地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ミャンマーLRBEの最期 (齋藤幹雄様画像)

2020-01-13 13:05:00 | 頂き物画像


 嗚呼……御用済みとなったLRBEがまとめて朽ちてゆく・・・



 灼熱のミャンマーに生まれ、ミャンマーの土に還りゆく・・・



 LRBEだけの固定数両編成なんてのも見てみたかったものです。



 本当に多種多様な形態が存在していました・・・

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 年始早々の東南アジア鉄事情は、パクアン急行様をはじめジャカルタ方面から伝えられる電化区間延伸計画と、それに伴う横須賀・総武線E217系のインドネシア輸出説(もちろん2階建てサロ込み)という、何とも派手な打ち上げ花火の可能性からスタートした感がありますが、他にも周知の通り、ヤンゴン環状線改良をはじめとするミャンマー国鉄のリノベーション、バーンスー新駅完成やレッドライン開通を控えたタイ国鉄のイメチェン、タイやマレーシアからの車両譲渡によるカンボジア鉄道の本格復活への足音、ベトナムでの地下鉄建設続行などなど、本当に様々なプロジェクトが進行中です。しかし、その裏では消えて行く車両もあり……そんな光景をとらえた画像を、RP誌の未来の主筆 (?)・齋藤幹雄様から頂きました。
 ミャンマーの軍事政権時代、車両導入費や線路整備費に事欠くの中での苦肉の策として、日本のトラックの部品とやっつけボディを組み合わせて誕生したLRBEは、日本から輸出された中古気動車にとって代わられてしまいましたが、そこで活躍の場を失ったLRBEは各地の車庫で朽ちつつも、一時期タラウォー支線(ヤンゴン=ピィ本線のレッパダンから分岐しタラウォーに至る)水害後の部分運行再開に伴い、状態の良いLRBEがかき集められて最後の活躍をしていました。しかし、全線運転再開でヤンゴンからの直通客レによる運行に戻ると、自ずとLRBEは完全余剰車となり、レッパダン駅構内で朽ちる一方となっているとのことです。
 今から約7年前に初訪緬した際に胸を躍らせたLRBEが、こうして熱帯の蔓草にまみれて朽ち果てて行くのは残念のひとことですが、これもまた仏教国ミャンマーらしく、諸行無常をしみじみと感じさせるものです。
 しかし……最後の最後まで、LRBEはピリリとした刺激を与えてくれることを忘れていないかのようです。何と……バゴーで見たLRBE25とは全然違う車両がLRBE25を名乗っている! (笑)
 齋藤様によりますと、LRBEは改番に次ぐ改番を重ねたようですが、まさか自分がバゴーで見た車両もその例に漏れなかったということで……(^^;;)。
 LRBE全車の形態・沿革と改番の歴史をたどる本が、たとえばRM LIBRARYか何かで出ないかなぁ〜と思うのですが(または、コミケで売られる薄い本でもOK)、まず永遠に無理でしょうか。そんな謎感がどこまでも付きまとうのも、このLRBEの魅力であったかと思います。
 斎藤様、どうもありがとうございました! さよなら、LRBE!

阿武急AB900系 (斎藤幹雄様撮影)

2019-08-09 00:00:00 | 頂き物画像


 ここのところ立て続けに仙台地区のE721系及びその派生車両をアップしていたところ、いつもお世話になっております鉄道雑誌界の大御所・斎藤幹雄様から、ちょうど阿武急AB900形を撮影されたとのことで、槻木駅での画像を有り難く頂きました。心よりお礼申し上げます! 既に通常の営業運転に入っており、現在はまだ1編成しかないことから、予想通りに今のところ阿武急線内で完結する運用に入っているとのことです。



 AB900形はご覧の通り、昭和末期的センスを今に伝える (?) 阿武隈川の流れをイメージした8100形のカラーリングを踏襲せず、側面は「A」を先頭部と連結部にラッピングであしらうのみとなっていますが、「A」が過度に自己主張しているわけではないため、全体としてみれば側面が銀色まっさらで面白いE721が現れたな、という印象です。車内はE721と同様、1両あたり8つのボックスシートがありますので、阿武隈川と福島盆地の風景を眺めたい向きにも文句は言わせない、といったところでしょうか。そして当面は、果たしてどの程度のペースで新旧交代が進むかですが、まぁ地元自治体の補助金が大きな存在感を見せることになるでようから、一年に一度、一回当たり2両程度というのがせいぜいでしょうか。

