地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

『東南アジア半島鉄道時刻表』を眺める

2019-01-27 00:00:00 | タイの鉄道


 先日神保町の書泉を訪れたところ、ふだんは『日式台湾時刻表』を発行している同人誌団体「日鉄連」による新企画として、『東南アジア半島鉄道時刻表』なるものが売られていましたので、思わずゲットしてしまいました。個人的に、台湾の時刻表は台鉄がネットに載せている全列車時刻表で間に合っていますので、敢えて『日式』を購入したことはないのですが、東南アジア各国の鉄道時刻表については、各国国鉄の公式HPにアクセスしても全然要領を得ずトホホな気分を抱いておりましたので、そのトホホを克服して何とかまとまった時刻表に仕立て上げたのは大変な労作であると判断した次第です。
 では、何がトホホなのか? 仮にまとまった時刻表が掲載されていても、古い時刻のまま放置され、空席照会画面などで出て来る最新の時刻とは全然違っていることがしばしばです。さらには、中国で紙の時刻表が消えた理由とも通じるのかも知れませんが、そもそも圧倒的多数の利用客自身が、自分の乗る駅から目的地まで向かう列車が何時何分に発車し、空席があってオンライン予約出来るかどうかという点を気にする一方、途中どのような経路をとり、途中駅に何時何分に着き、何分間停車するかということを全くどうでも良いと思っている可能性が高いという……。その結果、日時と駅名を入力すると、発車列車とその空席状況がPC画面で表示されるというサービスは充実して来ましたが、それと反比例して列車の運行状況を時刻表という「面」で俯瞰することは困難になりました。
 というわけで、PCの検索画面を通じて得られる断片的な「時刻情報」をしらみつぶしに書き留めて、それを時刻表というかたちに組み直すのは、想像以上に面倒臭い……。それを見事に克服し、特急から鈍行に至る運行状況を同じ面で一目瞭然にしたことには、列車本数が限られる中で全車自由席の鈍行列車もヲタにとって有用な移動手段であることを考えれば、「薄い本なのに1,000円かよ」という表面的な印象とは裏腹の絶大な価値があると考えます。



 そんな中、隔靴掻痒の感を禁じ得ないのは、ミャンマー国鉄の時刻表掲載が見送られていることです。何故なら、ミャンマー国鉄自身が全国の駅の発車時刻をネットに載せているわけではなく、ヤンゴン~マンダレー間の時刻ですら、検索すると出て来る旅行会社系の時刻表は古いことが多く、詰まるところ直接駅まで行かないと時刻は分からないから! (滝汗) この点、いつもお世話になっております落花生。様をはじめ、ミャンマーのド田舎路線を探訪された方が、駅に掲示されているミャンマー語のみの時刻表を書き取ってネットに再掲載して下さっているのですが、ミャンマー国鉄の時刻ほど朝令暮改なものはなく (?)、ひっそりと列車が (さらには路線が) 誕生・運休のあいだを彷徨っているという……。単に線路が近代化されて行くだけでなく、全国規模の鉄道時刻についても少なくとも発車時刻がオンライン検索出来るようになってこそ、ミャンマー国鉄全体のリノベーションということになりましょう。

 それはさておき誌面を開いてみますと、さすがタイ国鉄の部分は列車本数・路線の長さからして充実しており、バンコクに姿を現すあんな列車・こんな列車を思い浮かべながら時刻をたどって行くのはいとをかし、といったところでしょうか。とりわけ、バンコクの中央駅機能がバーンスーに移転するのを控え、現在のホアラムポーン駅の栄華を紙の時刻表という形態でとどめるという点でも、行く行くは歴史史料的価値を持つようになるかも知れません。
 また、この時刻表の長所でもあり、曲者でもある点として……華語併記であるという点が挙げられるでしょう。最大の目的は、『日式台湾時刻表』でコネがあり、かつ一定のヲタ人口を擁する台湾でも売るためなのでしょうが、それに伴ってタイについては主要駅、ベトナムとマレーシアについては全駅の漢字表記が示されているのは非常に有り難い! とりわけ、ローマ字表記クォックグーに移行して久しいベトナムの元の漢字地名を調べるのは面倒でしたので……。もっとも、華語圏での地名表記を、たとえば始発・終着駅を表示するスペースで使った結果、「曼谷」のような初級編はさておき、「烏汶」「清邁」「廊開」「合艾」「惹拉」……って一体どこやねん?という混乱に陥ることは間違いなしです。華語での発音を理解していれば「あ、ここのことね」とすぐに分かるのですが (笑)。

