連休初日、90歳の夫が無事に「六甲男声合唱団の定期公演」の舞台で合唱することが
出来ました。
これが最後だと思います。これまでの2年間、毎週火曜日に暑い日も寒い日も片道
2時間近くかけて都内の教会を借りての練習が続いていました。その集大成の日が
無事に満席で盛会に終わって本人も家族もホッとしているところです。(過去の画像です)
六甲男声合唱団は間口が広く、神戸大など旧3商大はじめ他大学のシニアの方々に
よって構成されています。定期演奏会を目標に、企画その他全ての準備を団員で
行うのですから若手シニアの団員さんは大変です。
皆さん学生時代に戻って、頑張られています.(超高齢者は免責です。)
今回は神戸女学院大学OGのKCめぐみ女性合唱団の応援もあり深紅の素敵なドレス姿で
最後のステージを絢爛豪華に飾って頂きました。(スマホ禁止で撮影出来なくて残念でした。)
年齢を重ね、夫はかなり方向感覚が弱っているので毎週、娘が会社の帰りに落ち合って
練習場の教会まで送り届けていました。大学グリークラブの仲間たちと合唱することが
父親の最大の生き甲斐だからです。今回の本番も朝早くから重い荷物を持って付き添って
くれましたので、助かりました。時間ギリギリに着いたら「奥様ですか?」と言われて
少々ショックだったようです。家では嫁にも行かず困った娘です。私以上に父親に気を
遣う娘なのです。夫はいつも「どうして彼氏ができないのかなー」とこぼしています。
私はといえば、長年の尊敬する友人2人と久しぶりに会えて話に花、
応援して下さることに感謝して楽しいひとときを満喫しました。
左Iさん(社宅友達79歳、いまも依頼されて公立高校の英語講師を勤める私の尊敬する女性シニア)
右Gさん(当年90歳の秋田美人、夫同士が戦前、大連下藤小学校の同級生、毎日5000~10000歩かれ
ダンスも歌も得意、今もシニアのおじさん達の手作りパン教室の先生です。)
私は80代になるまで自分をいわゆる老人だと自覚していませんでした。かなり頑張れていました。
でも身体の老化現象は正直に現れ始めていました。脊椎管狭窄症、座骨神経痛、から始まり
今は膝痛、その他で毎日の生活が少なからず支障を来しています。歩く速さや動作も以前
ような勢いはなくなってきました。老々介護もあり、残念ながらこれが進むことは
あっても元にもどることは期待薄だと思っています。
そんな私を今支えてくれいるのが加入している2つの生協です。
毎週、月曜と金曜にそれぞれ主に食料品や日用品の配達をしてもらっています。申し込みはずっと
パソコンを通して行っています。お魚や新鮮な野菜類の買い物は週2回ほど大きなスーパー二出向いています。
生協もたくさんあって、それぞれの特徴があるようです。40年の長い付き合いの生協は近くに
お店のある「おうちコーポ」ですが、一般のスーパーとさほど変わりはない感じです。
娘に勧められた「生活クラブ生協」はかなり組合員の主義主張があってこだわりもある
生協だと感じています。毎週決まった曜日の配達にいつも助けられ感謝している日々です。
(10年程前に都心のマンションに越していたれた友人に戴いたボタンの花、咲かない年も
ありましたが今年は2輪咲いてくれました。)
桃の花が咲くと子供の頃のひな祭りを思い出します。長崎では春休み中の4月3日が
桃の節句でした。
母が五段飾りのおひな様を毎年飾ってくれていました。近所の友達のおひな様を見に行ったり
ご馳走を食べたり楽しい思い出になっています。関東圏での3月3日の雛祭りは季節がずれていて
味気ないと個人的には思っています。3月でも4月にしても都合のいい方でいいのですが、3月
だと小中高校では受験や学期末試験などでゆっくり楽しんで祝えないのでは思ったりします。
子供の祝日としては、お国は5月5日のこどもの日(端午の節句)に男女纏めて祝日にして
それが定着しているようです。今やジェンダーの時代ですから。
こんなことを呟いている私ですがここ数10年五段飾などは飾ったことがない怠け者です。
(最近の写真がないのでいにしえの写真です。)
度重なる引っ越しでひな壇は壊れて代わりに買った金属製のひな壇は組み立てるのが難しく
