地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

武漢の悲劇から東風4型黄金時代を想う

2020-01-27 17:30:00 | 中国の鉄道


 中国でどれほど高速鉄道や最新鋭の情報通信技術が発達し、モノとカネがあふれようとも、政治体制そのものは愚昧を繰り返した毛沢東時代のまま。せっかく知的魅力に満ちた人々がたくさんいても、様々な創意工夫で中国と世界に幸福をもたらそうとする願いがどれほどあろうとも、この誤魔化しと胡麻擂りの中共党体制が満天下を覆い尽くす中では、必ずや何らかの形でスポイルされることになります。党と国家の下っ端官僚が、プーさんの怒りを買って鉄槌を下されるのを深く恐れ、様々な政務を無事に済ませて出世の得点を稼ぐことを優先するあまり、自分の持ち場で何も起こらないのを深く望む事なかれ主義に徹し、ご機嫌取りで数字をいじることに徹した結果、ついには真実を語る人を「社会の安定を乱した」と称して罰し、解決・緩和されるべき問題に手が付けられない中で破滅的な危機が進む……。今般の武漢肺炎の蔓延は、そんな中共党体制の本質を改めて白日の下に晒したと言えましょう。



 事ここに至り、誠に同情を禁じ得ないのは、武漢市民をはじめとする無辜の老百姓(庶民)の皆様です。中共党体制の弊害によって引き起こされた前代未聞の危機が、いつの間にか「党中央の英明な指導による困難の克服」という、いつもの陳腐な英雄物語に置き換えられつつある中、当の武漢市民は封鎖の中、ただでさえ下手をすると自生自滅(誰からも放置された状態)を強いられるかも知れないという不安に陥っているというのに、武漢の外側においても、武漢市民であるというだけで厄介払いのための拘束や蟄居を強いられ、あるいは宿泊や医療など様々なサービスからも排除される現象が起こりつつあります。「武漢加油」という声が中国全土で起こる一方で、武漢・湖北の人であるというだけでこの仕打ちとは一体何という矛盾でしょうか。既に中共は、新疆のイスラム教徒を「社会の安定を蝕む病原菌」扱いして迫害し、香港の抗議運動も「祖国統一の何たるかを理解しない邪魔者」として弾圧しているものですが、この期に及んで、本来であれば主流派の極みである一千万以上の武漢の漢人をも、新疆のイスラム教徒と同様に国民統合の外側に追いやりつつあるのですから何をか言わんや。これまで、「党と安定した社会があればはじめて幸せがあり、中国が世界を導く《中国夢》が実現する」と称する中共の言説を何の疑問もなく信じていた武漢の人々も、この極限状態に至り、そんな党と国家が本当に老百姓を救ってくれるのか、疑問を持ち始めることでしょう。

 というわけで、今すぐ中共が消えるとは思えませんが、これは有り体に言って今から120年前の義和団事変と性格が似ているような気がします。無知蒙昧な義和拳教にすがって外国を蹴散らそうとした清朝が、結局日本軍を中心とした八ヵ国聯合軍に呆気なくしてやられ、以来多くのエリートが血相を変えて日本に留学し、政治体制の変革へと向かった挙げ句、ついには鉄道利権と清朝官僚の黒い関係に対する怒りが蔓延し、武漢で革命ののろしが上がって清朝が倒れてしまったものです。では、今後武漢だけでなく全国規模で交通網が政治的に寸断された状態を中国の人々が目の当たりにするにつれ、果たして何を思い、どう行動するのでしょうか。
 そもそも、同じ中共党体制であっても、今ほど技術の発達を悪用した独裁がはびこっていなかった80年代から2010年代初頭は、批判的なメディアの存在に加えて、そもそも中共自身に金も技術もなかったため、結果的にある程度柔軟というかテキトーで「自由」な社会があったはず。それがプーさんの独裁ですっかり変わり、党と国家機構が巨大なイエスマン体制になってしまったのが致命傷だと思います。

 こういう独裁の極みが引き起こした出来事を目の当たりにするにつけ思うのは、昔の中国は今よりも貧しかったかも知れないものの、それなりにユルくて楽しく良かったなぁ、ということです。中途半端な独裁とテキトーな社会ゆえに戸惑うことも多かったですが、何と言っても老百姓の皆様には「人情味」がありましたし(今もある)、何だかんだで上手く楽しく旅行できてしまう。そんな雰囲気が結構大好きで、昔は多くのバックパッカーが中国を旅したものだ、と認識しています。
 いろいろあって、最近の中国からはすっかり足が遠ざかり、最新の中国鉄道画像はほとんど持ち合わせていませんが(数年前にベトナムで撮った25系客車が最後。笑)、その代わりに、中国が改革開放の登り坂で、ある意味で緩くもあり明るくもあった時代の象徴である東風4型の未アップ画像を貼っておきます。

