marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(569回)<No.1>親愛なるJへの手紙 思想と宗教の結びつき:(国学者)平田篤胤

2019-07-18 12:47:29 | 日記

親愛なるJ 

          

 僕も少しは静かな時を過ごすことができるようになりましたので、仕事でのこと、差し支えない範囲で海外出張でのあれこれを少し書いてみようと思いました。”世界のベストセラー”でなくてもと思わるが、僕の地上においての指針になっているのでこれを続けて掲載させていただきます。

◆僕が、人生で初めての海外出張の時、それは隣の国上海でしたが、成田の広いロービーについたとき、思い出されたのは学生時代読んだ森有正の「バビロンの流れのほとり」の中の、彼がフランスに留学する船から上陸する際、脳裏に浮かんできた、アブラハムが神に「親族を離れ、わたしの示すところへ行きなさい」と言われたところ。かつての知識人はヨーロッパへは船で行ったものだ。まだ飛行機の時代ではなかったので。「世界を見てやろう」の小田実や、作家の遠藤周作やカトリック神父の井上洋二さんなんかも。僕にはずいぶん昔のことだ。見ている空や海は世界に繋がっている。見ず知らずの国へ行く前のどきどき感はどんなのだったろうと。神が創造された土地なのであるから。アブラハムに神は、東西南北、目にするあらゆるところを与えようと誓った思いを持って、未知なる土地を目指して出発した。

君が知っているとおり神が自分の似姿に人を創造した(創世記)ということが、いつも頭から離れず、自分も含めて人を知れば神を知ることに少しでも近づくことが出来るようになるのではないかと思っているのです。魂の器としての身体を治す医者がたいそう尊敬されてきたのは命に通ずるものがあったからなのだろうと同時に、神の似姿に人が創造されてきたからなのだろう。人と言う生き物には、無論肉体という中にそれぞれにとても神秘的なDNAを繋げ伝えていく歴史を持った秘密を抱えて存在しているのである。肉体が滅びても生き延びるという何かが。 

◆僕の勝手な歴史的ロマンがあるわけだ。それは、イエス誕生以前、あの地で僕らが高校の世界でもならうバビロン捕囚。何度か彼らの祖国は他国に蹂躙され、彼らの祖国が消滅したときに離散させられた人々、そういう大変な民族的試練を受けた人々の中に多くは「東を目指した人々」も多くいたのだろうと思っている。北イスラエル、南ユダに分断し、BC722年北イスラエルがアッシリアに1世紀経たBC586年にアッシリアに代わり世界の覇権を握ったバビロニア帝国のネブカネネザルによってとうとう南ユダも失われた。残りの失われた10部族は何処へ行ってしまったのだろう。彼らは旧約の預言に救世主が生まれることは知っていただろうけれど、当時の彼らにとっては遠い未来の希望。彼らは、アブラハムに神が告げられた希望を託して東へ向かった(無論、何世代もの時間を掛けて歴史上の国々にも関わりながら)なぜなら、この地上すべては自分達の神である創造主のなせる業の中にあるのだから、それは預言された助け主が来るまでのことでもあると信じて。

◆今は彼らの足跡をyoutube見ることが出来るようだ。日ユ同祖論なんかも・・・少し行き過ぎ内容もあるけれど。カスピ海周辺にいた人々、弓月氏という民族集団、移動してきたキルギス、ウズベキスタン?あたりには彼らの国の痕跡があるそうだし、失われた末裔として発見された中国雲南省の人々の中にはイスラエルに帰った集団もあったそうだと聞いたのはもうだいぶ前の話だ。聖徳太子のブレーンだった秦河勝は、本も出ているけれど大陸を東に移動してきた謎多き秦氏の一団だったといわれている。そして彼らは理想の国を目指して日本にまでたどり着いているとされる。日本の神社のいわれを調べるとどうも出所(言葉の記録として表れるの)は室町時代あたりからとかはっきりしない。八幡神社と調べると渡来人(秦氏・・・)が出てくくるから、やはり最も古いのはこの辺だろう。ヘブライ語で神(ヤー)秦(ハタ)=八幡。東北地方にも結構その名前の土地や無論、神社も多くある。かなりの技術集団でもあったと思われるのですね。

◆僕がとても不思議に思うのが、この国人々の信仰心というもの。日本の至る所に神社や祠があるし、近代以降、歴史上で神仏習合になったり、廃仏毀釈になったり、古くは本居宣長や、彼を慕う江戸末期の平田篤胤(この人のお墓は秋田県の秋田大学の裏手の高台にあり、裃姿で本居宣長の墓所の方角を向いて葬られているそうだ)が黒船来航以来の国学に思想的影供を与えた(作家島村藤村の「夜明け前」)。これだという決定的思想にはなりえない漠然とした、あるときは、古来からの心の中の「通奏低音」と呼ばれ、表に現れれば漠然とした「空気」と呼ばれ時勢に押し流されるこの国の思想。しかし、言葉として表に現れて来ないが、この国の人々の摩訶不思議な信仰心というものには動かないものがあるように思うのです。

 ・・・長くなりました、又、書きます・・・健康に留意されてお過ごしください。それでは・・・