箱根は元気を取り戻してきていました。

2022-10-29 | 旅行

娘の持っているリゾートクラブのポイントの期限が10月中ということでしたので、偶々予約の取れた

先週末に夏の疲れも取れていなかったのですが、出かけました。久しく旅行に出ていない上に、

急に決めて出かけたので、忘れ物の多い準備でした。只2泊3日ともお天気にだけは恵まれました。

まずフリーパスで御殿場アウトレットに施設巡りバスで行き、ニューバランスで足のかたちを測ってもらい

ウォーキングシューズを買いました。機械で足の特徴を測って合うサイズを探してくれる仕組みとか。

      

ここのアウトレットは眺めもいいのでウインドウショッピングをしながらウォーキングを楽しむつもりでしたが

夫には腰痛が出て、私は前夜温泉の湯が熱すぎたのかよく眠れず、あまり歩き回れずに食べて帰ることにしました。

  

夜は強羅の宿のすぐ傍にある「田村銀かつ亭」で今回は「銀かつ=豆腐かつ」ではなくて「ヒレかつ」を戴きました。

今や旅雑誌などでよく知れ渡っていて、夕方5時になると何処からともなく多くの老若男女が集まって行列が

出来るお店なのです。お値段が手ごろで美味しいのです。以前戴いた「銀かつ」は少し淡白だったので今回は

ヒレかつにしましたら正解でした。柔らかくてジューシーでした。

     

翌日も暖かくロープウェイで大涌谷を経て桃源台へ。ロープウェイからは富士山も見えて大満足でした。

紅葉はまだまだのようで11月の下旬頃になるのでしょうか?

   

元箱根まで海賊船に乗りました。船の中では日本語以外のいろいろな国の言葉が聞こえてきました。

娘が言うには円安効果とコロナ入国解除で早速多くの外国人観光客が入ってきているそうです。

箱根は元気を取り戻してきていました。

   


ドイツ各地をツアーで廻りポツダムで感じたこと。

2022-08-15 | 旅行

海外旅行の機会には色々の事情であまり恵まれなかった私ですが、2007年6月に10日間のドイツ周遊ツアーに

夫と参加することが出来ました。あの頃は、若い方々もリタイヤ―後のシニア世代の人々も「百聞は一見にしかず」と

世界中の各地に出かけることが出来たいい時代だったような気がします。

ドイツ旅行で訪ねた場所の中で今一番強く思い出されるところがベルリンのポツダムです。

世界遺産のポツダム宮殿と庭園観光をした後、私達はポツダム会談が行われたツェツィーリエンホーフ宮殿に

案内されました。太平洋戦争終結のシンボルともいわれるポツダム宣言をめぐる会談が行われた場所です。

学のない私が調べましたら、ポツダム宣言は、1945年7月26日にベルリン郊外のポツダムで開かれた

トルーマン・アメリカ大統領,チャーチル・イギリス首相,スターリン・ソ連首相による3国巨頭会談で決定

されたのち,蔣介石中華民国総統の同意をえて米英中3国首脳の名で発表されとのこと。

ソ連は日ソ中立条約が有効期間中であったため署名せず,45年8月8日の対日宣戦布告の後この宣言に署名した

そうで、それが今日も日本を悩ませている、北方四島問題に繋がっているのだと思います。

そこで撮った写真ですが、左からチャーチル首相、ルーズベルト大統領、(逝去され、アメリカ代表は

トルーマン大統領に代わっています)一番右がスターリン首相。

各代表の滞在された部屋を見ることが出来たのですが、驚いたのはスターリンの部屋の威容で圧倒的な

立派さでした。イギリス、アメリカが一番の戦勝国で主導していたと思っていたのですが、ドイツを制した

ソ連のスターリンは写真等見ても大変威圧的で威張っている感じがしました。昔小学上級生の頃、新聞の見出しで

「スターリン再び、何十万人に血の静粛」という記事を何度も繰り返し読んで、子供心にもスターリンという人は

冷酷で恐ろしい人だと思っていました。ロシアは今でもドイツを降伏させた翌日の5月9日を戦勝記念日として

大々的に国を挙げて祝っているようですね。

そして一番残念に感じたことは3国同盟の相手方であったイタリアが1944年9月に降伏、更にドイツもナチスの

崩壊で1945年の5月8日に降伏したのに、日本だけは頑なに孤軍奮闘して8月まで勝ち目のない戦争を続けて

原爆の被害に至るまで多くの犠牲を重ねてしまったことです。

東方の島国で世界の情勢に疎かったのでしょうか?