フィリピン国鉄203系 (斎藤幹雄様ご撮影)

2019-02-27 12:00:00 | 頂き物画像


 先日発売のRM誌に掲載されている斎藤幹雄様のミャンマー・レールバス取材記事をご紹介しようと思った矢先、その斎藤さんから何とも有り難いことに、今月の連休に訪問されたばかりのフィリピンの画像をお送り頂きまして、しかも当ブログでの掲載を快くお認め下さいましたので、緊急で (?) アップ致します~。
 JREでは今やVVVF化された205系5000番台すら減りつつありますので、201系も203系もいつの間にか過去の車両そのものになってしまったものだと痛感する今日この頃ですが、JRWのウグイス201系はあと半月少々もするとおおさか東線の主力車両として改めて注目を集めることを思うにつけ、結局タマ数が多くない203系の早々とした (?) 日本国内完全引退と地味な存在感は、何ともモヤモヤとするものがあります。
 そんな203系、周知の通りインドネシアとフィリピンに輸出されていますが、インドネシアの203系は何だかんだで良好な (?) 状態を保って現役であるのは、やはりインドネシアの技術力の相対的高さを物語ると言えましょう。これに対し、客車化されたフィリピンの203系の状況につきましては、年々状態が悪化しているのは否めないようです。



 渋滞を嫌って利用客が年々増えるにもかかわらず、車両面では逼迫しているフィリピン国鉄では、以前鳴り物入りで導入されたロテム製DCが、最早2扉3連では到底客を捌ききれず、しかも故障続発で大部分が離脱してしまったそうですが、それに代わって4扉5連ということで混雑緩和の切り札とされた203系も、車載発電機の故障をはじめいろいろと問題が生じ、斎藤さんのお話によりますと、約半数が離脱する中で何とか稼働4編成まで持ち直しているのが現状とのこと……。また、昨年12月には、トゥトゥバンで入換中のDLが203と接触してしまい、当該車はアルミボディがビリッと避けてしまうという不運で廃車となってしまったようです。
 というわけで、203系もINKA製の新型客車が大量に入るまでのつなぎ役で終わる可能性がありますが、現在離脱している編成の発電機やクーラーも何とか復活することで、少しでも長くマニラ都市圏輸送のために奮起して欲しいものです。
 斎藤さんによりますと最大の難点は、203系の離脱が相次いでいることそのものよりも、駅とその周辺での無許可撮影禁止が非常に徹底しており、許可証の発行もかなり条件が厳しくなっているという、撮影環境全般の悪化のようです……。ミンダナオ南部やスールー諸島などのムスリム自治区の話が進展し、テロの可能性って減っているのではなかったでしたっけ……? あるいは、現大統領が就任早々ブチ上げた麻薬マフィアとの全面対決がまだまだ続いており、鉄道インフラの厳戒を一層強める必要が生じているということでしょうか。
 いっぽう、キハ52や関鉄キハ350は総じて良好な状態を保っているようですが、キハ52はボックスシートの一部をロングシート化するなどしているようです。
 何はともあれ、貴重な画像をご提供下さった斎藤様には心よりお礼申し上げます! そのうちどこかの鉄道雑誌に掲載されるであろうレポートを楽しみに待ちたく存じます。


 この並び……「一人撮影会・大フィーバー」と呼ぶべきものですね……(*^^*)。



 
 キハ52の車内現状。何とも大胆にボックスシートを取り払っています (驚)。



 シブい斜光線の中に佇む203系客レ。


ジャカルタ2018・人と鉄道 (斎藤様画像)

