安房の竜島辺りに上陸した頼朝一行ですが、追われる身でした。(5)

2022-02-26 | 歴史、

頼朝達の小舟は真鶴から相模湾を西に安房の鋸南町竜島辺りに上陸したと

伝えられています。散歩会で2003年頃この辺りに行きました。

頼朝上陸の碑と説明版、この場所から眺める夕日は圧巻だそうです。

今でもよく覚えているのは鋸南町は「見返り美人」の絵で有名な江戸時代の浮世絵画家、

菱川師宣の生誕地だということです。

頼朝は上総介や千葉介に応援を要請する使者を送る際、洲崎神社に参拝をしたと云われています。

そして又、航海の無事を感謝して、参拝したといわれています。洲崎神社は標高110mの

御手洗山中腹にあり、太平洋を一望出来るほか、富士山を眺めることもできます。

その後、外房川の鴨川市太海の海岸から50mほど離れた、海に浮かぶ仁右衛門島に渡りました。

頼朝が追手に追われた際に平野仁右衛門氏の先祖がこの島に匿い、そのお礼として、

頼朝からこの島を与えられたという伝説が残っています。

先代の仁右衛門さんが81才でご夫婦ご健在でした。現在の仁右衛門さんは38代目です。

仁右衛門島で頼朝が匿われた洞窟。撮り方が悪いのですが、奧の赤門の後方に洞窟が見えます。

仁右衛門島は頼朝や日蓮聖人の伝説が残る風光明媚な場所です。2017年にも娘と訪れました。

島内には南国を思わせる樹齢600年以上の大ソテツや海浜植物も豊富で島主の住居もありました。


プーチン大統領は遂に本性を世界中に露呈。

2022-02-25 | 日記 

ロシアのウクライナに対するこの様な身勝手な軍事侵攻が堂々とまかり通ると、

世界の秩序はどうなってしまうのかと恐ろしい思いがします。

このような暴挙はロシアの得にならない筈です。

柔道を身に付けて親日的なところもあるのかなと勘違いした時期もありましたが、

本性はこういう自作自演の暴挙を指令する独裁者だったのですね。世界中の人々が

凄まじい侵略の次第を見聞きしているので、世界はことの次第を判断するでしょう。

この侵略で勢いずく国々がある事を懸念しています。

日本とロシアの間には北方領土問題がありますが、難しい問題です。

経済協力等多くの識者の意見を元に相手国を知って判断して頂きたいと思います。


真鶴のしとどの窟、頼朝の房総行に貢献した湯河原の土肥実平(4)

2022-02-19 | 歴史、

湯河原山中の窟屋の他に真鶴港の近くにもう一つの窟屋がありました。

頼朝はここに実を隠して土肥実平等の協力を得て房総半島に脱出したと伝えられています。

真鶴の窟屋は頼朝の時代には奥行き130ⅿほどで大変広かったようですが、800余年の間に

地震やその他の自然災害、岩石の切り出しなどでかなり狭いものになっていました。

中には石仏があったように覚えています。

周りの人達が手助けをしたそうで、頼朝が手助けの内容に因んた姓を与えたという言い伝えが

あります。木の枝で入り口を隠したものには「青木」、食料の手配をした者には「吾味」身張り役には

「御守」だそうで真鶴に古くからある名字だそうです。下の看板にそのように書いてありました。

湯河原の駅から成願寺に歩いて行きました。途中にリゾートトラスト湯河原の脇を通った

ように記憶しています。熱海の近くの湯河原は温泉地としても有名です。

城願寺は、この地の豪族土肥実平一族の菩提寺です。古くからの歴史があります。

今でも土肥の地名がこの辺りに残っています。境内に登っていきました。

             