これから先、日本は国も人々も閉じこもらずに、世界の実情を知ることが求められていると思っています。

 


3日目は元箱根方面に行きました。

2021-10-04 | 旅行

3日目も晴天に恵まれました。宿はチェックアウトしましたのでカートを引いて登山ケーブルカーで

早雲山を目指しました。見晴らし台駅で箱根ロープウェイに乗り換え更に大涌谷駅で桃源台行きの

ロープウェイに乗り換えました。大涌谷は大きな階段状のコンクリート工事が施されていて

湯けむりが以前より多いように感じました。

桃源台から元箱根側まで海賊船で渡ったのですが、ニ女が箱根恩賜公園に行ってみたいと言うので

(小学生だった孫娘2人を連れてこの公園でお弁当を食べた思い出があります。)

元箱根港で降りました。そこから恩寵公園や杉並木に沿って箱根関所・資料館脇を通り抜け

元箱根迄歩きました。このあたりに旧東海道の石畳の出口があるはずです。

昔、髭の梶さん歴史深歩会で湯本から元箱根まで旧東海道を歩いて登ったとを思い出しました。

天下の険と云われますがその頃の私はそれ程苦痛なく登れたように覚えています。

その時は日帰りの旅でした。

別の機会の深歩会で石仏群やお玉が池を廻ったりこの辺りのあるお寺を訪れましたが、

そのお寺で明治初期の激しい廃仏毀釈の歴史を知りました。石仏や仏具等多くのものが

芦ノ湖に投げ捨てられたそうです。後に出来る限りのものが引き上げられたということでしたが。

源頼朝の挙兵にも関わりのある由緒ある「箱根神社」など元箱根は歴史の宝庫でもあると思います。

以前資料館に大石内蔵助の「借用書」なるものが展示されていたのを憶えています。赤穂から

50名以上での箱根越えは経済的にも大変だったことでしょうが、片道で復路はなかったのですね。

その日の楽しみはイタリアンレストラン「芦ノ湖テラス」でのピザ「マルガリータ」でした。

案の定、記名して30分以上待ちました。その間玉村豊男ライフアートミュージアムを見学していました。

¥1.800のピザは食べきれなくて、持ち帰り用に包んでもらました。娘達はサラダを満喫していました。

     芦ノ湖テラス              マルガリータ

箱根神社には別の機会にお参りすることにして、箱根新道の直通バスで湯本から帰路につきました。


箱根の観光は始動し始めていました。

2021-10-03 | 旅行

コロナ自粛の解禁前でしたが、久しぶりに2泊3日の箱根小旅行に行ってきました。

三女が会員になっているサンダンスリゾートクラブのポイント利用期限が近づいていたので、

近場の箱根に決めました。他の姉妹も飛び入りして5人になり姦しい旅行となり疲れてしまいました。

いつも箱根旅行では強羅に宿泊することにして、反時計回りで帰ってきています。

昔は車で行ったこともありましたが、最近は専ら小田急の「2泊3日フリーきっぷ」を利用しています。

往復全ての運賃が一人5000円台で済むのです。今回は晴天に恵まれました。

久しぶりに一軒家を留守にするとなると、あれやこれやとやるべきことが多くて、のろまの私は

手間取り出発はいつも午後になります。1日目はのんびりと宿に着くだけです。

快速電車も箱根登山鉄道も空いていてゆっくりと読書を楽しめました。

2日目に「御殿場アウトレット」に行く為に乗った「施設巡りバス」は快晴に恵まれ

ドライブを楽しめました。乙女峠付近では運転手さんがシャッターチャンスの為に

停止してくれて、初冠雪直前の富士山を仰いでいい写真が撮れました。

アウトレットでの私の目的はウォーキングで買いたいものはなにもないのです。

娘達の買いたいものはウォーキングシューズ位ですが随分手間取っていました。

足の3D写真とかを計測して合ったタイプの靴型を探すらしいのです。

私の大きな収穫はダイソンのショールームに入って今愛用している掃除機の

気が付いていない便利な部品や使用方法を細かくしっかりと教えてもらえたことです!