娘達もおばさんになってしまい、近年はお内裏様だけ飾っていましたが、80代になるとそれも
2月の確定申告疲れという理由で飾らず仕舞いが続いています。
(ひな人形入れの稼働ダンス、空にするつもりでしたが)
いよいよ今回護り雛としてお内裏様だけ残して終活しようとしたのですが、どうしても
お別れすることが出来ず、先送りすることなりました。
昨年暮れからぼちぼち始めていた断捨離ですが、今年になっていろいろあって暫く頓挫しています。
先月数軒の不要品の引き取り業者さんを呼んで、ある程度引き取って貰いました。
他所で断わられた物でも引き取りますという業者、着物専門の業者、近くのリサイクル業者さんなど。
その結局大きな物、タンスや観音開きのガラス扉の本箱などはそれぞれ¥5000~¥8.000支払って
持っていってもらいました。自治体の粗大ゴミに出すと安いのですが、大きくて重いものは私ども
老家族では門の外まで運べないので仕方がありません。
先日近くの住宅展示場に立ち寄りましてが、最近のモデルハウスではクローゼットなどの
収納場所が予め設計に組み込まれていました。今は収納家具をあまり置かないようになっていて、
なるほどその方が引っ越しの際にも簡単で合理的な訳ですね。
これまでに古本などはこつこつと半分ほどに減らしました。夫が昔、メキシコに長期滞在した際に
購入して持ち帰ったコーヒーテーブルは使っていないので引き取って貰えないかと交渉したら、
元々安物だったようでしかもメキシコ製だど値段も付かないし粗大ごみで出すしかないと言われました。
それを聞いた夫はいつでも捨てられるのだから今は捨てないと言い出して、私も疲れも出て頓挫して
しまっています。↓こちらの大きな使い勝手の悪い、殆ど使っていないテーブルも場所取りなのですが
一生捨てないそうです。時々私が整理しますが、直ぐこの状態になります。
でもこうして生前整理をしていて感じることは、夫がかって一生懸命(家族のためにも)働いてきて
くれたことがよく分かり、今更ながら感謝の気持ちが湧いてきていることです。
私こと80代になりましてから、一昨年は脊椎管狭窄症、昨年は椎間板ヘルニア、今年になると
膝痛と否が応でも加齢を思い知らされる辛いサインが身体から出て来て閉口していました。
最近それぞれの嫌な症状がなくなりどうやらこれらは一応退散してくれたような感じがしています。
でも歩行スピードも落ちて、動作も鈍くなりくたびれやすくなってきました。
それでも毎日の夕食作りは好きなものを自分で作りたいので私なりに頑張っています。
時短、簡単、上手に手抜き出来るレシピを選んでいます。ネットで見つけたウクライナの
「ボルシチの素」は我が家の冬の洋風鍋料理の定番になりました。ビーツを入れると更に美味しく
今度はサワクリームも乗せてみたい。実際はもっといい色なのですが。
濃縮コンテンツ12瓶で¥5,500でした。1回1瓶程度なので友人や娘と分け合いました。
先日朝イチでNHKで働いているウクライナ出身のカテリーナさんが(28歳)ウクライナに戻って
現地の状状を詳しく報道してくれました。日常の中の戦争、戦争の中の日常で、希望を描くことの
出来ない現地の人々の「今」に悲しみとやりきれない悔しい思いを抱きました。
カテリーナさんがご実家で5年振りに両親と再会された日の夕食は勿論「ボルシチ」でした。
↓(その時のテレビより)
ご覧になられた方も多いと思いますが、彼女の帰国を機会に大学の同窓会が催されたそうです。
卒業式の時ペアを組んだX君は戦場にいる為、欠席だったそうです。その数週間後、
X君が戦死したとという連絡通知が廻ってきたそうでこのような日常に言葉もありません。
こんな理不尽な弱い者虐めの戦争がいつまで続くのでしょうか。
加担する国、利用する国、支援する国、それぞれ欲得があるようですが良く理解出来ません。
独裁者のやることは何千年も前と変わってないようです。暴力で領土を広げることがまか
り通らないにことを願って、とにかく一日も早い停戦を願うばかりです。
私は読書家ではないのですが、新聞を読むのが大好きで新聞小説も最低1本は読んでいます。
辻原登氏の「陥穽」は明治維新の頃、日本外交の礎を築いた陸奥宗広の青春期までを描いて
