地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

平成の終わりに・小田急5200形

2019-04-30 08:00:00 | 大手民鉄 (小田急)


 本日を以て、約30年4ヶ月続いた平成が幕を閉じることになりますが、この30年間を鉄道趣味的見地から締めくくるとすれば、ひとえに昭和高度成長期以後の抵抗制御車やチョッパ制御車が激減し、VVVF、さらには「走るんです」やAトレインをはじめとした世代へととって代わられたということに尽きましょう。昭和末期 (という呼び方も最近は増えて来たものです……) の1980年代に製造された車両すら、ここ10年は加速度的に消えて行ったのは余りにも悲しいものです。どう見てもまだまだ使えそうな車両すら、電気代を食う・地上設備改良に対応しない・譲渡先好みのスペックではない……といった理由で消えたことに至っては、モヤモヤした気分をどう表現したものやら……。



 個人的にみてそんな車両の代表格は、小田急5200形でしょうか。田の字窓の5000形はやや古いのでさておき、5200形は1978年から1982年にかけて製造され、小田急ながら一段下降窓の明るい車内となり、性能的にもデザイン的にも小田急抵抗制御車の決定版と言える大所帯を誇っていたはずだと認識しております。同じ時期まで増備が続いた東武8000系と比べても何ら遜色はなかったはずでしょう。
 しかしながら、一段下降窓が腐食しやすい・下北沢地下化に性能的に対応しない・高架複々線化に先が見えて車両新造の余裕が生まれた、等々の理由で、2011年までにあっという間で6連が消え、僅かに4連化された編成も長続きせず……。インドネシアに行っても全くおかしくない車両でもあったかと思いますが、既にステンレス車がお気に入りとなっていたKAI・KCJとしては結局魅力ありと思わなかったのでしょう。
 ああそういえば、1980年代前半に増備された113系2000番台も2000年代に入ると急速に潰されたのだっけ……ということを思い出しつつも、何と言っても小田急5200形は伝統の住友・アルストム系空気バネ台車を装備し、乗り心地は圧倒的に上。そんなこともあってなおさら、技術革新の急激さの中でいつの間にか「旧型車」扱いされてしまった5200形の不憫さを感じたものです。
 そんな5200形にとって代わった3000・4000形の狭い車体が、快速急行の混雑に輪を掛けている状況にトホホな気分を抱くこと久しかった中、平成の最後の最後に発表された新5000形 (非貫通ですので地上用?) が幅広車体を採用したことに、思わず拍手喝采を覚えました。新時代の鉄道車両技術が果たしてどのような方向に展開して行くのか、文系ドシロートには全く予想もつきませんが、沿線イメージに合致し居住性も良い車両がもっと増えることを願うばかりです。不景気が長引いた平成の車両は、残念ながらその限りではない車両が多かったですから……。

福島乗物記2019春 (5) 湯野駅の神奈中

2019-04-29 12:00:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 花水坂駅南の鉄橋で飯坂線1000系の撮影を楽しんだ後は、徒歩で飯坂温泉に向かい、川向かいの昔ながらの温泉街の一角にあるバス停「湯野駅」に向かいました。ここから一日に3~4便だけ出ている福島駅行きのバスが、前日奥州街道を歩いてたどり着いた伊達駅界隈を通るためですが、勘の良い方はここまで読んでお分かりの通り、このルートはかつての軌道線(飯坂東線)のルートであり、それゆえ既に飯坂温泉へ向かう公共交通利用観光客の足としての機能は失いつつも、依然としてJTBの時刻表には載っているというシロモノです。また、そもそも軌道線は奥州街道の旧道筋をそのまま利用して敷設されており、前日福島の中心街からひたすら狭い旧道をたどりながら「ここを昭和40年代まで、細~いツラ構えの電車が10数分間隔で走っていたなんてアツすぎるだろオイ……」と思っていたのでした。福島競馬場の南の直線路とか、瀬上宿から伊達長岡にかけての街並みとか、軌道線が走っていた頃と余り変わらないと思われる街並みだったりしますし……。



 というわけで、温泉街ともシャッター街ともつかない古い家並みが途中僅かに途切れたところに、往年の軌道線の終点「湯野駅」がありますが、かつてあった駅舎は今や跡形もなく、未舗装の空間の入口にポツンとバス停のポールが立っているだけです。それはそれで何とも侘び寂びの極みでありますが、さらに奥に進むと驚喜の光景が待っていました……♡ 朝イチの福島駅東口行きが既にドアを開き、客がやって来るのを待っておりましたが、そのバスは何と元神奈中のエアロスター!! 前日の夕方見かけた湯野駅行きはエルガミオであったことに心底ガッカリし、鉄橋から飯坂温泉駅界隈に来るあいだも「折角往年の軌道線区間を乗るというのにエルガミオかよ……せめてエアロミディで来ないものか」と思っていましたので、ここに来て一発大逆転! エアロスターのゆったりとしたヲタシートで、伊達長岡まで短時間ながらも前面展望を楽しめるとは、何というラッキーなことでしょう……。
 そして湯野駅では、飯坂温泉始発で山奥へと分け入る路線に使われるエアロミディもスタンバイしていましたが、うち一台は元神奈中♪ 何とも言えない光景です……(^O^)。
 やがて運転手氏が現れて出発となりましたが、湯野駅発車時点では他の客はゼロ。そのこと自体、この路線が飯坂温泉訪問客輸送の役目を失って久しいことの現れなのでしょう……。その後、途中の停留所で数人の客を拾ったのち、東北本線を陸橋で越え、往年のデルタ線の遺構である伊達駅入口交差点を過ぎ、伊達長岡で下車。短時間ながらも極めて濃厚であった軌道線代替バス (?) のひとときの余韻に浸りつつ、県境を目指して歩き始めたのでした。そして帰宅後、さっそく神保町にて、RM LIBRARY『福島交通軌道線 (上下)』を購入したことは言うまでもありません。

福島乗物記2019春 (4) 飯坂線1000系2連

2019-04-28 12:46:00 | 地方民鉄 (東北)


 先月末を以て東急7000系が去り、東急1000系に統一された福島交通飯坂線では、3連でも2連でも「ちょんまげ前パン」及び「いい電」HM装備という点で共通です。しかも今のところ、鬱陶しい広告ラッピングが全く貼られていないのも、大いに歓迎したくなるポイントでしょうか。ただ3連は、日中の運用に入る確率が限りなく低い……。



 そこで、日中であれば2連を狙うことになるでしょうが、2連は窓に広告とは違ったメルヘン調のラッピングが貼られており、ほんの少々だけ「何だかなぁ~」感を否めません。真っ昼間は運転間隔もやたらと開きますし。というわけで、飯坂線を訪れるのであれば、2連と3連が入り乱れて頻繁運転となる平日の朝方がベストなのかも知れません。