↓お父さんが大好きな三女は一寸腰の痛む夫に付きっきりです。

よく歩き回ったつもりですが10000歩に達しなかったと思います。

夕食を宿で予約していたので、お昼は軽いファーストフードで済ませました。

 


「無言館」と「信濃デッサン館」(3)

2019-10-24 | 旅行
窪島さんは実の父上の水上勉氏と1977に30数年ぶりに

再会されています。著書、「雁と雁の子」には衝撃的な

邂逅(かいこう)から、父、水上勉氏が亡くなられるまでの間の

普通の親子とは少し違う愛憎ある日々が綴られています。


そして再会の2年後に、それまでにこつこつと収集されていた

夭折された画家達の作品を一堂に集められて「信濃デッサン館」を

1979年6月に信州上田の前山に開館されています。

父上は息子さんに影響を受けられたのか、その後、故郷福井県の

若狭に「若州一滴文庫」を開館されています。

お二人の間には微妙なライバル意識もあったようです。

窪島さんは米国進出も考えられたようで、1981年にはニューヨーク

ウッドストックに日系画家野田英夫館を建設されていますが、

それについてはよく分かりません。野田英雄は30歳位で

夭折された日米を行き来した日系の画家だそうです。

1997年に無言館を設立されました。窪島さんの子供向きの絵本「約束」が

手元にありますがとても温かみのある絵本です。

 
そこにはご自分で描かれた挿絵と、無言館設立に

至られた経緯が、幼い頃からの体験を通して

わかり易く綴られていて、産経児童文化賞、菊池寛賞

信毎賞などの数々の賞を受賞されています。

読んでいるうちに、ドライアイの私ですが、ウエットアイになります。


 
時の流れや世代の移り変わり、上田駅からのアクセス、

ご自身の健康上の問題などで、「信濃デッサン館」収蔵の絵は

先を考えられて、昨年長野県に寄贈されたそうです。

この夏は来場者の多いシーズンだったせいか開館されていて、

数多くの素晴らし作品を見ることが出来ました。

上を見上げるとエキゾチックな天井画がありました。又

高く積み上げられた蔵書のある図書室など温かみのある設計で

私は大変素晴らしい建築物だと感心して気に入っています。

無言館だけ見て帰ってしまわれた方がおられるようですが

それは大変残念なことだと思います。そこまで

足を運ばれたなら、別館もセットで見ないと来た意味がない様に思いました。

今回の19号台風での長野、上田方面の水害の影響を懸念しています。

ユニークな2つの美術館の収集品が将来的に散逸しないことを願っています。

「無言館」と「信濃デッサン館」 (2)

2019-10-17 | 旅行

日に日に、東日本一帯を襲った台風19号の被害の全容が分かってきました。

悪夢であればと願うのですがこれは現実なのです。

被害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。

そして、一日も早い日常生活への復帰を祈っています。

戦争で焦土と化した国土から見事立ち直った民ですから、

始まった公的私的の支援の元で復旧は早いと信じています。

応援しています。
 
さて、「無言館」の続きですが出口におられた窪島さんに

入場料をお支払いらいしましたら、「この券で信濃デッサン館にも

入れますからこの後、寄って見て下さい」と云われました。

その時、厚かましくも、「お写真撮らせて頂いてよろしいでしょうか?」

と伺うと、思いがけなく窪島さんはさっと立ち上がられて、

なんと一緒に写真に納まって下さいました。
 
立ち上がられると長身でスポーツ選手のような堂々たる

体格でいらして驚いてしまいました。

窪島さんは「信濃デッサン館」と「無言館」との創設者ですが

作家水上勉氏の実の親子であることが40数年前、公になっています。

長年の忍耐強い必死のルーツ探しが結実して、ご自身が35歳の頃、

遂に実の父親である水上勉氏を探し当てられて、

それが公になり、大きな話題になりました。

当時、水上勉氏は有名作家(直木賞)しとして、又文壇の三美男として

持て囃されていました。(他のお2人は丹羽文雄氏?と何方でしょう?)

