marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(842回) ぽかぽか陽気、冷たい「異界」への招待

2021-04-24 09:34:07 | 日記

◆それはイエスが語った種まきの例え、”自分の根”がないから神の言葉が語られても、逃してしまうという話。(マルコによる福音書4章17節) 今風に言えば、神の独り子と言われたイエスは、われわれ人が創造された意味とそのシステムを理解し、信ずる人に開示した。正しく言えば、開示されていて信じる人が現れる。・・・そういう意味で、世界のベストセラーの言葉は、この刻々と動いている「場」に現存するが、我々には分からない(感受して分かる人もいるが、ほとんどは分からない)。「異界」の世界にも通じていて、イエスはその方面からも語られるのである。だから、ただ読んでも分からない部分がある。この世の次元で読めば非常に理解に困難な言葉がある。ましてや旧約はなおさらである。◆だから、読むには、今、この場に、この時点で、この時間、で静止して、彼の声を聞かねばいけない。第一、霊に関することなので注意しないといけない。どれもが、僕らには分からない言葉が多いが、すべての人に関係しているものだしおかしな霊というのも入り込んでくるものだから。これも同じ例えの中にある。◆仏教における坐禅も同じようだ。ただ、そこでは言葉にする(意識下に置く)ことも雑念と言われる。その所作の中に、その「場」に仏の(神の)声を観応する。「観」であると言われる。

◆雑念が入らぬよう環境を整え、体調を点検し、静まって止観する。僕の場合は、目を開けているほうが体の平衡とビジュアルな光がものごとを細密に描き出していることに肉体の平衡が保たれるように思われる。脳の中のどこにあるのだろうか、その神の声、仏の悟りへの受信器は・・・・前頭葉と間脳(松果体のある脳中心)の間の”偏とう帯”というあたりに僕はそのありかを感じるのだ・・・。

◆「異界」からは、光の招待もあれば、冷たいと感ずる暗闇からの招待者も顔を出す。後者は、ぬめぬめした黒い輪郭がはっきりしないがサンショウウオのような形をして、黒い瞳で目は黄色、大きく裂けたような口からは長い赤い先の割れた舌👅をヒョロヒョロ出して、よだれをたらしながらくねらせている。空間が裂けて格子戸をあけるようにこちらをのぞき込む。その時、とても寒いと感ずるのだ。そして、心臓の後の背中がとても痛くなる。僕は、そんな時、この地上に落とされてうろつきまわっている悪霊というのが本当にいるんだな、と思ってしまう。


世界のベストセラーを読む(841回) あたたかくなった一日、陽の下でまた小難しいこと考えていた

2021-04-24 09:00:00 | 思想・哲学

◆桜も咲いていい天気。先週、雨が降り始めて桜も散り始めるか。年度になり、社会との接触と言えば大げさなのだが、コミュニケーションとをとらないと、これは声を出し、会話をし、他者との交わりをコロナ禍の中で留意しながらの毎日。カテゴリーを思想・哲学に今回置き換えたのは、ブログお休み時に遠い昔、学生時代購入した古くはなったが、書棚から本を引っ張り出してきて・・・学生時代読んだ一見小難しい内容。◆こういう内容を理解するには、一つに知りたいという内的欲求があればなのだが、何故、こんな本を読みたいと思ったのかは、要するに僕は何故、楽しいということを自分の肉体で体験できないのかということに尽きるのだけれど。◆・・・メモ 「言語と思考」、「精神身体医学」いずれもポール・シャール著(白水社 文庫クセジュ) 学生時代読んだのだが、身体にも疲れが見えて、思考も脳細胞が劣化し始めてくると改めて、我がことであると真摯に受け止め、古い本であるし内容もより進化しているのだろうけれど、改めて生き物である人の何たるかは、遺伝はともかく幼少のことからの生理医学的なこと、特に脳への影響を考慮すると、僕などは、こどもの勉強以前、まず、人とはいかなるものかを親からして学ばなくてはいけないのではないかと思わされるのであった。あぁ、僕はまさに「遅れている青年」だったのだ。◆大江健三郎に「遅れてきた青年」という小説があるが、時代、戦争に遅れてきたという意で、僕の場合は、幼少期7歳ころまでにこどもの大切な脳の基礎ができうるに、まったく理想的な書かれた内容からは「遅れていた青年」だったということなのだ。僕が”ひとつのこと”を求めたいという欲求は、どうもそこに原因がありそうだ。


☕ (その3)世界でコロナによる死亡者が300万人も超えた社会の中で

2021-04-24 07:40:16 | 日記
 
世界のベストセラーを読む(655回) (3/3)退任牧師からの質問状と僕の回答

(四)親愛なる兄弟に質問します。 1)一から三までの問いかけは現実的でしようか。共通の認識としていただけるでしようか。 2)この解答として教会は十字架と復活を伝えているのですが説得......
 

