地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

岩手乗物縦断 (15) IGR7000系@奥の嵐山

2020-03-31 01:25:00 | 地方民鉄 (東北)


 渋民、好摩、岩手川口と、北上川のそこそこ広い谷間を走ってジリジリと標高を上げてきたIGRの電車は、やがて両側から山が迫り谷も深くなるボトルネックに差しかかります。この一帯は、落葉樹に包まれた山肌に見事な松が混ざる非常に風光明媚なところで「奥の嵐山」と呼ばれており、実際に私も紅葉の季節に歩いてみると、天候不順ゆえ目の覚めるような紅葉とまでは行かなかったのは残念でしたが、まあ風流なひとときでした。ここを過ぎると沼宮内の盆地となり、徒歩1km少々でいわて沼宮内駅に着きますが、その直前に目の前の踏切が鳴り、晩秋色に包まれたS字カーブを行く沼宮内止まりの幕車と金太郎をゲット!



 その後の奥州街道は、新幹線とIGRとの立体交差を過ぎると沼宮内の宿場に入り(駅からかなり離れていますので岩手県北バスが便利で、駅と営業所の間を走る短距離線があるほどです)、しばらく線路から離れますが、再び東北新幹線をくぐる前に線路と合流し、やがて北緯40度の看板を過ぎて御堂駅に着きます。この駅は無人かと思いきや、他のIGRのそこそこ乗降がある駅と同じく、朝7時台から12時台まで嘱託の駅員が配置され、盛岡に出る客の便宜を図っています(午後〜夜は盛岡方面から戻って来る地元客ばかりですので、運転士が先頭のドアで切符を集めれば全く問題がなく無人となります)。
 そんな御堂駅、かつては奥中山越えの勾配がきつくなる手前にあり、待避用の中線を備える立派な駅ですが、今や停まる列車は2連のみ。晩秋の森に囲まれた駅に停まる新造車100番台を撮ったのち盛岡に戻り、翌朝の旧中山峠越えに備えたのでした。
 翌朝は、まず御堂駅で硬券入場券をゲットしたのち、しばらくIGRに沿って国道4号線を進むのですが、旧道との追分にさしかかる手前で、線路の勾配がいきなり(目視でも露骨に分かるほど)キツくなる地点が現れます。嗚呼……ここが、古来奥中山越えのSL機関士・機関助手を最も泣かせた魔の地点! 十分にスピードが出ず、やたらと負荷が重く、補機との呼吸が合っていなければ、ここでたちまち失速して空転の嵐となり、御堂まで逆戻り、または大幅な遅延で奥中山を越えることがしばしばであったとか……。そんな激闘の記録をどこかで読んだのを思い出しつつ、旧中山峠の高原を越えたのでした。


 奥の嵐山界隈をゆく金太郎。



 御堂〜奥中山高原間の、突然勾配がきつくなる魔のスポット。



 線路から離れ、北海道のような高原の中を進む。



 奥州街道最高地点(約490m)から望む岩手山。



 旧中山峠界隈の風景。
 谷底の十三本木峠からは時折、金太郎の絶叫が聞こえます。



 熊がいつ現れてもおかしくない森が広がります。



 小繋駅の南東にある谷あいの廃村を行く。



 IGRの線路に出て来ました。列車はしばらく来ないものと思い、これだけ撮って先を急ぎました。まさか、カシオペア貸切が20分後に来るとも知らずに……。

岩手乗物縦断 (11) IGR7000系その1

2020-03-15 20:03:00 | 地方民鉄 (東北)


 東北の旅・奥州街道の旅は、701系の帯色が変わるのに付き合う旅。新白河から一ノ関までは仙台緑赤、一ノ関から盛岡までは盛岡紫、そして盛岡から八戸まではIGRいわて銀河鉄道の紺黄、盛岡から青森までは青い森色と移り変わるわけですが、とりわけJRE区間が尽きて地方民鉄のIGRに突入すると、引き締まった雰囲気の帯色を目にするにつけ、街道歩きの気分もいっそう緊張感が高まります(何てったって、熊がウヨウヨいる山里に突っ込んで行きますので。笑)。



 そんなIGR所属車は、JRE・青い森で701系と呼ぶのとは一線を画し、IGR7000系を名乗っていますが、さらに大きく分けて、JRからの譲受車・ロングシートの0番台と、IGRとして新造したセミクロスの100番台 (トイレがJRE所属車の1500番台と同様) が在籍しています。残念ながら、昨年秋の奥州街道歩きでも、セミクロス車には乗っていないのですが……(^^;)。
 今回じっくりと徒歩鉄しながらIGR7000系と付き合って初めて気がついたのは、0番台・100番台を合わせても僅か7編成しか在籍していないこと!! 盛岡から目時まで非常に遠い (?) にもかかわらず、そしてラッシュアワーは盛岡口で結構な本数があるにもかかわらず、予備車を除けば僅か5〜6本でどうやって運用を回すのか?!とビックリ仰天ですが、実際に時刻表を仔細に眺めてみると、確かに超カツカツで回して間に合っていることが分かります。701系の凄まじい加減速と最高速度があってこそ、極めて機動的に運用を組むことが出来るのでしょう。701系は東北の鉄道に革命を起こしていたのだということを、今さらになってしみじみと痛感する次第です。
 そんな中、1枚目の画像のように、何と贅沢にも2連2本の4連が北上まで直通してしまうという運用もあるのですが、その穴をどうやって埋めているのか……答えは明らかですが、次回に続きます。

青い森鉄道・三戸ねこラッピング編成

2019-11-05 20:16:00 | 地方民鉄 (東北)