先日英会話グループで水上勉氏の話をしましたら60代の方々の

殆どがご存じなくてgeneration gap を感じてしまいました。

著書「父への手紙」に実親との再会までの過程を書いておられます。

そこには幼い頃からの孤独と苦難の自分史が書かれています。

昭和16年生まれで戦後の荒廃した時代を生きぬいて来られた

窪島さんの半生記は同じ時代を生きてきた者として伴走者のような

感じで理解し易く読めました。一番強く心に残ったことは、

窪島さんが実親から受け継がれたエネルギッシュで非凡な

遺伝子(DNA)のなせる業のようなものです。

2歳の時に実親に手放され、靴修理職人の養父母の下で実子として

育てられたわけです。昔から、又あの時代、子供を養子に

出すことは珍しいことではありませんでした。

きっと「栴檀は双葉より芳し」の男児だったのでしょう。

養父母は貧しくはあったけど、実の息子として将来も見込んで

一生懸命育てられたようです。しかし、物心つく前から、

両親に外見や性格や考え方も違和感を覚えておられたようです。

因みに2歳の時の記憶をはっきり覚えている人は殆どいないと

思うのですが漠然とした環境の変化は残るのではないでしょうか?

私は3歳半頃に引っ越しをしたのですが、生まれ育った家の

間取りの半分位や庭や縁側からの眺めは憶えています。

「無言館」と 「信濃デッサン館」(1)

2019-10-12 | 旅行
しなの鉄道で田中駅から上田駅まで乗りました。
(上田には真田氏の上田城址があります。)

そこから上田鉄道、別所線に乗り換えて、塩田町で降りました。
両方ともJRとは別の会社だそうですが、素敵な電車でした。
無人駅の塩田町駅前の中学校は立派で校庭では生徒が部活中、
校舎、南面の屋根は全面太陽光発電となっていました。
そこからシャトルバスで無言館まで乗り、見晴らしい里山の公園で下車、
緩やかな坂を少し上ると木漏れ日の先に無言館が迎えてくれました。
 
絵の好きな窪島誠一郎さんが、ある画家との出会いをきっかけに
第二次世界大戦で応召され志半ばで戦場に散った
未来ある画学生さん達の残した絵画や作品、イーゼルなどの
愛用品を収蔵、展示しています。
出征前に描き残した絵を遺族の方々からこつこつと個人で
収集された慰霊美術館です。ユニークな美術館です。
窪島さんは「絵は時間を描くんだよ、嫌いなものを絵には
描けないんだ。好きなもの、大切なものをえがくんだ。」と交流のある
高校の絵画展で語り掛けておられます。
好みの絵には長く留まりますので
ここの全部を鑑賞しようとするとかなり時間が掛かります。
入場料は入り口でなく出口で払うのですが
そこには窪島さんご自身がおられました。

9月中旬の信州旅行(ヴィラデストワイナリー&ガーデン)