タイ国鉄・魅惑の古典罐 (?) 4000形

2019-01-06 00:00:00 | タイの鉄道


 約1ヶ月前、ジャカルタの日本中古冷房電車草創期における伝説的神サイト『JABOTABEK RAIL NEWS』の管理人にして、現在は日本の鉄道を英語で発信する『Tokyo Railway Labylinth』を運営されているYopie様からお誘いを受け、加えて東南アジアでの鉄道実務の経験をお持ちのU様を加え、都内某所のタイ料理店にて小宴が開催されました。Yopie様とU様、どうも楽しいひとときをありがとうございました!
 その席上では、さすがインドネシア・東南アジアの鉄道事情であれば何でもござれなお二人でいらっしゃいますので、日本国内ネタも含めて縦横無尽に回顧・現状分析・未来の展望がなされたのですが、やはりこの手の話をするときにどうしても話題に登るのは、日本の鉄道の変化が良く言えば緩やか、悪く言えば慎重すぎるのに対し、東南アジアは良くも悪しくもテキトーで、一度変わり始めたらイケイケドンドンだということ。そんな東南アジアに対する鉄道面での協力を積極的に進めることが出来れば、中長期的な日本の国益にはつながることは言うまでもありません。しかし、そんなテキトーさ(とりわけ汚職がらみ)は日本側にとって極めて高リスクで、下手をすると日本国内で厳しい責任問題になりかねませんし、もっと大きなリスクとして、たまに相手国側の反腐敗キャンペーンのネタとして現地で逮捕・起訴されるなど指弾の対象にもなってしまいます。



 というわけで「いろいろツラいよね、日本……」というぼやき節のうちに、いつの間にか杯を傾けまくり、美味いタイ料理も皿を重ねていたのでした。
 それでも、単純に変化ということを見れば、今の東南アジアの鉄道はまさに興味津々な激変期。……いや、そういうことをだいぶ前から言い続けているような気もしますが、とりわけ、1950~60年代以来基本的なフォーマットが余り変わらなかったと思われるタイの鉄道が、バンコク・バーンスー新総合駅の着実な建造やら、日中両国がからんだ新幹線計画 (日本はチェンマイ方面、中国はイーサーン方面) やらで、これからどんどん変わって行くことは疑いありません。
 この結果、ホアラムポーン駅は鉄道博物館に転用されることがほぼ決まっていると言われますし、今後ヨムマラートの分岐からバーンスーの間は東線の列車を除いて列車が来なくなるとなれば、暫定的な単線化によって空間を確保し、メークロン線方面につなぐ都市鉄道レッドライン (本命の大動脈) の建設も進むことでしょう。そして、東南アジア最大となるバーンスー総合駅の斬新なイメージとともに、タイ国鉄そのものも大幅なイメチェンに乗り出し、罐も客車もますます中国製の新車を、という可能性もあるでしょう。そのとき真っ先に淘汰されるのは、古典的な風貌が魅力的な4000形DLであり、1940~50年代に日本から輸出された半鋼製客車……。
 というわけで、古き良きホアラムポーン駅を中心に、長年親しんだタイ国鉄の雰囲気に触れるのであれば、今年はまたとない最後のチャンスではあるのですが、果たして訪問する時間を確保出来るのかどうか……。たまにしか来ないこの罐をもっと撮り貯めたいのですが。