境内からの相模湾の眺め。

成願寺にある実平お手植えと言われている樹齢800余年のビャクシンの木

七騎堂は頼朝と共に房総阿波の国に船で逃れたという安達盛長ら主従7人を祀ってあります。


待ちに待った3回目のワクチン

2022-02-19 | 健康

昨年から予約を受けて待っていた3回目のファイザーワクチンの接種日が

いよいよ昨日18日にやってきました。9時45分の予定だったので早めに行きました。

既に接種済みのブロガーさん達が、ワクチンを打ちやすい服装に気を遣われて

いらしたので、首の開いた上着を選びました。看護師さんが、使用期限について

何か説明されたのですが良く分かりませんでしたが、接種後、医院の張り紙を読んで

理解出来ました。冷凍保存で保管してあり、使用期限は4月末まで有効と政府が

保証しています。」ということらしいです。

昨日から打った腕が痛くて重い感じです。昨日の午後英会話ZOOMに参加しましたが、

モデルナの方がオミクロンに対して効果は高めだけれど副作用も強めに

出やすいのではないかというような意見が多かったです。昨晩ゆっくり寝ましたが

腕の痛みがまだ残っていて、何とも言えない倦怠感というのか疲労感が出てきました。

熱は平熱より少し高めの36.6度前後で、インフルエンザの注射を打った時より少し

きつい感じがしています。一緒に打った夫も大体同じ状態です。

年を取ると割と鈍感になっているのか、このまま、まあまの副作用で済めばいいと

思っています。3回目ワクチン一応終わって少し安心しました。


敗走した頼朝一行は箱根山中の「しとどの窟」に身を隠したと言われています。(3)

2022-02-12 | 歴史、

石橋山で敗れた頼朝一行は道なき箱根の山中をさ迷って箱根権現の方に逃れ

山中の「しとどの窟」、と呼ばれる洞窟に身を隠したそうです。散歩会の一行は湯河原から

中型バスで傾斜のきつい道路を登っていきましたが、当時馬に乗ってこの場所に辿りつくのは

至難の業だと思いました。体力のある武将達ですが、エネルギー源は玄米とか野菜、魚だった

のでしょうか?追手も沢山いたはずなのに、頼朝はとりわけ運のいい人だったと思いました。

バスを下りた地点です。芦ノ湖が眼下に見えました。この辺りは箱根ターンパイクの終点

かと思われました。

一行は山道を窟にに向かってどんどん下っていきました。

(真鶴の土肥実平がこのあたりに詳しく案内をしたとか。)

15分位どんどん下っていって思ったより遠いので帰り道のことが気になり梶先生に

「帰りの登り坂を戻れるか心配です。」と問うと、「登ってこれない人は置いて

いきますから山姥になるしかないですね。」とすました顔で言われてしまいました。

誰一人諦める人は無く全員無事に歩き通せました。

20分位歩いたと思います。途中所どころに、あと250Mとか道しるべなどがありました。

頼朝一行が身を隠したと言われる「しとどの窟」です。山水も流れていて夏なら数日

過ごせたでしょう。やはり梶原景時がここらをチェックにきたようです。

そうして岩屋に隠れている頼朝を見て見ぬふりをして見過ごしたとか。

 頼朝の何かに魅了されたのでしょか?やがて頼朝に仕えるようになります。

                                                                                       

現地の案内板です。

 


「壊れた」と思った我が家のテレビはまだ暫く使えそうです。

2022-02-11 | 家電 IT機器

先日リビングルームのテレビの映像が出なくなりいよいよ寿命かなと思って

量販店に問い合わせをしてメーカーの方に来てもらう手筈にしていました。

(電源は入るのですが映像が出てこない状態でした。)

その時、量販店の方に「15年も経っているのであまり期待できないけれど、

各電源プラグの抜き差しを試みておいて下さい。」と云われました。

早速テレビの裏側の掃除をしてコンセントなど言われたように抜き差しして

調整して、電源を入れたら何と機嫌よく元通りに直ったのです。

その後メーカーの修理の方から電話が入り、「一応元どうりに直った。」旨を伝えると

「随分丁寧にお使いですね。不具合なところがあって、修理が必要となっ場合でも

各部品を基本的に9年間しか保管していないので、15年間経っていると、修理は無理だと

思います。買い替えになると思いますよ。」とのことで、出張料もかかることですし、

このまま様子をみることにしました。↓(昨日のNHKテレビより)