2019-10-06 | 旅行
昨日、目にした某新聞の「ワインの里ランキング」に、
 
毎年訪ねている、「ヴィラデスト・ガーデンファーム・アンド・
 
ワイナリー」がランキング3位に入っていました。
 
 
早く9月の旅の記録をしないと忘れてしまうと焦りながら、
 
1か月遅れになってしまいました。
 
アルコールの飲めない私は日本でのサミットにも供されたという

「ワイン」にはあまり興味が湧かないのですが、
 
玉村豊男さんの多才さと、ヴィラデストからの絶景やガーデンに
 
惹きつけられて軽井沢の宿から毎年ここを訪れるようになりました。
 
子供の頃、(昭和22年頃から)毎日聴いていた連続ラジオ番組

菊田一夫作「鐘の鳴る丘」で描いていた緑の丘のイメージが

信州のこのあたりの風景に似ているようで親しみを感じています。

去年は霧が出て小雨も時々というお天気でしたので、雨だけが

心配でしたがお陰様で雲一つない晴天に恵まれ幸いでした。
 
 
私共夫婦に三女、それに二女と孫息子が飛び入りして5人連れで

ランチを予約して朝から訪れました。ランチはまあまあでした。

娘の見つけたケーキが絶品で、(旬のフルーツを卵たっぷりの生地と

ふわふわのクリームでサンドしたとある)来年は予約必須です。
 
 
連休で大忙しに厨房には、玉村夫人のお姿を発見、又楽しいブログを

書いていらしたその妹様もレジにいらしたのでお話が出来ました。

玉村氏はお元気にフランスに取材?旅行中でした。




  
私の一番の期待はガーデンで花々の撮影だったのですが、

今年は花数が例年になく少ないようで少しがっかりでした。

人手不足?ヤギ子は相変わらず元気でした。

午後は上田駅で乗り換えて無言館に向かいました。
 

タワマン住まいの非日常、ほんの少し体験。

2019-08-18 | 旅行

今年で最後のTシャエアリング施設の利用ですがやはり2か所に

分けました。少し前になりますが8月初めに去年と同じく都内の

多摩川沿いの(楽天の入っている)ビルの施設が取れましたので

行ってきました。ここを選んだのは、暑い中、旅支度をして

遠出する元気がなく、面倒で億劫になってしまったからです。

自宅から車で1時間足らずのところで4日間、タワマン住いの

非日常を少し体験出来ればいいと思ったからです。

(28階から多摩川上流を写す。)

楽天が入っているビルの最上階(28~30階)です。

下は楽天本社の入り口付近です。

そこでゆっくり過ごせるかと思っていたのですが、

早速、孫娘たちが「大学に近いから泊ってもいい?」とか、

娘達が入れ替わり立ち替わり泊りにやって来ました。

昼間はテレビやPC、ブログやデパートとのんびりしたのですが

夕方からは毎日5~6人の集合で定員近い状態で賑やかな4日間となりました。

(暑い日の午後、蔦谷家電では涼を求めて読書する人々で一杯です。)

こちらの施設ははセキュリティ上、エレベーターから大浴場、階段まで

全てカードがなくては動けないので、迂闊な私には大変不便で疲れました。

高速直行エレベーターは耳が変になることもなく揺れもない感じでした。

眺望はたまには富士山まで見渡せる素晴らしさで凄いと思ったのですが。

毎日見ているとどうなのでしょうか?マンションだとベランダが

あって窓も開くのでしょうが、ホテル仕様では窓は開かないようです。

(駅近スーパーの風景)

近くのデパ地下では5~6時過ぎるとお惣菜のディスカウントセールが

始まりますのでキッチンはありましたが、そちらのセールを大いに利用

しました。貧乏症が抜けません。家事に追われることのない4日間でした。


夏休みにシェアリング施設を孫達と利用してきました。

2019-08-17 | 旅行

20年前に「東急ビッグウイーク」という期間1週間限定の

シェアリングリゾートマンション施設が売り出されました。

自炊式で特に夏場は割安な価格であった京都の施設が私共の希望に

一致していたので契約しました。早いもので、今年で期間満了になります。

(最近はシステムや価格が大きく変った様です。)

 昔、娘達が小学生の頃には毎年、夫の実家のあった舞鶴に帰省していたのですが

夫の両親亡き後も、縁のあった関西方面を孫達と一緒に旅行をして

知って欲しいという思いがありました。

(私の祖母宅や叔母宅も桃山や北区にあって、いつも夏休みに逗留していました。)

孫達が小学生の頃には、毎年今より静かだった京都に、一緒に出かけていました。

只、1週間を通しての滞在となると夫達の勤めの関係などで、

全部消化することは難しく早めにく切り上げて帰京していました。

(後に7日間を3日と4日に分けることも出来るようになりましたので、

箱根や軽井沢に振り分けることも出来ましたが)

成長期に何回か京都を始め関西各県に足を運んだせいか、

現在、社会人や大学生になった孫達が、関西圏に馴染んでいる様子なので

嬉しく思っています。3人とも夫や私のガイドで多くの神社仏閣回りを

しましたので日本史には興味をもったようです。

自炊が出来たので、外食することも少なく主婦にとっては、

結構忙しい休暇でしたが、孫達とのいい思い出となりました。

 


バス旅行で昇仙峡へ

2018-11-04 | 旅行

      地元のスーパーのバス旅行に近所のおばさんと一緒に行きました。

    近所のおばさんは次女です。一人で参加するより心強く思います。

 地元発着なので最近体力が落ちてきた私には好都合でした。

 昇仙峡には行ったことがなかったので大変興味がありました

雲一つない秋晴れの日に恵まれて遊歩道のウォーキング等にはもってこいの

お天気でしたが、盛り沢山な場所を回るスケジュールでゆっくり出来なかった

のが残念でした。虹が出て歓迎してく れていました。

渓谷の部  第1位。平成百景 第2位。 平成の名水百選に選ばれています。

紅葉はこれからという感じでした。 

            虹をかなりはっきりと撮ることが出来ました。

 