タイ東北部で生きる日立製RHN型DC

2017-08-25 12:00:00 | タイの鉄道


 去る9日に発売されたばかりの、下川裕治『東南アジア全鉄道制覇の旅 タイ・ミャンマー迷走編』(双葉文庫)がなかなか面白い。かねてからバックパッカー旅にまつわる文章を生業として世界各地で乗り鉄もされている筆者が、編集者の口車に乗せられて東南アジア諸国鉄道の全線乗り潰しという偉業に踏み出したものの、ご自身のホームグラウンドであるタイですら「マイペンラ~イ」な雰囲気に翻弄され、路線数が少ないにもかかわらず意外と長大な (?) タイ国鉄のド田舎路線を乗りつぶすのに、難行苦行を重ねるという……。
 ただ、タイはそれでもまだましで、ミャンマー編はもっと地獄をみるわけですが (汗笑)、たとえばタイの場合、列車の接続を図らないのは当たり前、何やら良く分からない運行形態なのも当たり前……(例えば、スプリンターが1日1往復寄り道するだけのサワンカローク線とか、ほとんど乗客皆無の列車が闇夜を突っ走るだけのスパンブリー線とか)。とはいえ、タイ語がバッチリ話せると、「それでもまったり楽しい」タイ国鉄の旅が一層楽しいように見えるのはうらやましい限りです。また、1日1往復の列車が夕方に終点に着いて翌朝折り返すキーリラッタニコム線について、駅の近くに宿があるという話や、平日のみ運転される東線・バーンプルータールアン行も終点近くからロットゥー (乗合ミニバン) の便があるという話など、有り難い情報も載っています。



 というわけで、去る3月に撮影したタイ国鉄画像の続きは、1970年頃に日立で製造されたRHN系ディーゼルカーです。現在バンコク界隈はもとより急行列車でも活躍するTHN系DCの基本形はこの車両で確立したようで、かつては各地で見られたようですが、如何せん製造から40数年が過ぎており、今ではイーサーン=東北地方限定で細々と運用されています。例えば、上記乗り潰し本で出て来たケーンコーイ~ブアヤイ間のバイパス線の線内完結鈍行は全てこのRHN系で運用されている模様ですし、ノーンカーイからラオスのターナレーンまでちょこっと走る国際列車もこの車両の独壇場となっています。
 ただ、上記2路線を除けば、イーサーンの鈍行のどの列車が客レで、どの列車がRHN系なのか、ネットで閲覧できる時刻表ではさっぱり不明。見たまま情報を蓄積するしかありません。しかし少なくとも、運行管理上の拠点はナコーンラーチャシーマーということで、私が11時台に快速列車で到着したところ、ちょうど駅ホームの西外れにある給油線に4連が停車していました☆ そこで下車後、ホームを走ってRHN系のもとに向かったところ……あららら……まずは西のはずれ→構内を縦断して東の外れの踏切→構内南側の入庫線を通ってクラの中、という順序で入庫してしまいました。1枚目の画像は、まさに「待ってくれ~!俺を置いて行くな!撮らせろ!」と内心叫びつつ後追い撮影したもので、2枚目の画像は入庫線の脇からRHN系が機関区内でくつろぐシーンを超望遠撮影したものです (機関区の手前には門があり、駅構内のルーズさとは裏腹に部外者立入禁止)。
 う~む、今の塗装は正面があまりイケてないものの、紺色メインの1960~70年代カタギなボディは実にシブくて宜しい……。毎晩ガイヤーン (鶏の炭火照り焼き) とビールを楽しみつつ、イーサーンのド田舎を走るRHN系を心ゆくまで追っかけることが出来れば、かなり幸せ度が高そうです……。