哀しみの香港鉄路(革命状態に寄せて)

2019-10-04 23:06:00 | 中国の鉄道


 今年は香港地鉄(地下鉄)が開業して以来40年。のちに香港地鉄は九広鉄路(九龍=広州鉄道の香港側)を吸収合併して香港鉄路と改称し、さらには西鉄線や空港線をはじめ路線を拡大するなどして、名実ともに文明都市・香港を代表する企業であったはずです。
 しかし悲しむべきことに、香港全土を覆う反送中運動(逃亡犯条例反対運動)が一気に反警察・反特別行政区・反中共運動へと転化する中で、香港鉄路は「光復香港」を叫ぶ人々に最も憎まれる対象の一つとなってしまい、最近は連日至るところで駅が襲撃され、それに先立つ駅の閉鎖(通過)や路線丸ごとの運休が発生しています(具体的にどの駅・路線が機能不全に陥っているかは、香港鉄路公式HPの運行情報から分かります)。そして、駅の至るところには「党鉄」の殴り書きが……。



 要は、香港鉄路が特別行政区政府や警察と示し合わせて、デモ参加者を駅や車内に追い込んで催涙弾や実力行使などで撃退する舞台になってしまったり、デモの予告時間に近隣の駅を通過扱いにしてデモ参加者を阻止したり、さらには民衆に包囲されて逃げる警察の輸送手段を提供するなど、一事が万事公共交通機関としての中立から外れ、特別行政区の背後にいる中共の手先になっていると見做されているためで、そこで共産党の鉄道=党鉄と呼ばれてしまっているという……。
 しかし、香港鉄路(とりわけ、個別の社員)も好きでそうしているわけではないはず。ある意味で止むを得ないことなのでしょう。とりわけ香港鉄路は、90年代以後北京・上海・深圳などの一部の地下鉄路線の経営権を保有することによって、中国で先進的な地下鉄経営のノウハウを提供しつつ利益を得る状態となっており、特別行政区と背後の中共の意向に反して中立な立場を保つとすれば、それだけで中共から各地の路線の経営権を没収すると脅されても不思議ではありません。
 とはいえ、結局のところ香港の主権を握るのは中華人民共和国であり、その中華人民共和国を指導するのは中共ですので、このような香港鉄路の立場は最早如何ともし難いのも事実です。こうして、世界的に見ても最も洗練された都市鉄道のひとつにして、日本メーカーの良き得意先でもある香港鉄路が政治の荒波の中で板挟みになり、荒廃してゆくさまを見るのは誠に哀しいことです。かといって中共の暴政に抵抗する人々を非難するのも私の本意と全く反することであり、ただ自由な都・香港に栄光あれ、と願うしかありません。

※この記事をアップした4日夜には、東鐵線など地表を走る路線の至るところで線路に障害物が投げ入れられて全面運休に陥り、とりわけ沙田では列車が放火される事態となっています。マスク禁止などという極端な緊急法令を施行しようとしたために火に油が注がれた状態となっており、どうしても、事態をもっと拡大・悪化させて、収拾出来ない香港特別行政区・警察に代わって全面的な武力鎮圧に持って行かんとする中共の裏の意図を勘繰らざるを得ません。

※5日朝5時半追記……小田急江ノ島線の初電の車内で華語のニュースサイトを見ていたら、昨晩この記事をアップしたのと同じ頃、複数のベッドタウンのショッピングモールで「香港臨時政府」宣言がなされたとか……。まだ政府としての実態は何もないでしょうが、特別行政区政府に対する不服従が今後拡大する可能性が高いです。港鉄はしばらくまともに運行できないでしょう。
香港でこのブログをご覧の方は、くれぐれもご安全に。

※6日午前追記……破壊の度合いが大きいと思われる馬鞍山線と、不要不急のディズニー線を除く各路線で6分間隔の運行となっていますが、夜9時で営業終了となるほか、やたらと通過駅が多い状況です。空港鉄道は午後1時以降、香港駅と空港駅のみの営業となり、乗車前に航空券とパスポートの検査あり。軽軌も一部系統を除き営業を再開しているものの、破壊された停留所は通過とのこと。