            武田神社は昇仙峡から近いところにありました。 参道に沿って山梨大学があり

            とてもいい環境でした。ノーベル賞受賞のの大村智先生の学術記念館が見えました

七五三を祝うご家族ずれの方々の姿が多く見受けられました

ハーブ園ではハーブの効用について興味深い説明を受けました。毎日の料理にはかなり

使っていますが、これからもっと勉強して行こうと思っています。

 


芦ノ湖テラス

2018-10-14 | 旅行

箱根は強羅に泊まりました。最近、年のせいか日本画に魅かれていて成川美術館を

訪れました。ここは晴れた日には富士山が見えることもあり眺めの良さも魅力です。

それだけにかなりの急傾斜の坂道があるのですがエスカレーターがあるので助かりました。

富士山は雲に隠されて時間切れになりました。秋や冬を丁寧に描いた日本画には清冽な

寂しさと厳しさを感じました。庶民的な値ごろな色紙がなかったので残念でした。

お昼時の混雑を避けて目的の「芦ノ湖テラス」に2時過ぎに着きましたが、相変わらずの

大人気でランチタイムを過ぎても、リストに名前を書いてから40分ほど待ちました。

ここも「玉村豊男さん」経営のレストランです。待ってる間、玉村さんの素晴らしいセンスの

絵を鑑賞したり本やグッツを手にしたり、多くのワンちゃん同伴の方のワンちゃんを見比べたり

退屈することもありませんでした。老若男女に大人気だと感じました。

        芦ノ湖遊覧船                           

 

 

 

 

 

 

 

 

                                  芦ノ湖テラス入口

  

   

 

 

 

 

 

 

 

ピザは窯に入れて焼いていました。

    私のベストチョイス マリナーラ      風通しの良いテラス                                  


小田原城に寄りました。

2018-10-13 | 旅行

   箱根に行く途中、小田原城に寄りました。その日は連休とあっていろいろな催しが行われていて

特にアンディーク市には惹かれたのですが時間がなくて残念ながら素通りしました。

昨年12月に長年参加している髭の梶さん(梶本晃司先生)の道案内で「小田原城総構

(そうがまえ)探歩」で小田原城の当時の防衛ラインの遺構を仲間と一緒に歩いたこともあって

後北条の歴史にかなり興味があるのです。 

 平成27年~28年にかけて大改修が行われた城内ですが、1階では江戸時代の小田原城、

2階でから上は小田原北条氏の五代百年の統治の歴史や戦国時代の小田原城の様子を紹介する

など、小田原城を中心に、小田原の歴史的魅力を伝えるストーリー性のある展示で来場者に

   分かりやすいものとなっていました。

髭の梶さんの面白い歴史話を聞きながら小田原総構えの遺構を歩いた。


休日ワイン切符で往復2500円の旅でした。

2018-09-09 | 旅行

  天気予報では終日雨模様ということで、雨の中をしなの鉄道の

 ワイン列車で出発。最寄の田中駅に着いた頃から小雨になり

 以後傘は要らなくなりました。去年の様な「天国に居るような

 雰囲気の絶景」は無理でしたが、収穫間近なブドウ畑を眼下に

 見下ろし、美味しいランチを戴きました。夫はお肉、私と娘は

 お魚にしたのですがここではお肉の方が良かったかも知れません。

                 

         今回は曇りがちで遠くの山なみが見えないのが残念                  

       前菜の野菜が素晴らしくおいしかった。

    

   ガーデンのお花はこれから秋に向けて満開になりそうです。

  


軽井沢に行きました。

2018-09-08 | 旅行

今までずっと車でドアツードアで便利でしたが、今年から家族の意見もあり  バスかJRでということに決めました。池袋を1時に出て軽井沢に4時頃に  到着、主人と三女の三人組です。いつもの自炊の出来る2LDKの宿です。

今回も目的は東御(とうみ)の玉村さんの「ヴィラデストワイナリー&ガーデン」に行って、そこから穂高、八ヶ岳連峰そしてその先に北アルプスの山々の 絶景を眺めながらランチを戴く予定なのですが、今回はどうもお天気の方が  終日小雨だとかはっきりしないのが不安でした。夫の〇〇回目の誕生祝いなのです。