るごとにコーフンの連続でした (笑)。
 そのなかでもひときわテンションが上がったのが、1000系特別車2両と1200系一般車4両を組み合わせた6連のリニューアル新塗装バージョンです! この新塗装編成、正面から「パノラマSuper」という表記が消え、編成の総称も1200系となっていますが、それにしても新塗装がなかなか似合っていて宜しい♪ 下手をすると京急のパクリのようにも見えますが (^^;)、赤は名鉄スカーレットを保ち、白部分が広く、アクセントとしての銀色がグレードの高さをそこはかとなく引き立てているようにも思われますので、これは決してパクリではなく、1700系や2200系ともども名鉄一般車+特別車特急の新たなイメージを創出するものとして相応しいと言えましょう。
 それにしても、1000+1200系旧塗装あらため1200系新塗装へのリニューアル作業、想像以上に進んでいるようで、既に大部分の編成で終了しているような印象もあります。とゆーか単純に、新鵜沼駅前に着いたらちょうど旧塗装編成が発車してしまったため撮れず、その後やって来たのは全て新塗装だったからなのでありますが……(滝汗)。あるいは、発車して行くのを「ヤラレタ!」と思いつつ眺めていた旧塗装編成は、1000+1200系リニューアル工事進行中のあいだ辛うじて1編成が残っている1030+1230系 (7500系の機器流用車) だったりしたのかも知れません。

美濃路歩き鉄 (1) 名鉄御嵩6000系

2017-09-22 12:00:00 | 都市民鉄 (中京圏)


 これまでしばらく、恐らく不評な連載として「木曽路歩き鉄」をお送りして参りましたが、既に中山道歩き醒ヶ井駅に到達しております。そこで今後は、美濃国横断中に遭遇出来た車両の日常風景をちまちまとアップして参ります。
 中山道は大井宿 (恵那駅周辺) を出発しますと、やがて街の西外れ、中央高速が迫って来たあたりで踏切を渡り、下諏訪以来寄り添ってきた中央線とついにおさらばして「十三峠」と呼ばれる果てしないアップダウンの繰り返しに入ります。十三峠が終わったところに大湫 (おおくて) 宿が現れ、さらに「琵琶峠」を越えてしばらく進むと細久手 (ほそくて) 宿、その後は「御殿場」の激しいアップダウンなどなど……とにかく人口密度が低い里山の縦断が続き、うっかりリタイヤ出来ないという緊張を強いられます (コミバスを利用出来るところも1日に3~4本ですし)。それだけに、約30kmの寂しい山道を抜けて御嵩に出て来ると、「生きて帰って来た!」感はハンパなものではありません (笑)。
 そして、御嵩に着くということは、名鉄エリアにも歩いてたどり着いたということを意味しています☆ そこで、終点の御嵩からちょこっと西に歩いた御嵩口の界隈にて、大いなる喜びを以て6000系ワンマン車を激写しました♪ 



 御嵩駅は、宿場の街に何とか電車を突っ込ませるべく1面1線という非常に狭いレイアウトとなっていますが、その代わりに御嵩口駅は貨物の集散機能を担っていたようで、貨物ホームの残骸や草ボーボーの線路用地が放置されている中、スカーレットな6000系がゆっくりと入線して来る光景は、まさに侘び寂び以外の何者でもありません……。いっぽう、直線の田んぼゾーン (2枚目) では、結構凄まじく加速しておりビビリます (笑)。
 それにしても、地図をじっくり眺めてみますと、名鉄広見線の末端ワンマン区間は、事実上「御嵩町内路線」としか言い様のない路線なのですね……。朝夕こそそこそこ通勤通学客はいるでしょうが、日中は30分間隔で来るのが御の字といえるほど車内はスカスカ、沿線はのんびり田園……という風情です。新可児駅に犬山方面から入ってくる複線ですら、草が生え気味の木製枕木線路ということで、名鉄の広見線に対する熱意が感じられない中、廃止を免れて電車運転に戻った新可児~御嵩間も、少子化と人口減の御時世では、果たしていつどうなるか分かりません。御嵩町では危機感はもちろんあり、亜炭採掘の歴史にひっかけたB級グルメ「みたけとんちゃん」(ホルモン焼) も売り出して電車の集客も図っているようですが、果たして……? そんな、あれこれ去来する思いを抱きつつ、伏見宿の東で八百津線の廃線跡を横切り、美濃太田に向けてひたすら歩いたのでした。