現在もっとも普及している液晶タイプのテレビの寿命は8~10年とも20年ともいわれて

いるそうです。年数に開きがありますが、これは家庭によってテレビの視聴時間が異なる

ためとか?バックライトの寿命や、半導体といった内部機器の不具合も、テレビの寿命に

影響するそうです。機器の当たり外れもあるのではないでしょうか。

この数年間、特にコロナが始まってからは、在宅中はテレビをほぼつけっ放しで

かなり酷使している状況なのですが。Xデーがいつ来るか分かりませんが、出来るだけ

長持ちさせて壊れたらすぐ買い替えが出来るように日頃からメーカーや機種や価格を

よく調べておこうと思っています。4Kや8Kテレビは高額ですから予算を準備して

確保しなくてと覚悟しています。


石橋山の古戦場はかなりの急傾斜地でした。(2)

2022-02-08 | 歴史、

大河ドラマは殺傷シーンが嫌なので見ないという友人が結構います。私もそれは嫌なの

ですが、さらりと流してほしいと思っています。ディレクターの感性次第でではないでしょうか?

伊東方に狙われていた宗時が斬られしまってとても残念です。宗時ロスになりそうです。

回想シーンでもいいので愛之助さんに又出てきてほしいと期待しています。

さて数年前に訪れた石橋山ですが、相模湾沿いを走るの西湘バイパスの石橋料金所を出た

目立たないところに入り口があったように思います。きつい斜面なので、私達一行は

バスから降りて歩いて登っていきました。

左側の坂を上って東海道線のトンネルの上の道を更に登りました。

上まで行くと佐奈田神社があり、駐車場がありました。

梶先生の講談風の説明を聞く。

8月23日に大庭景親軍3000人に対して頼朝軍300人で戦う羽目になっ壮絶な石橋の合戦

(和田の援軍1000兵が加わる手はずだったそう)ですが、もしかして負ける覚悟で

逃げ道も考えていたのかと思ったりもしてしまいます。→(しとどの窟)

頼朝方は佐奈田与一が先陣について15騎対75騎で戦闘開始になったそうです。

与一は8人討ち取って、敵方の大庭景親の弟俣野景久を組み伏せていたのに刀が前戦の

錆で抜けず、又声枯れで援軍に声が掛けられず、壮絶な戦死を遂げたそうです。

この辺の畑で採れる農作物はねじれているそうですが、農家の方の確認は得ていません。

後ほど頼朝がここを訪れて墓が築かれて、それぞれ(佐奈田霊社)、親がかりで

家臣の文三は(分三堂)に祀られています。佐奈田霊社には美味しいのど飴がありました。

丸い飴で確かに声枯れや喉に優しい作用があるみたいです。沢山買ってきました。

佐奈田与一塚と文三堂の説明版

文三堂方面にも上って見てきました。


訪れたゆかりの地(点)が大河ドラマのストーリーで(線)になって繋がっていくのが楽しい。

2022-02-05 | 歴史、

ドラマ鎌倉殿の13人、毎回わくわくしながら見ています。三嶋大社祭礼の日、

1本の矢が放たれて源平合戦が始まりました。

50代後半の頃、三島には歴史散歩で参りました。

その頃は、海外旅行に行きたかったのですが、夫は働き盛りで、孫の手伝いで呼び出される

ことも多々あって、家を長く空けることは憚られて、お話の面白い梶さんの日帰り歴史散歩に

魅せられて参加するのが楽しみになっていきました。

三嶋神社は立派でしたが、今、一番印象に残っているのは楽寿園にある楽寿館の建物や庭園、

池の美しい光景です。室内の美術品のような美しさや池や庭園の光景が忘れられません。

小松宮彰仁(こまつのみやあきひと)親王の別邸として建てられた明治期の建造物だそうです。

頼朝と政子がお参りをしてデートをしたという伊豆山神社にはスマホを手にしてから

参りました。急な長い石段を上がっていきました。

 

昨年の豪雨による土石流被害があった場所はそのすぐ西側のようで

眺めは最高にいい所なのに急傾斜の上の山の土地工事が禍の原因のように

報じられています。突然の被害を受けられ犠牲になられた方々へのご冥福を祈ります。