ありました。コツコツ読んでいましたが浅学微才の私にはかなり難しいものでした。
その頃の歴史には弱いのですが、勉強になりました。
本棚の終活整理をしていた時に、外交官で評論家の岡崎久彦氏の書かれた陸奥宗光(上・下)を
発見したことを思い出し手にしました。岡崎久彦氏は、外交官として在タイ、サウジアラビア、
イエメン大使などを歴任され又評論家としても活躍された超秀才でエレガントな風貌の方でした。
残念ながら2014年に84歳でお亡くなりになっています。
今回知ったのですが岡崎久彦氏の祖父の岡崎邦輔氏は陸奥宗光の従弟に当たるとのことで
外交官を目指されたのも外交官になられてからも陸奥宗光の影響が強かったのではと思いました。
上下で5~6センチ厚さの著書ですが、分かりやすい文章ですので、その内にパラパラと
読んでみようと大切に保管しています。
昨秋から始まった地域の高齢者向き「Word」のパソコン教室は毎回が貴重な2時間でした。
毎回、新たな発見があって、熱心な先生の指導に受講者も熱気を帯びていました。
只、その場でなるほどと分かった知識も、右から左に素通りしてしまいがちなので努めて
復習しなくてはいけないと思っています。兎に角お天気にも健康にも恵まれて1回も休む
ことなく通えて自己満足しています。
今日は都心に雪が積もりここ多摩地域も30~40センチほど積もりました。
ここは小高い丘で雪深いところなのでので、昔から雪情報には注意しています。住民が
少なかった頃はバスはすぐ止まっていましたので、家族を駅まで送迎するため、夫は殆
いなかったし、雪空の道路でチェーンを巻いていました。いざとなれば何でも出来たのですね。
最近越されてきた近所の若いご家族の旦那様達が朝から雪かきをされているので、私も取り敢えず
滑らないよう骨折しないように、最近買った新兵器の雪かきで最低限の雪かきをしました。
真ん中の黄色のが押すだけで殆ど持ち上げなくてすむかなり楽な道具であることを発見したのでした。
朝ドラ「ブギウギ」は往年の歌手笠置シズ子さんの伝記を元に脚本化してあると聞いています。
笠置シズ子さんといえば私が小学生の頃大活躍した方です。とても元気で明るくて早口の大阪弁の
お姉さま、おばさまという印象が残っています。そのシズ子さんの幼い頃からの人生ドラマは
起伏に富み、毎日見てしまいます。笠置シズ子さんといえば私は何故か?
「銀座カンカン娘」の歌を思い浮かべてしまうのです。(勿論服部良一さん作曲です。)
映画に高峰秀子さんと共演されたときの主題歌です。
今でも地下鉄銀座駅では70年前にヒットしたこの曲が流れていますね。懐かしい!
あの底抜けに朗らかなシズ子さんが、ドラマで拝見したような切なくて悲しい恋をされて母に
なられたとは想像も出来ませんでした。
スズ子さんを演じる趣里さんも水谷豊さんと伊藤蘭さんの娘さんということで興味津々です。
歌って踊って演じるという主役に抜擢されただけに素晴らしい実力だと思っています
↑(テレビより)↓
45年程前に西荻窪の地蔵坂上近くに住んでいたのですが、西荻窪駅に行く途中に蘭さんの下宿先
の家がありました。キャンデーズの蘭さんには「近所の女の子」的な親しみを家族で持っていました。
趣里さんはご両親から引き継がれたDNAに努力をプラスされてこれからも益々活躍されることでしょう。
楽しみにしています。
私はここ1~2年大好きな江戸前寿司(握り寿司)やお刺身を頂くのを躊躇しているのです。
馬鹿げたことだと笑われるかも知れませんが、アニサキスが怖いのです。
新聞やテレビでアニサキスと言う言葉が急増して最近は知らない人は少ないと思います。
運悪くに腹痛になって病院で治療を受けた方々のお話を見聞きすると、高齢の自分だったら
とても内視鏡等などの検査に耐えられないと臆病になってしまっています。
でも偶にスーパーで美味しそうな握り寿司や本まぐろのお刺身が特価になっていたりしたときは
我慢できずに恐る恐るかごに入れて買ってしまうのですが、アニサキスらしいものがついて
いないか見ながらいただいているのです。(トホホ、、)
↓厚生省もホームページでアニサキスに関しての注意を呼びかけています。
Zoom の仲間のAさんはお寿司屋さんで食べていて鮭に白いアニサキスが