黎明来到 要光復這香港 同行児女為正義時代革命
祈求民主与自由万世都不朽 我願栄光帰香港

中国鉄道時刻表2018最新版を眺める

2019-01-09 00:00:00 | 中国の鉄道


 中国で長年発行されてきた中国鉄道出版社の時刻表は、もともとおおむね同じ路線の同じ方向の列車がまとめて掲載されていたはずが、2000年代に入ると種別や行先方面ごとにあちこちのページに分かれて非常に見づらくなるという混沌に陥り、ついにはネット上の時刻検索に押されて数年前に廃刊の憂き目に遭いました。その背景にあるのは、経済発展に伴う列車本数の激増、そして余り古いものにこだわらず何でもネットで解決しようとする気風なのかも知れませんが、それ以上に最近の中国における鉄道旅客輸送の変容も大きく作用していると言えます。
 かつては路線も列車も少なく、途中駅から無座で乗らざるを得ない状況も多々ある中、客の側がある路線を走る列車の全容を把握する必要があり、そういう点で紙の時刻表は有用であったことは確かです (それでも、売っている場所は必ずしも多くなかったのですが)。しかし、今や膨大な数の新線が建設され、列車の数も激増する中、ある方向に向かう列車がなるべく効率良く短い距離で走るとなると (長距離列車も新線開通で頻繁に経路を変えています)、次第に発想が飛行機に近づくと申しますか、途中の経路、列車ネットワークのありよう、さらには路線図すら割とどうでも良くなり、単に「乗換なしで行ける列車がネット検索でひっかかり、残席があるかどうか」という点こそが重要だということになります。しかも時代は高速化、あるいは「夕発朝至」が主流ですし、昼間の列車はどうせ周りの連中が口角泡を飛ばす会話やらケータイやらゲームやら映画鑑賞やらで騒々しいわけですから、「どの路線を何時頃に通り、どんな景色をしみじみと眺めることが出来るか」という乗り鉄的発想すら異次元世界のものであるのかも知れません。従って、ますます紙の時刻表は要らないことになります。



 それでも一方では、中国の鉄道が他の諸外国に比べて時間を遵守し、総じて信頼できるのは確かです (このことは噴飯レベルの遅延が常態化した国内線と比べれば明らかですし、あれだけ長大な路線網であるにもかかわらず良い線を行っていると思います)。また、今やネットで全国予約が可能であることを考えれば (90年代までは台帳方式と近似した各駅配付の整理券方式による座席指定であり、切符の裏に貼られた薄い紙が限りなく輝きを放っていたものです。また、駅員がこの整理券を横流しすることによって不正な巨利を得ることも可能……そういう点で完全オンライン化は中国国鉄にとって超福音)、時刻表を見ながら路線と列車を選んで乗り継ぐという技も圧倒的にやりやすくなっています。また勿論、ある時代における鉄道輸送の全貌を明示するという歴史史料的役割も、紙の時刻表にはあると言えましょう。
 昨年末、久しぶりに同人誌として出版された『中国鉄道時刻表』は、このような利点を強調しつつ、高速鉄道バブルに湧く (その結果浮いた大幹線の客車もどんどん列車の新設に回し、列車ネットワークが複雑怪奇の極みに達している) 中国国鉄の現状を克明に示しています。それをどのように読み解くかは人それぞれでしょうが、かつてバックパッカーとしてド田舎をウロウロした者としましては、景気維持策としてますます地方路線の建設に鉄とコンクリートが注がれており、かつては内陸の省都からバスで1日~2日 (あるいはそれ以上?) かけて訪れた草原や砂漠、そして中緬国境の街にも新線計画があり、既に時刻表本文にも掲載準備がなされていることにブッ飛びました……。
 また、編集過程で判明した列車ランキングがなかなか面白いですが、かつては超チンタラと走っていた青蔵線(青海チベット線)の客レが速い列車ランキング入りって一体何なんだ……(1990年、西寧~ゴルムド間を通し乗った際には所要24時間)。 他の路線でも軒並みスピードは上がっており、ことここに至れば、22系以前の客車は最早東北などド田舎の遅い鈍行でしか生き延びられないでしょう。諸行無常ですね。
 なお、画像は最早博物館入りした毛沢東&超高級幹部用編成のそれであり、全然イマドキの中国鉄路を代表していないではないか、とお叱りを受けそうですが、要は最近諸事情により全然訪れておらずネタ切れなのです。ここまで激しく変わってしまった鉄道網を極め、車両研究を極めるのは、最早頭が柔軟な若い皆さんに託された仕事であると考えます。
 あぁそういえば、金正恩特別列車運行記念として、この画像はちょうど良いかも (笑)。