タイ国鉄旧型客車の復活旧塗装車

2017-06-10 00:00:00 | タイの鉄道


 先日ついに姿を現したJR西日本の35系4000番台、すなわち「最新鋭」旧型客車は実に素晴らしい……。今のところ、ネットで陸送シーンや甲種輸送シーンを散見するのみで、肝心の車内アコモの全貌は未だに明らかではなく、今後のお楽しみといったところですが、とにかく鉄道会社と車両メーカーが本気を出せば、最新のテクノロジーで最高に快適な (完璧な空調と最新台車を装備しているという点で)、しかし気分は昭和にどっぷり浸れるような車両も難なく新造しうるということでしょう。既に12・14系も老朽化が進んでいますので、他のSL運転路線用としてもJR西と新潟トランシスが設計流用の許諾を与えることが期待されますが、そこらへんはそこまで容易い話ではないのでしょうか。



 というわけで、早くも模型化を今か今かと待ち構えたくなってしまいますが (笑)、より一層の心の声として、山口線に限らず、こんな車両に乗って普通に旅したい……と渇望せずにはいられません。しかしそれは当面望み薄であることを考えるにつけ、やはり大井川鐵道や高崎の旧客に乗るか、日本の旧客と近似のノリを持つ台湾・タイあたりの客レを楽しむしかないことになります。
 そこでとりあえず、タイの1950年代日本製旧客のうち、昨年3月にトンブリー駅でたまたま撮影出来たタイ国鉄旧塗装車 (胴回りがブルーではなく、あたかも上田交通色を彷彿とさせるような極めて暗い濃紺ですので、相当前の時代の塗装??) の画像を貼っておきます。通常は、カンチャナブリーとナムトクの間で団体ツアー客用指定席車として供用されているようですが、何故か (検査のため?) トンブリーに戻っていました。
 それにしても、このたび室蘭からタイに輸出されるというキハ183の身の振り方ですが、出来ればナムトク線 (クウェー川鉄橋・タムクラセー桟道橋) への観光列車として使ってくれないかなぁ~と思うのは私だけでしょうか?


タイ日本中古放置車探訪 (9) 炎天下の紫寝台車

2017-05-27 19:56:00 | タイの鉄道


 しばらく間が開いてしまいましたが、3月のミャンマー訪問特集に入る前に、『北海道新聞』Web版に載っていたキハ183タイ輸出の衝撃 (^o^) とともに、タイの日本がらみ車両ネタを片付けておくことにしたく存じます。鮮度は切れておりますが、あくまで自己満足の備忘録として記します。

 さて、マップ・カバオで膨大な数のキハ28・58及びキロ28に興奮した後は、待機させていたバイクタクシーに跨がって再びケーンコーイ駅へ爆走! 駅東側1.5kmほどのところにある踏切では、サタヒープ方面から来てバイパス線 (巨大なダム湖を通過) へと入る中国中車製最新罐 (※) 牽引の長大セメント列車に数分待たされるというヒヤヒヤものの事態となったものの、何とかウボン行き快速が定時で到着する数分前にケーンコーイ駅に戻って参りました。そして快速は僅か2~3分の遅れで入線~。「バンコクから乗った特急が最初から大幅に遅れたので、この快速もそんなノリで20~30分遅れて来るかも知れない。では、マップ・カバオでもっと長居しよう」などという誤った思い込み通りにせず、本当に良かったです……(爆汗)。