付いているのに気がついたそうです。目がいいのですね。
食べても無事にすんなりと体外に出て行く場合が多いそうですが、、、、
でも患者は年々増えているそうです。
数年前にネットで大学の先生がある物質を生の魚に照射して魚の鮮度には全く影響なく
アニキキスのみを消滅させる機械を作られたという記事を目にしました。そして2025年頃には
その設備が普及し始めるだろうとのことでしたが、その後この件に関しての報道は見当たりません。
アニサキス症にを起こさないようにするには
☆-20℃で24時間以上冷凍ををする。 (これが決め手のようです。)
美味しい江戸前寿司を安心して食べたいと願っている臆病者の私です。
皆様はどのように対処していらっしゃるのかな?と思っています。
昨年から始めて夏に一旦中断した断捨離暮れにに向けてけて再開していました。
何しろ40年間この地に定住して引越しがなく地下室含め180平米の室内にモノががたまりに
溜まっているのです。一番占拠率が高いのが夫関係のモノ。何10年も前の仕事関係の書類の山々
頂いたり買ったりして抱え込んだ本類(ただ今1/4減にして本箱と共にを地下に下ろして整理中)
そうして ブランド品を含む背広、コート類の数々、ゴルフウエア、式服,合唱式服などの
オンパレード(海外出張で見劣りしない服装でと私も一緒に張り込んで買ったものが多いのですが)
その他出張先で薦められて買ったり頂いたりしたらしい置物、飾り物の山、変なお面や好みの収集品、
今や見ただけで気が重くなってしまいます。
一部屋を空にしてリモデルする必要がありますので、出来るだけ毎日数時間費やしてそれぞれ
せめて1/3ぐらいまで減らそうとしています。
夫は終戦直後、中国の大連から家財道具の全てを放棄して、まさに着の身着のままで引き揚げ船で
家族5人命からがら帰国していますのでモノに執着して捨てることが出来ない習性を持っているようです。
2~3年前まで断捨離に反対していましたが、最近やっと任せてくれるようになったのでほっとして
私はやる気が出ています。取捨選択しながら頑張っています。夫も私もある程度好みのモノに囲まれて
生活することに快適さを感じるほうですので、今はやりのミニマリストならぬマキシマリストの傾向が
あるかもしれません。
暮れから長いことブログを休止してしまいました。書く気力を失っていました。
昨年暮れに親族の一人が腸閉塞で突然入院、普通であれば内科での治療で2~3日で
回復する場合が多いと言われていいるのですが、1週間経っても回復の兆候がなく
事態が治まらないので内科から消化器外科に移されて、翌々日の手術日が決まり
インフォームドコンセントの説明を受けたのでした。
日が経つにつれてことの重大さに押しつぶされて眠れぬ夜が続きました。
望まれない手術ですが手術となれば「まな板の鯉」神の手を持つ医師にお任せして、
成功を祈るのみでした。ところが手術の成功を祈願していた手術予定日の朝、
奇跡の連絡があり、「回復の兆候が出ているので手術は取りやめになった。」との連絡が入ってきたのでした。
本当に信じていいのか喜んでいいのか戸惑う思いでした。落ち着いて事態を把握して
神に感謝、取り組んで下さった担当医に感謝感激の気持ちで一杯でした。
その後順調に回復しましてお陰様で新年も無事に迎えることができました。
正月早々プライベートな独り言で失礼致しました。
後述になりましたが、新年早々の能登半島地震で、いきなり震度7.6の大地震に襲われた能登半島の
被災者の方々のことを思うと胸が潰れる思いです。寒さとショック、物理的不自由さで心身の疲労
極限状態だと思います。昔、歴史散歩会のバス旅行で能登半島の歴史地点をめぐり一周しました。
由緒ある総持寺(総持寺祖院)が大変印象に残っていますが、一番震度が酷いところだったので案じています。
人間の操作できない地中の自然現象は何と無情なことか。
地震のあまりなかった故郷富山もかなりの被害があったようです。
これ以上の余震がおきないように、一日も早い復旧復興を祈っています。
先日久しぶりにオペラシティに歌劇「トスカ」を聴きに行きましたのでその感動と
余韻を書いておこうと思います。