中共高級幹部用客車「専運車」の肖像

2018-11-22 00:00:00 | 中国の鉄道


 しばらく発行が途絶えていた『中国鉄道時刻表』、この年末に最新号が出て、お台場ヲタ祭りや神保町書泉などで発売されるはこびとなったようです。本家チャイナで紙の時刻表の出版が途絶え、日本側でも完全ボランティア体制によるデータ打ち込みが、絶えざるダイヤ改正(とりわけ高速鉄道の相次ぐ延伸)で振り回されていると思われる中、一定のところで区切りを付けて改めて紙データに置き換え、史料としての価値をつけることには敬意を表したいと思います。私自身は、習近平新時代のチャイナの特色ある社会主義が全盛ないま訪れようとしても、不愉快な話の連続になるでしょうから、誌面を見て最近の変化を想像するにとどめますが。
 それはさておき、京急の藍色普通車、東武のプユマ、しな鉄の自強電車……といった感じで、台鉄風の塗装が日本の鉄ヲタ界を賑わせている昨今ですが、そもそも今年は日中平和友好条約締結40周年であり、日中の首脳往来も華々しく行われた中にあって、日本の鉄道界も鉄道趣味界も、台湾分裂主義者に加担し続けることがあって良いのでしょうか?! 《一つの中国》という、中華民族の神聖不可侵な大義に即して言えば、台鉄などは所詮台湾鉄道管理局であって、さらにその上の組織として祖国天朝大中華 w の交通部や鉄路総公司があるはずです(鉄道部は、「中国高速鉄道の父」たる張曙光部長が死刑判決を受けるなど度重なる汚職もあって w、鉄路総公司に格下げ改組済み)。実際、祖国天朝大中華で発行される鉄道路線図には必ず台湾省の鉄道も記載されており、中華民族の正しい立場を表明し続けているはず。
 したがって、中国を中心とした全世界人民の団結と進歩と友誼を愛するすべての日本人民も、まずは台鉄の上位組織である中国交通部と誼を通じるべきで、そのうえで大陸地区の様々な路線・地方鉄道・地下鉄・都市近郊鉄道と積極的に友好提携を結び、鉄道事業者としての経験や技術を交流し合うべきなのであります。そうであってこそ、世界レベルで中華の暖かさをもたらしインフラ大建設を行う「一帯一路」の枠組みに日本企業・日本人民も大いに参加し、その中でこそ日本も真正にして多大なる利益を得られるはずなのであります。米帝や台湾分裂主義者に騙されるようなことがあってはなりません……(キリッ)。