 というわけで、半鋼製の車内が余りにも素晴らしい2等車のリクライニングシートに収まり、いざ次の目的地・ナコーン・ラーチャシーマへ! まず、地図やGoogle Earthの画像、そしてマップ・カバオ界隈で眺めた景色からして、マップ・カバオ通過後ただちに壮絶な峠越えに入ることが予想されましたが、実際にここが凄かった! 超強力なタイ国鉄電気罐を以てしてもガクンと速度が落ち (概ね30~35km/h程度?) 暑季につきカラッカラに乾いた岩山の風景の中を大蛇のようにうねりながら登って行きます。2・3等快速の場合、2等車は基本的に最後尾に連結されますので (そのために終着駅や客車区でわざわざ客車の位置を変えるという御苦労なことまで実施)、罐の凄まじい喘ぎは聞こえて来ませんが、これは実に古き良き山越え汽車旅の浪漫そのものではありませんか……。そんな中、車内販売の鶏そぼろ飯 (勿論,味はタイ風の甘辛ですが) を、マップ・カバオ激闘後の空腹に放り込んで行くというシアワセ……。やがてカーブの連続が終わると、進行方向右手には広大なダム湖が広がり、雨期の晴れ間は夢のような青空と緑に包まれるのだろうと想像するのもいとをかし。こんな感じの山越えを終えてパクチョン駅に停車した後は、ひたすら緩い坂を下って行き、やがてオアシスのような緑の水田が増えて行きますと、ちょっとした都会の中に進んでスピードが落ち、目指すナコーン・ラーチャシーマ (通称はコーラート) に到着です。
 ナコーン・ラーチャシーマ駅は、イーサーン地方=東北タイ最大の交通の要衝ということで、街の中心街を歩くと例によって (?) 華人系の商店が占めています。さらに街の北には、国道(タノン・ミットラバーブ)に沿ってロードサイド型の巨大店舗が軒を連ねているようです (そこまでは散歩していない)。しかし、そんな街の構成からして、市街地の南西にある鉄道駅はどちらかというと場末で、昼前後は凄まじい日射しのもと、何ともまったりと気怠い空気が漂っています (^^;)。そんなロケーションですので、駅・機関区・貨物客車ヤード等々は非常に広大なスペースを使っており (否どう考えても、街外れの未開地に悠々とした鉄道設備が造られ、その周辺に鉄道関係者の街が出来た、というノリに違いない)、それはそれでGoogle Earthの眺め甲斐があります。しかし、それは裏を返しますと……構内のうらぶれた場所に廃車体が放置してあっても、そこにたどり着くまでは炎天下相当の回り道をしなければならないことを意味します……。
 そこで、事前に画面で発見したキハ28・58を求めて、駅東側の踏切からさらに構内南側の道へと進むことしばし……うう暑い……。しかも、最近構内の廃車体魔空間が整理されたようで、数両のキハ28・58がいなくなっている……(号泣)。辛うじて数両、荒廃しすぎて移動を諦めた車両が数両放置され、その中に1両だけ、台枠付近が骨組みだけになったキハ28が転がっていました……(帰る際に車内から機関区周辺を観察したところ、数両の《転がることが可能な》キハ28・58が、機関区の柵の奥、撮影出来ない位置に移動しているのを確認できました)。
 しかし、天・神・仏は我を見放さず……! 荒廃が進んだキハ28・58の代わりに、ほどほどに (?) 荒廃し始めた14・24系客車が、非常に撮りやすい位置に鎮座しておりました♪ (このこと自体は、快速列車で駅に着いたときから明らか) しかも、紫色寝台車の傍らには構内踏切があり、関係者が頻繁に歩いています。そこで、踏切南側の木陰でダラ~ンとしていた警備員氏に、14・24系を指差しながら「サッワーディークラップ! ロットファイ、フォト、OK?」と訊いてみたところ、面倒臭そうに「OK、OK~」との御回答! というわけで、水タンクやら窓やらいろいろなものが消えたのは痛々しいながらも、タイでの現役時代を辛うじて感じることが出来る姿に感動しつつ、酷暑を忘れて激写したのでありました……。14系座席車が何故ここにいるのか不明ですが、寝台車については恐らく、一時期ウボンラーチャターニー行き夜行客レに連結されていたものが、連結終了とともにウボンラーチャターニーから回送され、そのままここで無期放置となっているのかも知れません (それがいつ終わり、別の所に移動するのか、全く分かりませんので悪しからず)。
 ちなみにこの構内踏切、夕方になると地元の中学生が勝手に下校ルートとして歩いていました。地元民に開放されているのかも知れませんが、念のため外国人は駅舎を出た後、構内東側踏切~構内南側道路へと回り込む方が良いかと存じます。

(※) この罐は基本的にサタヒープ港~ケーンコーイを主軸とする貨物線ルートを中心に用いられているようで、今のところバンコク中心部では見かけたことがありません。