会員になっているシティフィルによる演奏会形式でした。オーケストラの中心で
オペラ歌手の方々が指揮者と向かい合ってオペラを熱唱されるのです。
絢爛豪華な舞台での演技や立ち回りはなくて、オーケストラの演奏をバックに
オペラの歌曲を集中して歌われるのです。大勢の合唱団のバックアップもありました。
プッチイニーの三大オペラの一つで有名な「トスカ」とあって平日でしたが
ほぼ満席でした。時代は1800年初め頃のローマが舞台です。全曲を通して聞き慣れた曲が
多く美しい主役同志の二重唱など馴染みの曲が次から次へと盛り上がりました。
アリア「歌に生き、恋に生き」や「星は光ぬ」などは声楽の先生になった友人が
音楽会でよく歌っていたので、この場面での歌なのだと親しみを感じ納得でした。
分かりやすい字幕が出ていましたので物語りの成り行きはよく理解出来ました。
それにしても、今回の主役級のお三方のオーケストラをバックにしての歌唱力の素晴らしさには驚きました。
世界的に認められている方々ですが、一見華奢な体格から、会場に響き渡る声量でした。
歌手の方々は天与の素晴らしい声という楽器に磨きをかけて人々を楽しませて下さるのだと思います。
数年前にオペラ鑑賞は高額で高嶺の花なのでせめてDVDで楽しもうとオペラのDVDを買い揃えました。
このDVDで「トスカ」を鑑賞ていましたので、その時の舞台のイメージが蘇り、
舞台での素晴らしいオペラ鑑賞を味わえた気分でした。
帰宅したら11時過ぎで、こういう時は都心に住めたらいいなあとため息を
ついてしまいました。
新浪氏の直言を目にしてこの国の政治に対する大変貴重な発言だと賛同しています。
私も常々国政選挙が必要以上に頻繁に行われているのではないかと思っています。
議員の方達もしっかりと落ち着ちついて本来の仕事が出来ないのではないかと思います。
そして選挙は国や立候補者にとり大金もかかり、国民の大切な時間も費やされます。
特に若い方達、働き盛りの方達は貴重な休日の時間を割くことになるのではないでしょうか?
国の選挙でその先4年間を託された議員さん達も、解散権を持つ首相の党利党略等で1~2年
もしないうちによく訳の分からない解散総選挙が繰り返されるのであれば、いつも次の選挙を
先ず気にしながらで大切な国政や外交等の仕事にしっかりと腰を据えて取り組めないのではない
かなと案じています。
夫が懇意にしていただいていたK様が数ヶ月前に急逝されました。
お互いに在職中に知り合っていたようです。某会社の社長さんまでなさった方ですが、
とても明るくて気さくで社交的な方で第一印象は風貌大変大変失礼な譬えですが)
故藤田まことさんにそっくりな感じでした。陽気で明るい雰囲気の方でした。
退職後は情報関係の事務所を立ち上げられて多くのシニア仲間に集いの場を開いて
下さっていました。夫もずっと月に1回出かけることを楽しみにしていたのですが、
最近は意欲が衰えて、ご無沙汰がちでした。
春頃から再び通い始めたのですが、方向感覚が悪いので場所に辿り着けずに戻ってきたりして落ち込んで
いました。それで最近はいつも目的地まで付き添って行くことにしています。最後の日、部屋まで送り
届けると、K様にも10数年ぶりにお会いすることが出来てご挨拶をすることが出来ました。
K様は最愛の奥様に(鎌倉文学館がごお住まいであられたようです。)5年ほど前に先立たれて、
最近はお元気がないように伺っていました。お会いしてみて以前の明るい豪放磊落さや気力が
失せられて、笑顔はあってもお疲れのご様子が伺えました。
その後、思いもかけない訃報のメールが事務所から届いてK様がその1週間後に急逝されたことを知り
衝撃を受けました。80代後半でいらっしゃいました。多くの方々に慕われていらした方でした。
こんなに急に逝かれてメンバーの皆達達も残念至極だったと思います。そのK様の1度きりの「お別れ会」
ですから、絶対ミスすることは出来ませんでした。ご冥福を心から祈っています。
その日は丸の内の会場まで送り届けた後、近くのスタバで終わるまで待機しました。
行く機会がないスタバではじめて2時間待機、新聞3日分と読みかけの
本も集中して読めました。終わると日が暮れ始めていました。