馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

 バンジージャンプ 国防。

2021-09-14 08:22:45 | 日記
総理候補のバンジージャンプでのお遊び。

続きです。
知人から、蛇を食べるなど、いい加減な事書くなと
言ってきた。
仕方なし、私の実体験を述べます。
戦後直ぐに生まれた団塊世代
その父親の大半が戦争に出征しました。
その父親は戦地での過酷な生死の生き様を語りません。
語るのがおぞましいのでしょうか。
私の父は夜半になると眠りの中で
叫び声を上げます。
子供心にも、武漢での戦いを夢の中で想いだすのでしょう。
父が語った唯一の言葉。
「歩きながら眠った」
「そうしなければ、死ぬからだ」
私が育った辺地には米軍の通信隊があり
極東アジアの情報を集めていた。
周辺は立ち入り禁止で、農家の畑しかありません。
TV ラジオも禁止。
父は帰還後、GHQの管理下の軍需工場で働いた。
戦争で父を失った同級生
アフリカ系ハーフ、白人系ハーフが
教室にいたが、生い立ちを詮索することはなかった。
そうした環境下は幼くしても無言の圧力を感じていたからだろう。
大学山岳部に入り、過酷な山登りを実体験。
50年前は、大学山岳部の隆盛期でもあった。
まるで、戦争中の軍隊生活である。
昭和43年夏、日韓親善合同登山隊と韓国遠征した。
国交回復間もない頃、
現在のような反日憎悪はなく、非常事態宣言下で
夜間外出禁止令があった。
いたるところに検問所があり
私達も検問を受けた。
精悍な憲兵が私達を同士と呼び握手した。
その時 青瓦台に北朝鮮の兵士が侵入
銃撃戦で7人を射殺した。
戦争の後遺症を実感したのだ。
韓国の大学山岳部員は、蛇を登山中に捕獲して
テント場で焼いて食べていた。

現地調達の食料にするのだ。
大学4年 3月
先輩と二人、豪雪猛吹雪の八幡平を縦走した。



視界は白い闇。

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食料も尽き果て、雪を溶かした煮干しを一つ飲んだだけ。
最後は、生還するのだが
その登山中に積雪で半分埋もれた樹林帯を
ゆゅくりスキーで下りてくる集団と遭遇する。
ボーゲンスタイルで巧に樹林をよけ、雪崩を生じさせないように
スローで十分に間隔を開ける

目前にやって来た。
背中にリュックを背負い、
拳銃らしき装備を背負う。
自衛隊の雪上訓練であった。
整然と乱れぬ滑降に見惚れた。
隊員は若者だけではなく、中年以上もいた。
八甲田雪中行軍遭難事件を思い浮かべる。

富士山登山マラソンもあるが
自衛隊の訓練の場でもある。
山岳部時代に、自衛隊の精鋭隊員の
サバイバルドキュメントを見た。
谷間で、蛇を捕まえて生で食べるシーンに仰天。
「こんな事 とても出来ない」
大学山岳部が最も過酷な生存維持生活であると
自負していたが、とんでもない。
軍事を憲法改正論議だとか
自衛隊の交戦権をどうだとか
現実現場を知らない与野党論議の虚しさ。
防衛大臣の1秒間のバンジージャンプを
喜々として報道。
そんな国防認識で、対岸国と対峙できるのか?



万葉集には、戦地の赴く子供を想う母の姿がある。


防人歌



第20巻 4340番歌
巻 第20巻
歌番号 4340番歌
作者 川原虫麻呂
題詞 (天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
原文 <等知>波々江 已波比弖麻多祢 豆久志奈流 美豆久白玉 等里弖久麻弖尓
訓読 父母え斎ひて待たね筑紫なる水漬く白玉取りて来までに
かな とちははえ いはひてまたね つくしなる みづくしらたま とりてくまでに
英語(ローマ字) TOCHIHAHAE IHAHITEMATANE TSUKUSHINARU MIDUKUSHIRATAMA TORITEKUMADENI
訳 父さん、母さん、私の無事を祈って待っていて下さい。筑紫に行ったらそこの海底に沈んでいるという真珠を取って帰ってくるまで。
左注 右一首川原虫麻呂 ( / 二月七日駿河國防人部領使守従五位下布勢朝臣人主實進九日歌數廿首 但拙劣歌者不取載之)
校異 知々 等知 [元][類][古] / 江 [古] 波 / 豆 [類] 都
用語 天平勝宝7年2月9日、年紀、作者:川原虫麻呂、防人歌、出発、悲別、羈旅、、静岡、布勢人主
第20巻

Memorial Day (Amazing Grace Bagpipes)

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