marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

☕ お天気なのに、「異界」の暗闇からの招待があった。

2021-04-03 19:32:41 | 日記

◆僕は、思考が昔から暗い、・・・というか、そのような自己を見つめるようなことをたまに考えないと、ふらふら空を飛んでいくような、これは文字にするとからだが軽くなるような楽になるようなイメージなのだが、あに図らんや非常に気分が悪くなる。下手をすると、思考が完全にリセットされて、そのとき待ってましたばかりに、その、あの・・・異界からの闇が見え始めてくる・・・という怖さなのだ。だから、僕は、三次元とこれに時間軸を加えた4次元でもいいのだが、なんというか空間が避けてひんやりした言葉にできない、それは異界からの死者(使者?)が、這い出してくる思いを感ずるときがある。◆実は、これは誰でもが感じることのできる自己の闇からの招待状であり、普段、殆ど気がつかないことであるらしい。普段目には、見えないが多くの「霊」がリーンカーネーションを願う、これは簡単にいうと、肉体という形をとりたいと願う多くの「霊」があって、僕らの廻りを取り巻いている。その「霊」は思うとすぐどこにでも行けるそうなのだが、一番ふさわしい肉体に入るようですね。いつかと言えば、それは男と女の交尾、とくに女の方のエクスタシーの時(だからこの時、自己を解放するでしょ、つまり、ネットでいえばポートを解放する時)に、その「霊」は、入り込むらしいのです。・・・と、こんなことを考えていたら、そうではなくて、赤ちゃんが誕生するときに、その赤ちゃんにふさわしい「霊」が入るようだとの話もありました。神様は人の鼻に息を吹き込み人となったという話もあるからね。◆いずれ、地球が終わる前に多くの「霊」が肉体となって浄化されて、次の世界に入りたがっているらしいのですね。だから、自分のこの世での生涯は、その吹き込まれた「霊」の宿題を果たさなければいけないようなのだ。それが、浄化されてステップアップしていって地球の生涯が終わるらしい。自殺などすると、大変な後戻りになるらしいから、苦しくても頑張らんとな。で、人は全てでき兼ねるだろうから、私を信じろとイエスという方が来られたらしい。私が地上に送る「霊(聖霊)」に繋がっていなさいとしきりに語っているということなのだ。どこにつなげるか、それが前に書いた「自分の根」とうことだが・・・。「神は霊である」とはっきり書かれているからな。なぜか、「あの世」の方面の話になってしまった。


☕ ぽかぽか陽気、町中散歩、また小難しくからだのことを考える

2021-04-03 05:50:35 | 日記

  チャリンコで町中にお散歩にいく。いろいろ体はそれなりに動かしているが、歳を重ねて机上の仕事もやるが、所謂、からだ全体を動かしていないのでフレィルという奴?になるだろうと、その防止もあり。これは一昔前は、エコノミー症候群とか言われたもので飛行機でエコノミークラスという狭い座席に乗っての長時間は、血流が悪くなり血管に血栓をつくり死亡する人もでたとか。だから、体を動かさなくなる年寄りは、それなりに体を動かさなくてはいけないと天気がよい日は散歩する高齢者が多く見られるのはいずこにもあり。これは良いことである。◆昔、出張で隣国にいくと早朝から、太極拳やらバトミントンをしている一団が時折、町中の道路の空き地で行っているのを見かけた。何故なのかと若い頃は不思議にも思っていたが、歳を重ねると体のあちこちがきしんでいるのが、意識として分かるようになる。からだ全体を行き巡る血管と神経系のあたりまえの働きの増進とまではいかなくとも、それは快適思考の維持ために必要なことである。頭脳明晰といっても元もとそうではないのだから、今以上劣化したらどうなるん?と維持をはかるためにも、こうしてキーボードを打つのは理にかなっていると。しかし、また、長時間座り続けるのもよくないということである。体全体の適度な運動の必要性。エネルギー源となる栄養や神経系の要素、ホルモンバランスをはかるにもビタミンなどの栄養を隅々まで運ぶ、血管などそれにそれに隅々まで貼り付いている神経系を体を動かすことによって、柔軟にしておく、血管詰まりでとどまらないように、というのが本来の運動しましょう!の意味なのだ。スポーツ選手が記録を伸ばすという競技は、また別の話である。からだ全体の劣化は、足から来る、というのは本当で、学生時代、サイクリング部だったが、しばらくぶりで乗ると筋肉が落ちてふらつくことを体験。頭脳も体も使い続ける、そして出来うるなら少し、過剰なストレスにならないようにではあるが苦手なことにも挑戦してみよう。