◆多くの人は思うだろう。第一、死についてこねくり回して考えてもそれは、普段の人にとってのそれは、葬儀がいくらかかるとか、どのように行うか、などのあくまでその亡くなったという遺体の処置に限られるのであって、生きること、死ぬこととは・・・などと考えも及ばないというところだろうと。死んだ後のことは分からないのだし、面倒なことは考えずに、ご先祖様のしきたりに従ってやっていただければいいのではないの、と。◆しかし、キリスト教は、心情的に殆ど人の世の善悪や他人への施しや、また奉仕などのことを語るが、実はそれらのことを差し置いても、実は ”生きること、死ぬこと” とはどういうことなのかを明確に語っているのである。ずいぶん大上段に構えているではないかと誰しもが思うのだが、生きていることは同時に死と隣り合わせ、とそのことを考える。仏教も実はその願いは同じなのである。「この身、今生に度せずんば、いずくの生に於いてか度せん」(これは真言宗の「智山勤行式」のなかの一節である。)いま、実際に生きている日常のことにおいて、死は隣あわせであり、「悟り」は、今を生きる中にあるということ。何も難しいことはない。イエスは、大切なのは「ただ、ひとつである」と言うのである。


☕ (その2)世界でコロナによる死亡者が300万人も超えた社会の中で

2021-04-24 07:22:17 | 日記
 
世界のベストセラーを読む(654回) (2/3)退任牧師からの講演記事と質問状

(三)佐伯啓示先生の死生観 現実の世界では人間は欲望を持ち、ものを所有して喜び、自我をどこまでも膨張させ、最後は病院のベッドに括り付けられ死んで行く。キリスト教のように肉体は滅びて......
 

◆「佐伯」という名字の先生方は、あの弘法大師空海の父方が”佐伯”、母方の方が”阿刀田”というのではなかったかな。それで、たまたま、近くの病院に行ったとき、診察されたお医者が「佐伯」という名字のプレートを胸につけておられたので、失礼ながら先生のお寺の宗派をお尋ねしたのだが、やはり、もともとご実家は真言宗という。今は、近くに寺がないので臨済宗の寺としているらしい。それで、先の空海さん関連の名字を言うと、当然のように知っておられた。関西から向こうだな、昔、こっちに先祖が流れて来たんだな、と笑って応えられた。佐伯ヨシロウという学者さんが、空海とキリスト教(ネストリウス)の関係の研究をされて居られたな。◆空海さんの幼少時の俗名は佐伯眞魚(さえきのまお)と言う。


☕ 世界でコロナによる死亡者が300万人も超えた社会の中で

2021-04-24 06:19:16 | 日記
 
世界のベストセラーを読む(653回) (1/3)退任牧師からの講演記事と質問状

649回目の冒頭記載の宿題と思いつつも'20年の教会歴イースター12日にかけて、敬愛する退任牧師から続けて、先方での”信仰を語る会”での原稿が送られてきて、それに質問がありました。......
 

◆昨年'20年の4月18日から立て続けて3日間の投稿だった。内容は面白くはない。しかし、現状に目を覚ますと新型ウィルスによる死亡者が’21年4月21日午後7時現在で世界で304.6万人、日本では9700人を超えたという記事が、ネットのニュースに流れている。’死’はありふれた怖い日常の脅威となった。しかも人との会話から発生率が高いということで、もう人間の社会ではなくなってきたなぁと思う。第一、死ぬことについては、自分の言葉であれこれ普段、考えないものだろうから。本来、普段の生活のすべての困難の中から人それぞれは、自分なりの答えを見いだしていくものであろうと、それは地上に生まれて次の世界に旅立っていく僕らの宿題なのだと僕は思う。◆「メメント・モリ」(常に死を思え)という言葉があった。人は生きていることが当たり前と思う世界で、死を思うことは、人生を、この時間を真摯に生きるべしとの教訓たる言葉であったのだが・・・。