 先月、鉄コレの新製品として「青い森鉄道青い森701系・11ぴきのねこラッピング車」の発売が予告された際、本命とも言える現行標準色を差し置いて、何でこんなド派手なラッピング車をリリースするのか……マジ要らね」と思ったのは私だけではないでしょう (汗)。IGR・青い森区間の今昔をテーマとしておられる模型ヲタの方々が購入することを前提としたラインナップなのかも知れませんが……。(街おこしの一環としてこのようなラッピング車が走ることそのものは全く否定しません)



 ところがどっこい、そんな個人的に縁遠いはずの編成に、昨日乗ってしまいました (笑)。奥州街道歩きもついに盛岡を過ぎて岩手県北部に達したのですが、最後にたどり着いた小鳥谷から盛岡に戻るべく乗った電車がイキナリこれ!
 というわけで、IGR盛岡駅の頭端式ホームは何て撮りづらいのか!とブツブツ文句を言いつつも、「奥州街道歩きの区切り打ちのシメで乗った電車の鉄コレが出るとなったら、買わなきゃどうしようもないではないか……」と思い始めていたのでした。
 乗ったら欲しくなる。何とも恐ろしい趣味です……(滝汗)。
 ちなみに、IGR区間において、客が少ない時間帯の2両編成でありながら車掌が乗っている列車は、青い森編成である……ということが何となく分かりました。車内の運賃表示がIGR区間に対応していないためかも知れません。IGR編成は八戸以遠には行かないものの、青い森編成は盛岡にも来ますので、路線図が示す範囲はIGRより俄然長いのも面白い所です。


小繋〜小鳥谷間を歩いている途中、国道4号線の笹目子トンネルに入ろうとしたら……何で真っ昼間にこんな編成が走っているんだぁ〜っ!
しかも罐はローピンのEF81でした (滝汗)。
しかし突然すぎて間に合わず。
ま、これを撮りに行ったわけではなく、事前にウヤ情なども全く見ていませんので、しゃーない (笑)。

宮城乗物縦断 (13) 仙台地下鉄1000系

2019-11-01 00:24:00 | 地方民鉄 (東北)


 多忙の中で更新が滞っており大変恐れ入りますが、画像はそれなりにありますので、何とかアップを図って参ります。とりわけ、かねてからちまちまと「歩き鉄」してきた奥州街道・区切り打ちの旅につきましては、既に岩手県に達しているにもかかわらず、まだ宮城編が終わっていないという……(滝汗)。
 というわけで、仙台の中心街を後にして奥州街道を北上しますと、まずは青葉神社を経て仙山線の北仙台駅に達し、さらに往年の軽便鉄道・仙台鉄道沿いに北上することになりますが、しばらくの間は全く面白みのないニュータウンの大通りが続いて食傷します。それがようやく終わるのが、地下鉄八乙女駅の南西にある交差点であり、ここから旧街道は八乙女駅の真下を通って往年の七北田宿(泉中央駅の東1.5kmほど)に進みます。



 そこで、白石駅から1泊2日で歩いて来た旅を七北田宿・泉中央駅で切り上げた後は、帰りがけにちょこっと八乙女で下車し、先刻歩いたばかりの街道を見下ろしながら地下鉄南北線1000系を撮影しました。既にここで撮影したことがあり、車種も1000系だけですので、何ら新鮮味はないのかも知れませんが、まぁ記念ということで……。
 もっとも、1000系も登場から既に30年以上が経過しており、デザイン面でも確かに80年代の同世代の車両と結構近似ですね。そんなバブルの頃の雰囲気を伝える、通勤車なりに重厚さと「ナウ」さを備えた意匠がなかなか興味深いところです。とくに、丸みを帯びたドア窓とか、登場当時は東京メトロ6000・7000系と同じくキノコ型だった貫通部とか……(更新時に吹き抜けなスペースが狭められてもキノコデザインそのものは概ね残っています)。
 そろそろ世代交代という頃合かも知れませんが、次世代の車両は自ずとサスティナとかAトレとか、他社車両と共通コンセプトの車両になって行くのでしょう。そうなれば何となく寂しいものがありますね……。
 いっぽう、七北田界隈から北の奥州街道沿いは相当ニュータウン化が進んでおり、富谷市や大和町などが延伸を求めているようですが、富谷まではさておき吉岡(大和町)までは要るか?と、歩いていて正直思いました (関係者の皆様恐れ入ります ^^;)。それこそ、軽便鉄道改め普通の地方鉄道として仙台鉄道が存続していれば、ちょうど適正な輸送量が実現していたのかも知れません。

宮城乗物縦断 (10) 阿武急8100系@仙台

2019-08-25 12:00:00 | 地方民鉄 (東北)


 奥州街道を歩いて仙台という節目に着き、昔の仙台城下町の中心にあたる芭蕉の辻にある奥州街道の碑を撫でて感慨に耽ったあとは、打ち上げで駅前商店街の牛タン屋に入って口福の限りを感じ、後は新幹線に乗って帰るだけ……? 否、せっかく夕方の仙台駅は列車の出入りが頻繁である以上、指定席を確保した新幹線の時間が来るまで、駅撮りに興じなければなりません (笑)。



 その中でも、やはり圧倒的にレア感と存在感がある存在は、阿武急8100系ということになりますので、手ぐすね引いて「さて何番線に来るのやら……」と電光掲示に注目していたのですが、えええ……行き止まり式なのはさておいて、構造物の真下で暗い3番線発着とは……。それでも、HMが装着されていることもあり、このような機会を活かさないわけには行きません。手ブレ補正の力も借りて、何とかここまで撮れたのは、最近のデジカメの恩恵と言うべきでしょう。
 それにしても、扉の位置は違えども、かつての急行型電車の面影を何となく伝える車両が、東北の都・仙台から消えるのも間もなくです。その前にこうして記録できたのは、奥州街道・東北本線の古今を振り返る上で有意義なことでした。