 ふぅ、心にもないたわごとを模範解答っぽく綴るのも疲れるものですが、実際問題、日本を訪問する、あるいは在日のチャイニーズの中でも鉄分多めな人々は、日台鉄道交流に基づく塗装や宣伝ポスターを、このような発想で眺めているに違いありません。まぁ個人的には、そもそも「一帯一路」なんてブラックな高利貸しも同然ですし、最早日本とチャイナの関係は交流よりも競争という相に入ってしまっていると思うのですが。
 そうは言っても、せめて僅かでも、どこかの鉄道会社がチャイナの鉄道事業者と友好協力関係にあり、その成果をヲタに向けても盛んに発信しても良いはずです。あるいは今後、「安くてもウリナラロテムよりは壊れない」中国中車から車両を買う鉄道会社もあるかも知れませんから、そういうところから交流が生じることもあり得るでしょう。実際、むかし東京駅は北京駅と交流協定を結んだはずですし、そういえばE2系がCRH2になったという経緯も踏まえれば、JREは積極的に中国鉄路総公司と提携し、チャイナ観光客を東北各地に呼び込む一方、車両に緑皮塗装を塗るなりラッピングするなりして、鉄道の旅の魅力を宣伝しても良いはず。少なくともチャイナには、日本の国鉄特急色を彷彿とさせる東風4Dが一部の鉄路局で活躍していますし……(笑)。
 もっともそんな動きには、東京駅で低い柵を隔てたJRCは思いっきり煙たがりそうですし、もし東海道線のE231・233に緑皮ラッピングを貼り、たまたま沼津行きに充当されようものなら、熱海駅で運転打ち切りの脅しをかけて来るかも知れません……(^^;)。まぁ、JREだけで完結する列車でやった方が良いでしょうな、これは……。
 何はともあれ、難しい話はさておき、単に自分自身の妄想N模型だけでなく、東京でリアル緑皮塗装を見てみたいという、それだけの話です (^^;;)。
 そんなたわごとを並べつつ、今は中国鉄道博物館の屋内に収蔵されてしまった、中共高級幹部専用客車「専運車」の未アップ画像を貼っておきます。これらを撮影した2006年には、まだ高速鉄道は開通しておらず、在来線列車がどんどん華やかさを競っていた時代ですので、まさかこの後習近平時代になり、高速鉄道を除く客車は原則として緑皮になるとは夢想だにしなかったものです。
 1枚目の画像はリブ付きの古い車両で、東ドイツ製かチャイナ製のいずれかのはずですが、もし1960年代以後の製造でしたら、中ソ冷戦になってしまっている折も折、ソ連に車内の秘密を知られないようにするため、チャイナ製であったのかも知れません。いっぽう2枚目はリブの無いスッキリしたスタイルの25系客車の一環とみることが出来、1970年代末以後90年代までの間に製造されたものと推測されますが、細かい分散クーラーがなかなか萌え要素となっています。いずれの車両も3軸ボギー台車の堂々たるものですが、120km/h以上の速度には対応していないため、2000年代半ばまでに離脱してしまったのは勿体ない話です。もっとも、そうであったからこそ、2006年の夏に中国鉄道博物館前の屋外に放置されているところを撮影出来たのでした。
 なお、毛沢東専用客車は、後に中国鉄道博物館内に写された車両の画像をネットで見てみますと、カムフラージュのため硬臥車 (YW) と表記されています。当時はそんなことにも気付かず、定員が妻面に記されていない軟臥車を見かけて「これ毛沢東専用?」などと想像を巡らせていたのでした……(笑)。

中国鉄道博物館の保存SL・勝利型と96

2018-09-24 00:00:00 | 中国の鉄道


 昨日は香港と大陸各地を結ぶ高速鉄道が開通したようですが、その事の本質は香港の本土派が強く主張する通り、大陸側の出入境管理も西九龍駅で行い、車内は大陸の法律が適用されることで、特別行政区の特別行政区たる所以が毟り取られてゆくということであり、これこそ国家主権がないことの悲哀というべきでしょう。
 しかし個人的には、そんなことよりも重大な問題が。私の怪社の近所には、何故か (笑)『中国鉄道時刻表』の最新号が出ると必ず広告が貼られるラーメン屋があり、美味しいので毎週1回程度訪れるのですが、今日を以て太麺メニューを止めて、細麺に集中することになったとは……。先週末に食べ納めで訪れたところ、多くの客がケータイでお気に入りの太麺メニューを記録にとどめていました。
 


 というわけで、私の頭の中は高速鉄道が駆け巡る未来ではなく、常に過去へ過去へと向かっておりますので、昔の中国の鉄道を語るネタのひとつとして、北京・中国鉄道博物館にて保存されている勝利型とKD5型の画像を貼っておきます (撮ったきりHDの中で放置していました ^^;)。このうち勝利型は、主に満鉄向けに製造された日本製または満鉄工場製の旅客罐であり、KD5型は日本のキューロクをメーターゲージに改造し昆河線に投入したものの生き残りです。
 もっとも、この2両はそのまま鉄道博物館で保存されているはずですので、別に昔を語るネタでも何でもないかも知れません。しかしご注目あれ……車両の周りがスッキリしていることに! 少なくとも2000年代は誰からも注目されず (近場のタクシーの運ちゃんすら知らない)、訪れる人間のかなりの割合が日本人鉄ヲタであったと思われるこの博物館も、その後の経済発展やら、科学技術教育の重要性強調やら、あるいは鉄道趣味の萌芽とお子様層への浸透やらで、最近は常に参観者がいるようです。しかしここは天朝大中華 (笑)。来客の文明礼貌度に応じて、危険を避け収蔵品を保護しようとすると、車両の周囲に高めな囲いを張り巡らし、絶対に入るなよとアピールしなければならないようです。というわけで、2006年にここを訪れておいて本当に良かった!と思います。