2018-07-24 00:00:00 | 頂き物画像


 ジャカルタの電車シーンにおいて突如、紙の乗車券廃止・完全なるICカード (Commet) への移行が断行されてからはや数年。その後さらに技術面での進展が進み、Felica対応ではない初期のICカード (黒地に黄色でMのデザイン、そして今はなき東急8613F「Jalita」をもとにした電車マーク) の使用が停止されるとか。手持ちの初代ICカードにはまだ10万ルピアくらいチャージが残っている (はずの) 私はどうすれば良いのでしょう……(笑)。
 そんな、とにかく猛烈な勢いで物事が移り変わるジャカルタに、いつもお世話になっておりますRP誌未来の主筆 (?) 斉藤幹雄様が、先日何と5年ぶりに再訪され、5年もブランクがあったため何事も激変していて浦島太郎気分となられたとのこと。変化と言ってもこれまでは基本的に車両面が中心だったミャンマーに集中的に通われていると、インドネシアは超!先進国に思われたことでしょう……。



 その際のレポートは、今後雑誌や書籍を通じて広く流布されることになるのを楽しみにお待ち申し上げたいものですが、とりあえず、思いのほか撮っているヲタは少ないと思われる、人と電車が織りなす光景をどうぞお楽しみ下さい〜☆
 1カット目は、ラッシュアワーのマンガライ駅。2カット目は、ジャカルタ・コタ駅にて折返し中に勢揃いした乗務員諸氏とPKDの集合記念写真です。
 マンガライ駅は、一応乗り換え用の地下通路などといったものを建設し、確か既に完成しているはずですが、線路内横断や構内横断などに慣れきった人々が狭い地下通路に押し寄せても上手く流れるとは到底思えないわけで……。そんなカオスな情景が画面全体に溢れ出そうなほどです (^^;) 。いっぽう2カット目は、「KCIの電車を我々が日々動かして、ジャカルタの街を支えている」というプライドがビンビンに感じられると思います♪
 なお、どちらの画像も正式な許可証があり、通訳同行であることを申し添えます。 以上、斉藤様には心よりお礼申し上げます!

ピィンマナ機関区で眠るRBE (斎藤様画像)

2018-04-22 18:52:00 | 頂き物画像


 ミャンマーの鉄道事情は、まさにこの国の発展とともに慌ただしく変わっています。最近でいえば日本の援助によるヤンゴン環状線の全面リニューアルが始まり、一部単線として運行されているインセイン〜ダニンゴン間では列車の本数が大幅に減っているだけでなく、そのあおりもあってコンピュータ大学支線が運休に陥っているとか。うむむ……今年の3月はヤンゴン詣でを一年パスして正解だったかも知れません。
 その代わり、ヤンゴンではない地域でのRBEの動きは活発なようで、いつもお世話になっておりますRP誌準主筆 (?) の斎藤幹雄様から、先月のミャンマー遠征最新画像を頂きました! 今回は、外部の訪問をあまり受けないというピィンマナ機関区を特別に訪問され、中でゴロゴロしているRBEを激写されたようです♪



 このうち、元キハ52のRBE5017は、当面運用から外れて極めて悪い状態となっているようですが、この程度ならひょっとすると復活もあり得るのかも知れません。JREから追加で八戸線のキハ40系列を買うという話は全くない中、キハ40系列の廃車発生品をミャンマーでキハ52に移植する……などという無茶苦茶な話はさすがにないでしょうが (^^;)。いや、復活するとしたらRBT……?と一瞬思いましたが、この試みも結局短期間で終わってしまい、今ではRBT化されたRBEはミンゲあたりにまとめて放置されているとかいないとか。このキハ52は、やはりそのまま放置でしょうか……。
 いっぽう、のと・名鉄・松浦は当然のように重修理待ちでしょうか?? 日本では絶対にあり得なかった組み合わせも、今やすっかり板に付いたように思います。さすがに奥の東方紅21は復活しないのでしょう (大連製のメーターゲージ罐を買ってくる方が話は早そう)。
 何はともあれ、今後は電気式DCの試作車も登場するでしょうが、液体式RBEの活躍もまだまだ続くであろうミャンマーの最新状況について、改めて雑誌の記事としてレポートされるのを楽しみに待つことにしましょう。まずは、画像をお寄せ頂き心よりお礼申し上げます! m(_ _)m


 天浜線の乗降扉が割れたためか、交換ついでにバスっぽいHゴム窓に。



 井原のステンレス車内。一部の椅子がVIP用として交換されています。